アッシュがルークたちの元へと訪れた時、そこに赤い髪は見当たらなかった。 どこにいるんだと首をめぐらせていると、苦笑したガイが声をかけてくる。 「生憎、ルークなら今はここにいないぞ」 「……ならどこにいる」 ルークを探していると言葉にされるとすぐに否定の言葉が口を出そうだったが、それをなんとか耐え所在を問う。これも本来ならあまり口にしたくないことだったが、何も問わずにこの場所にいるよりはましだった。 余計なことをさせやがって、と心の中で舌打ちをし、不機嫌そうに眉根を寄せる。ガイはそんなアッシュを邪険にするわけでもなく素直にルークの居場所を告げた。 「あっちの小川の方にいる」 「小川?」 「そう。ちょっと訳ありでね」 含んだ言い方が引っかかったが、居場所がわかればこの場に留まる必要はなくなった。すぐに告げられた通りの方向へ足を向け、やさしくせせらぐ小さな川を辿っていく。 ちろちろと音を聞きながら歩いていくと、そう時間もかからず目当ての赤い頭は見えてきた。一応姿を確認できたことに無意識に肩を下ろし、アッシュはずかずかと距離を縮めていく。 一体こんなところで何をしているのだと、一発言ってやらなければ気がすまなかった。 「おい屑」 愚図のくせに単独行動なんてするんじゃねえよ馬鹿。 そう続けようとした言葉は、ルークが振り返った瞬間にせき止められた。 「……アッシュ?」 (―――な!) 小川の傍で中腰になり、水を手ですくっていたルークの目からははらはらと涙がこぼれていた。 まさか泣いているとは思いもせず、アッシュは咄嗟の言葉がかけられずにただ口を開け放した。 一拍の後、我に返ったかのようにルークは繕う様に笑顔になり、何でもないのだとアッシュに声をかける。 「これ、別に大した事じゃないから」 「大した事じゃねえって……」 アッシュの記憶にある限り、ルークが涙を見せたことは一度としてなかった。 アクゼリュスを崩壊させた後悔に打ち震える時も、己の生が作られたものであると知ったときも。そして、自分にどれほど辛く当たられようとも涙を流すことはなかったはずだ。悲しい顔ならたくさん見た。恐怖も、困惑も、憤りも。 しかしこんな風に目に涙を溜まらせ、目の端を伝わせる顔など一度として見たことがなかった。 こちらの驚愕が伝わるのか、ルークはそれを紛らわせようと涙が頬に流れるたびにそれを拭うが、時間が経てばまたすぐに流れてきりがない。 「……何があった」 余計な気遣いはせず率直に問う。口に出すことはしないが、やはり普段との相違があれば気にかかる。 しかしルークは苦笑して首を振り、いいから、とアッシュの問いかけを反らそうとする。隠されれば尚更理由は気になり、アッシュは思いつく理由を上げていく。 「あいつらに何かされたのか」 「えっ、ち、違う」 「じゃあ何かしたのか」 「それも違うっ」 「……体調でも悪いのか」 「いやあの、本当にそんな気にするようなことじゃないから」 何とか聞き出そうとするアッシュだが、一向に理由は見えてこなかった。 そうまでして隠す理由もわからなければ、ただ単純に隠されている自体にも腹が立った。大体、こうまでしつこく問うのも隠されて怒るのも心配の裏返しだというのに、鈍いのか足りないのか、ルークはそれを察してくれない。だからといって言葉になんてできるはずもなく、いい加減本気で腹が立ってきたアッシュは逃げ腰になっているルークの腕を掴んで顔を近づける。 「言え」 「……っていっても」 「言えっつってんだろ」 「だからさぁ……」 凄んでも口ごもるだけのルークに盛大に舌打ちしながら、アッシュは方向性を変えることにした。本当はあまりやりたくないが、仕方がない。一呼吸だけ置いて腕を掴んでいる手の力を抜き、そして今度は両手でルークの頬をすくうように持ち上げ、目尻を伝う涙を親指で拭う。 「聞かせろ」 強くではなく、どこか諭すように目を覗き込むと、ルークの顔が目元だけではなく顔全体が赤に染まった。本音を言えばこちらもそうしたい気分だったが、それだけはならないと必死で自分を押さえ込む。根性だった。 顔を反らそうとするルークを制し、視線を合わせる。後はもう根競べだ。 そしてほどなくルークから白旗が上げられ、アッシュは満足げな息を吐く。こちらのダメージがゼロというわけではないが、理由が聞けるならそれでもよかった。 まだ躊躇いが残っている風のルークの髪を梳いてとどめを刺し、アッシュは視線でルークを促した。 「本当に大した事じゃないんだけど……くだらないとか怒るのなしだからな」 「ああ」 「殴るのなんかもっての他だぞ」 「……泣く奴殴るほど性悪じゃねえよ」 「信じるからなその言葉。殴ったら俺も殴り返すからな」 「わかった。その時は存分にやれ」 しつこすぎると思ったが、ここで怒鳴れば振り出しに戻ってしまう。とりあえず相手は傷心なのだと堪え、ルークが口を開くまで何度もくだらない問答を続けてやる。 怒らない、殴らないを絶対条件としてようやく重い口が開けば、それまでうんざりしていたアッシュも緊張を孕んで身が引き締まる。 「実は、その。俺夕食の料理当番で……」 「それで?」 「チャーハンを作ろうと思ってさ。でもさ、俺、たまねぎをみじん切りするのって初めてだったんだよ」 「………」 「あれってすごいのな。何か変だと思った時にはもう被爆で目は開けてられなくなるし、料理続行不可能ってことで顔洗いにここまで来たんだよ」 そしたらアッシュがここへ来てさ、と続けるルークに、声の震えを抑えることが出来なかった。 「お前まさか―――」 「……うん、なんつーかその、ただたまねぎが目に染みてただけ、という」 ふざけるなという思いは、電光石火でルークの頭に込められた。 「―――ってぇ! お前、殴らないって言ったのに!」 「知るか馬鹿! お前なんて殴られて当然だ紛らわしい!」 「それこそ知るかよ! アッシュが勝手に誤解したんだろう!?」 そりゃ嬉しかったけど、と微かにはにかみながら言われると、誤解と自分がした行為の気恥ずかしさにたまらなくなり、もう一度手が出た。 たまねぎのせいだけじゃなく涙目になるルークは約束通り自分も殴りかかってきたが、弱った目ではたいしたこともなく、アッシュはそれをすんなりと避けて更にもう一発はたいた。 「卑怯者! 根性悪! 鮮血の勘違い野郎!」 頭を押さえて幼児の様に吠えるルークを見ながら、アッシュは彼が泣いていた理由がこんなくだらないことであることにどこか安堵していた。認めるのは癪だが、ルークが悲しめばそれがアッシュにも痛い。何事もなく、今日も平穏に過ごしていただろうことがアッシュの心の平穏にも繋がる。 (やはり屑は屑か……) 張っていた気が抜けると心にも余裕ができ、よかったとは口に出さず愚かなレプリカを抱き寄せた。 |