「ねえ、僕の母上はどんな人だった?」 情事の後、酷使した体に休息を与えながらセリスはゆっくりと呟く。 特に強く答えを欲した問いではなかったが、なんとなくその疑問が浮かんできたのだ。 「……ディアドラ様はとても美しい方だった」 セリスと共に寝台に横になり、乱れた青い髪をゆっくりと撫で付けながらシャナンは少し苦い表情で答えを返した。 彼がそんな表情をするのはおそらく母が行方不明になったときのことが起因しているのだろう。母がいないのは寂しいことだが、しかしそれがシャナンのせいだとは微塵も思っていないセリスはいつもその表情に心を痛めていた。 何度もシャナンのせいじゃないと言ったことがあるが、その度に彼は悲しい微笑で首を振る。今はその顔を見たくはないので、セリスはシャナンの表情には気づかないことにして話を進めた。 「皆そう言うよね。そんなに母上は綺麗だったの?」 「そうだな。私は当時叔母が一番美しいと思っていたが、それでも初めて目にした時は一瞬動けなかった。ああ……もしかしたら私の初恋はディアドラ様だったかもしれない」 「え」 シャナンが零した思いもよらない言葉に、セリスは心地よい感覚を振り切って体を起こした。 「幼い子供から見てもあの方はどこか人間離れした美貌を持っていた。指の先まで完成されているような美で、それに見合った声も、穏やかでやさしい性格も、傍にいるだけで嬉しいと思える人だった」 「……そう」 母を褒められているのは嬉しいのだが、初恋と前提してシャナンが語るととても複雑な思いになる。 あまりシャナンから女性関係のことを口に出されないせいか、嫉妬というわけではないが「初恋」という単語がひどく以外だった。 どんな表情をしていいのかわからずに困っていると、更にセリスを複雑な気持ちにさせる一言がシャナンから放たれる。 「お前はディアドラ様によく似ている」 「それは……」 どういうことなのだろうとセリスは眉を寄せた。 シャナンが言ったことが本当なら自分の母親は彼の初恋の人であり、そして自分はその母親に似ているらしい。もしや今あるシャナンとの関係は、自分の容姿に母を重ねているからなのだろうかと思うと複雑どころではなくなる。 「すまぬ、少し意地が悪かったな。そんな顔をするな」 どんな顔をしていたのか、シャナンは苦笑してセリスの俯いた頬に手を当てた。 しかしどうにも表情を持ち直すことが出来ず、情事後だというのに甘い空気は一気に他所へ行ってしまった。 そんなセリスを腕の中に抱きこみ、シャナンは宥めるようにゆったりと言葉を落とす。 「確かにお前はディアドラ様とよく似ているが、私は彼女の面影を求めてお前を抱くわけじゃない。お前という人に惚れて、ほんの小さい頃から面倒を見てきたというのに倫理に欠けることをしているんだ。オイフェに睨まれてまでな」 「………」 「セリス」 「……それ、信じていいんだよね」 「信じろ。第一ディアドラ様とどうこうしたいなんて思いはひとつもなかった」 鼻筋を肩に押し付けるように擦られ、セリスはシャナンの懇願を受け入れることにした。 正直なところ複雑な気持ちが消えたわけではないが、シャナンが自分抱きしめ、間違いなく己の名を紡いでくれるのならそれでいい。彼がそれなりに年を取っていたときの話ならおそらく今も引きずっていただろうが、所詮は幼いころの話だ。 「うん、信じるよ。シャナンは嘘はつかないもの」 「そうか」 肩にあるシャナンの頭をそっと抱きしめると、彼も安堵したのか少しだけ肩が下がった。 少しは慌ててくれたのだろうかと思うと嬉しくなり、セリスもシャナンに擦り寄る。 そして何となく感じたことを口にした。 「今の僕たちの関係を父上や母上が知ったらどんな顔するんだろうね」 「……それは」 特に含んだものがあったわけではないが、シャナンはとても苦い表情になって固まった。 確かにこの関係は褒められた事ではないかも知れないが、それでも父と母ならきっと受け入れてくれるに違いない。そう思うセリスだが、シャナンは首を振った。 「親心はそう簡単なものではないだろう。もし私がシグルド殿ならお前を手篭めにした奴は誰であろうとバルムンクを持ち出す。もちろん手加減はしない」 「ま、まさか。だって父上は穏やかな性格だっていうし……」 「ああいう方ほど怒ると際限がないんだ。しかも信頼して預けた相手に、だからな。ディアドラ様だってそうだ。私は一生、いや死んでも彼らには頭が上がらない」 大層な事をしでかしたといわんばかりのシャナンに、セリスはやれやれと苦笑する。 彼が両親に対して後ろめたいような気持ちを持っているのは知っていたが、この分だとそこそこに気に病んでいそうである。 それでもこの関係を切らず、叱責はすべて自分が引き受けるとばかりの態度にセリスは愛しさを感じずにはいられない。 「大丈夫だよシャナン。その時は僕が間に入るから。シャナンに迫ったのは僕です、って」 「だが選んだのは私だ」 「もう、意固地だなぁ。この関係に罪があるならそれは等しく二等分だよ。どっちが、なんてそんなことはありえない。怒られるなら一緒だ」 「そうか……」 「それに、こうなったのなら多分手を離すことのほうが父上たちは怒ると思うよ。そうしたら僕も間には立たないし、シャナンは孤軍奮闘だね」 からかうように、そして身の内では離して欲しくないと縋りながら告げると、シャナンは微笑してセリスを抱きしめた。 そして低めの、セリスの大好きな声で彼は断定した。 「離さないさ」 それが聞きたかった、とセリスは微笑み、一度は去った甘い空気を戻してシャナンの胸に擦り寄る。 ゆるく髪を撫で付けられると、疲れていた体はすぐに睡眠を欲したがこのまま眠るのは勿体無い気がした。 しかしシャナンに「いいから眠れ」と囁かれると抗いも薄れ、間をおかずにセリスの意識はまどろんでいく。 安心しきった表情で眠る軍の最高司令官を眺めやりながら、やはりどうにも手放せそうにはないと、シャナンが空を仰いで心の中でシグルドとディアドラに手を合わせる。 幼い寝顔を見つめ、やはり苦笑がもれる教育係の複雑な表情を、セリスは知ることがなかった。 イザーク奪還前。 実際シグルドとシャナンを引き合わせてみたいものです。舅シグは天然のまま無意識にいびってほしい。 |