旅の途中、なぜか荒野に一匹の鶏がいた。 はじめはモンスターかと、思わず武器を構えたルークだったが、どこをどう見ても普通の鶏だったので首をかしげながらも鞘に戻してその白い塊を眺める。 (野生のにわとりっているんだろうか……) とりあえずルークは聞いたことがなければ、今までの旅で目にしたこともなかった。 不思議に思いつつ、つい犬猫にするみたいに手を伸ばす。そう薄汚れているわけでもない白い羽毛はとてもやわらかそうで興味を引かれた。 だが羽に触れる直前、ゆらゆらと動いていた頭が勢いよく前後し、尖ったくちばしがルークの指を突き刺した。 (こ、こいつ!!) 想像していなかった痛みに悶えながら相手を睨むと、鶏は馬鹿にしたような目つきでルークを見ていた。喚くルークに誰もが気のせいだと言うが、あの目は確かに嘲りだった。 モンスターでもない鶏相手につい本気を出そうとしていたルークだったが、そのゆらゆら動く首を掴む前にガイがひょいと抱えてしまう。 「んだよガイ、返せよ!」 「なにをムキになってるんだお前は。ただのにわとりだろうが」 「なんかそいつむかつくんだよ。見ろよこのふざけた目つき!」 「にわとりなんてどれもこんな目だろ。まあ落ち着けって」 どれだけ手を伸ばしてもまあまあと宥められ、気付けば周りはなぜこんな場所に鶏がいるのだろうという話になってしまった。 自分を抜いて進められる話に教育的指導を入れるタイミングを失ってしまったルークは、一人離れたところでじっとりと恨めしそうな目を白い体に向ける。そうしても鶏は高慢そうな態度で首を反らすだけで、ますますルークの怒気は煽られた。 ジェイドが言うにはおそらく家畜を運搬する馬車から落ちてしまったのだろうとのことだった。 確かにルークたちが今いる辺りは家畜を運ぶ馬車が行き交いする場所であるし、周囲には真新しい車輪の跡もついている。断定は出来ないが、それが一番妥当な線だった。 しかしよく今までモンスターに襲われなかったものだと感心しながら、ガイの腕でじっとしている鶏を見つめる。 ガイに抱きかかえられても暴れないということは、そこそこは人間に慣れているのだろう。家畜だったのか、それともペットだったのかはわからないが、人の手で育てられたことはまず間違いなさそうだった。 憎らしい鶏ではあるが、ガイの腕の中で大人しくしている姿を見ていると白い羽毛はやはりやわらかそうで、再度触れたい欲求が湧き起こる。じっとしている今なら大丈夫かもしれないと思い、くちばしから遠い尾の方へ手を伸ばす。 しかしルークの手が近づいた途端に鶏は豹変し、またもやルークの指にくちばしが刺さった。 「な、なんだよこいつ!」 「おいおい、大丈夫か? ルーク」 「大丈夫じゃねえ!!」 鶏の変わりようにショックとその何十倍もの怒りにが沸き起こる。 刺さる痛みに喚くルークだったが、心配してくれるのはガイだけで、あとは無闇に手を出すからだとか、さっき苛めたからだとか、こちらに非があることを責めてくる。なんだか理不尽な思いでいっぱいなルークを、鶏はまた小馬鹿にしたような目で見た。 (あー……つまり俺は嫌われている、と。……くそ、上等だ馬鹿! お前なんか俺特製鶏肉料理にしてやる!!) この上なく、ルークと鶏の出会いは最悪だった。 ■■■ なぜかルーク一行は鶏と一緒に旅をしていた。頭を揺らしながら白い体動かしているのは、昨日のあの鶏だ。 場違いな場所にいたからといってどうすることも出来ないのでそのまま去ろうとしていたルーク達だったが、どうしたことか鶏はいつまでもその後をついてきた。 餌もやっていないのになぜだろうと思うが、もしかするとガイにでもなついたのかもしれない。それほど鶏はガイの前では大人しくしていた。 後ろをちょこちょこと付いてくる生き物に誰もが情を湧かせ、仕方ないということで相談した結果、おそらくこれを連れて行くにもっともふさわしい、エンゲーブの村まで連れて行くことになった。 だが情が湧いているのはルーク以外の者たちである。 突付かれた記憶しかないルークにはこの鶏はただの厄介な拾いものに過ぎなかった。 あの凶暴な生き物の何がいいのか、にわとりは女性陣に可愛がられていた。それがまた気に入らず、突付かれないように少し離れたところから「調子に乗るなよ」と睨みながら呟くと、聞こえるはずもないのに突進されたりしている。関係は相変わらずだった。 しかしなんだかこのにわとりを見ていると、何かを思い出すようだった。なんだろうと考え込み、足元から順に見上げ、ぼんやりと浮かぶ既視感の正体を辿る。 細い足。白い体。びらびらした肉だれ。順に見ても閃くようなものはなかった。しかし相も変わらず鋭い目とその特徴的なとさかに目が行くと何かが引っかかり、何度も繰り返し見た後、突然視界が開けた。 (うわ、そうだ、こいつアッシュに似てるんだ!) あの赤いとさか、きつい眼差し、そして何より憎らしい態度。まさにアッシュだと、ルークはアッシュ本人が聞いたら殴られそうなことを思った。 アッシュを思い浮かべながらもう一度鶏を見ると、あながち間違っている考えでもなさそうでうんうんと頷く。じっと見ていると、何を見てるんだというような顔をされた気がしてやはりアッシュだと確信をもった。 そう思うと不思議なもので、ルークは急にこの鶏が憎いものではなくなった。反抗的な態度も可愛くないのも、アッシュと同じなのだと思うとすとんと怒気が落ちてしまう。 「……おいお前、何もしないから。ほら、ほら」 変わり身は早いもので、邪気の代わりに好意をもたれたいという下心を孕みながら餌としている実を差し出す。 しかし鶏には気持ちの変化などなく、逡巡もなくふいと首を背けられてしまう。そのままガイたちのところへ行く後姿に、やはり可愛くないと手の中の餌を握りしめたが、それすらもアッシュらしくてルークは笑った。 「から揚げにするんじゃなかったんですか」 振り返ると、どこか愉しそうにするジェイドがいた。彼も鶏とは相性がよくないらしく、とにかく鶏は彼に近づこうとはしなかった。本能で何かを悟っているのかもしれないと、笑うジェイドを見ながら思う。 「あの姿に、どこかの誰かと姿を重ねでもしたんですかね」 「えっ! 別にそんな……」 「鶏を見る目と誰かを見る目が一緒になってて何を言いますか。それにそうでも考えないと、あなたがあの鶏に好意的になる理由がありません」 確かに、とルークは自分で思ったが、こうもあからさまに言い当てられると気恥ずかしい。 しかしジェイドがそう思いつくのなら、彼もあのにわとりがアッシュと似ている箇所があると思ったからであろう。「似てるよな?」と問い掛けると「そのものですよ」と返ってきて、妙な連帯感が湧いた。 それからしばらくジェイドと鶏とアッシュについての相違を語っていたのだが、ふと意外なものがルークの視界に入って会話が途切る。 (あれって……) とことことこちらへ向かって歩いてきているのは紛れもなく鶏だった。 しかしこの場にいるのは鶏に嫌われているだろう自分とジェイドだけだ。もしやガイでもいるのだろうかと辺りを見回したが、彼は少し前に見たままの場所で女性陣と話している。 なんだなんだと思っているうちに白い塊からはっきりとその形が見え始め、そしてルークの足元に近づくなり足の甲を突付いた。 もしや突付くためだけに向かってきたのだろうかと口元を引き攣らせると、次にその鶏はルークの足元の布をくちばしに挟んでぐいぐいと引っ張ってくる。穴を開ける気なのかと焦ると、珍しく隣のジェイドが声を上げて笑った。 「この鶏は。いっそ彼じゃないことが不思議なぐらいですよ」 「な、なんだこれ!?」 「見たままですよ」 鶏が何をしたいのかわからなくて助けを求めるが、ジェイドはただ笑うだけだった。その間もぐいぐい引っ張られ、このまま穴でもあけられてはたまったものではないルークは仕方なく足を相手に合わせてゆっくりと動かす。 鶏がルークを解放したのはジェイドから少し離れた場所で、ガイたちからも離れている場所だった。 人のいないところで襲撃だろうかと体を強張らせると、意外にも鶏はルークを襲うことなくその傍を歩き回っているだけであった。 拍子抜けしてその場に座り込むと、目つきの悪い鶏と目が合う。襲われる、と咄嗟に身構えたが、鶏は大人しくルークを見ているだけだった。気のせいかいつもの敵意も感じず、目も普段ほど鋭さがないように見える。 なんとなく今ならいけるかも、と思って手にしていた袋から餌を取り出し、眼前に持っていく。おそるおそる手を差し出したルークをじっと見つめる鶏だったが、ルークも諦めなかった。普段ならここで突付かれているが、今はそれがない。期待を抱いて粘っていると、やがて鶏は首を伸ばしてルークの手から餌を食べた。 (た……食べた!) あまりの感激ぶりに、ルークはふるふると震え、傷つけるためでなく鶏が突付く己のてのひらから目が離せなかった。 突付いても痛くなく、あんなに自分の手から物を食べようとしなかった、いや、近づくだけで羽をばたつかせていたあの鶏が、こうして手ずから餌を食べている。 その事実が嬉しくて、ルークは思わず鶏にしがみついたが、すかさず頭を突付かれ痛みにうめく。 痛みよりも喜びが勝る今では、その衝撃すら愛しく思えた。 ■■■ 別れは突然だった。 皆が目覚めた後、鶏の姿はどこにもなく、軽く辺りを探してもあの白い体はどこにも見当たらなかった。 いつもなら自分たちが眠っている場所で同じように鶏も寝ていたのだが、いつの間にか姿は消えていた。 今日はエンゲーブに行くはずだった。もしかして鶏は自由でいたかったのだろうかと、落ち込む頭で考える。持ち主もいない鶏がどうなろうと痛手はないのだが、ようやく可愛いと思い始めていただけに寂しい気持ちになる。 せめて鶏がモンスターに襲われないようにと、そう強く願った時にアッシュは現れた。 どことなく暗い雰囲気を感じ取った彼は、特にそのオーラを強く発しているルークを見て嫌そうに顔をゆがめた。 しかしアッシュが背を向ける前にルークは服の裾を掴み、いつもより必死な顔でそれを引き止める。今アッシュから離れるのは嫌だった。 「なんなんだお前は」 「だって……お前まで消えちゃいそうで」 「はあ?」 「にわとり……」 呟きながら、アッシュの前髪と鶏のとさかを被らせたルークは、怪訝そうな顔をするアッシュに構わず彼の前髪に触れる。 触れるか触れないかの間隔で、まるで頭を撫でるかのようになぞられることを恥ずかしく思ったのか、アッシュはルークの腕を引いて仲間たちから離れた。 どういうことだと、かすかにこめかみを引き攣らせて問うアッシュに、ルークは今までの経緯をぽつりぽつりと話し出す。 話し終えた後のアッシュは無表情だった。 「おい屑」 「な、何だよ」 「いい加減にその馬鹿直さねえと埋めるぞ」 しまった、とここでルークははじめて己の失言に気付いたが、当然遅かった。 よりによってにわとりと同一視されたアッシュの機嫌は一気に降下し、きつい眼光でもってルークを睨み上げてくる。その目の鋭さはあの鶏以上のものがあり、今彼に手を伸ばしたらくちばし代わりの剣が突き刺さりそうだった。 「あ、あのなアッシュ、別にそんな馬鹿にするとかじゃなくて!」 「どんな理由があろうと知るか!」 「だってお前あの目つきの悪さと赤いとさか見たら誰だって思うって!」 「貴様……」 「あ、いやそうじゃなく……って待った待った! 謝るから帰るなって!」 「うるせえ! てめえは家畜でも愛でてろ!」 帰らせてなるものかとルークは必死でアッシュにしがみ付きこの場に留まらせようと足に力を入れる。 それでもアッシュも本気で去ろうとしているのか、少しでも気を緩めれば引きずられそうだった。嫌だ嫌だと縋りながらしつこく粘っていると、やがてアッシュも諦めたのか「わかったから離せ」と鬱陶しそうに言われた。 「お前な……」 気のせいではなくいつも以上に縋るような視線を向けるルークに、アッシュはやれやれと首を振った。 「ったく、そのにわとりは俺と重ねたから愛着持ったんだろうが」 「う、うん」 「そんな紛い物じゃなく本物が目の前にいるならそれでいいんじゃねえのか」 「アッシュ……」 もしかしてこれは少しは慰められているのだろうかと、ルークは驚きで固まった。 「にわとりの方がいいのなら知らん。どこへでも行け」 それには勢いよく首を横に振り、ルークはアッシュの服の裾を掴む。 確かに鶏のことは寂しく思うが、アッシュそのものと比べれば比較にもならない。上目で見れば面倒そうに頷かれ、今度は引き止める理由ではなくアッシュにしがみつく。 嫌がる素振りはなくアッシュはルークを受け入れてくれ、「にわとり頭はお前だ」と頭を軽く小突いてくる。不器用な慰めは、ひどく心地のいいものだった。 ふと後頭部にアッシュの手が回り、かすかに髪を引かれる感触がして顔を上げる。 目の前に出されたものにルークは目を見開いた。 「あ……」 アッシュが指に挟んでいるのは指の長さほどの白い羽だった。きっとあの鶏のものだろう。寝ている間に付着したのか、夢を見れば置き土産か。思い出すのはふてぶてしくも、どこか憎めなかったあの白い鶏。 風に揺れるやわらかな羽と、そしてその向こうに見えるアッシュに、ルークは少しだけ胸を熱くさせて微笑んだ。 「ひよこ」でアッシュ視点と迷いましたがこっちで。 |