ラビッシュ ss






実を言えば幼少の頃、アルフレッドはテリュースを少々疎ましく思うことがあった。
天然もいいところ、会話をすれば妙にズレる、呼んでも十五分はこない、なのに外見は人並み以上なので女の人気は頗る良い。こっちは天然じゃないのに何故モテない、と当時は自覚していなかったが要はテリュースに嫉妬していたのだ。
何だよあんな奴、が当時のアルフレッドの口癖だった。

確かあの日もテリュースのズレた言葉に呆れていたのだと思う。
樹海への道をのんびり歩きながらアルフレッドは溜め息をついていた。
自身はまともであると思っているアルフレッドはカタルーシ家の血筋を呪う。両親も独特の特徴を持っているので慣れているといえば慣れているが、たまにふと何とかならないかと思うときがないわけではない。
両親はともかく、アルフレッドはテリュースに対して立派なのは顔と剣の腕前ぐらいで、あとは表に出せないと思っている。決して悪い性格などではないが、あの天然さだ。


「あー…なんでウチはこうなんだろう」


特にすることもなくぶらぶらと道なりを歩く。村の可愛い女の子と遊べばこんな気分もすぐに吹き飛ぶだろうが、イリーシャに自分が吹き飛ばされてはたまらなかった。
なるべく人気のないところで昼寝でもしようとこうやって歩いているのだが、人気がないということは危険だからということを幼いアルフレッドは失念していた。

ふと聞こえた音に目を向ければ、犬、いや狼がこちらを向いて唸り声を上げていた。
一歩でも動けばすぐに飛び掛かってくるだろう気配を滲ませる狼は恐怖でしかなく、アルフレッドは声も上げることも出来ない。
目を反らせば襲ってくる。そんな言葉を思い出して、視界に入れたくないのに狼から目を離せない。
しかし場に満ちる威嚇から逃げ出したい欲求が勝ってしまい、アルフレッドは背を向けて走り出した。


(だ、誰か助けて!)


本当は村に向けて走りたかったが、その方向に狼がいたので反対側――樹海の入口の方へ向けて走るしかない。それでも声にならない声で叫ぶがここは村から離れていた。
走っても走っても耳は迫る足音を捕らえ、それがだんだんと近づいていることに気がつくと今までにないくらいの恐怖が満ちた。


(怖い! 怖い! 怖い!!)


あの牙で、あの爪で、自分は裂かれてしまうのだろうか。尖った先端が肉を貫く時、それはどれほどの痛みなのであろう。
もっと早く走らねばと思うのだが、そう思えば思うほど足は凭れ、何度も体がふらついた。次第に体力もなくなり、最悪の状況が脳裏を過ぎる。振り返りたくとも振り向けない。だが足跡はすぐそこまで聞こえている。
そして森に入ったのとアルフレッドが転倒するのは同時だった。


「あ……あ、っ」


倒れ込んだ体を反転させると、足もとにあの狼がいた。動こうにも震えるばかりで、尻餅をついたまま微かに後ずさることしかできない。その間にも狼はじりじりと体勢を低めて唸り声を上げていく。

もう駄目だと顔の前で腕を交差させ、身を丸めて衝撃を覚悟した。
その時だった。


「アル!」


張り上げた声と共に体を突き飛ばされ、地面に伏した。
思わず見上げた視界には、アルフレッドを狙っていた獣の喉を短剣で切り裂いているテリュースがいた。


「アルフレッド!」


絶命を見届けたすぐにテリュースはアルフレッドのもとへと駆け付け、小さな体に傷がないかを確認する。


「無事か? 怪我は?」
「あ……」
「ん? どうした」
「にいちゃ……にいちゃ!」


間近で笑う兄の顔に恐怖で張り詰めていたものが切れ、アルフレッドはあがくようにテリュースにしがみついた。
恐かった。本当に恐かったのだ。もう駄目だと思った。テリュースが後少しでも遅かったらどうなっていたかわからないと思うと震えが止まらない。


「こわっ、恐かっ、た」
「そうか。でももう大丈夫だから」


やさしく抱かれ、頭を撫でるその手つきに安全を自覚したが、それでも未だ残る恐怖にテリュースにしがみつく。
小さな体いっぱいで感情を表現すれば、テリュースは安心させるように抱きしめてくれた。
そうやってしがみ付きながら、ふと、アルフレッドが手の位置をずらした時に感じた違和感に顔をそちらに向けると、信じられないものが目に映った。


「にいちゃん……! こ、これ!」


大きな目をこれ以上ないくらいで見つめると、テリュースは一瞬しまったという顔をして苦笑した。


「ああ、ちょっと掠ったみたいだな」
「掠ったって……!」


テリュースの腕に三本ばかりの赤い線が入っていた。衣服をも裂いて血が垂れている傷の理由は聞くまでもなく今の狼だろう。きっと自分を庇った時に付いたに違いない。
痛くないわけがないのにテリュースはなんともなさそうに笑っている。そればかりか、傷など、転倒した時についたすり傷しかない己の心配ばかりをしている。
アルフレッドは声を上げて泣いた。

天然だと馬鹿にしていても、本当の馬鹿は自分だった。危険だとわかっていながら一人でぶらぶらとうろついて、こんな目にあって。
そしてテリュースはそんな自分を助けてくれた。傷を負って、しかし洗練された動きで相手を切りつけながら。小言も何もない。ただこちらの安否を心配し、アルフレッドが無事でよかったと言ってくれる。
たまらずテリュースにしがみついた。ごめんなさいと、何度も繰り返して泣き喚いた。その度にテリュースはアルフレッドの背中をぽんぽんと叩き、それがまた涙を誘ってしばらく泣き止むことが出来なかった。



(今思えばあれがきっかけだったよな……)


逢瀬の際に現れたモンスターを切りつけているテリュースを見ながらアルフレッドは息をついた。
幼少のあの一件以来アルフレッドのテリュースへの見方が少し変わった。相変わらず呆れはするものの、心底ということはなくなり、代わりに憧憬のようなものを抱くようになった。ここぞという時はしっかりしていて、そしてやっぱり強くて格好いいのだテリュースは。

成長するに従い村の女の子たちの目が兄に向いても、悔しい反面、納得もしていて更に自慢にも思っていた。本人には絶対言うつもりはないが、あの一件はかなりアルフレッドの心に残っている。今まではいい思い出として残っていたが、テリュースとこういう関係になってからは別のときめきをも伴ってしまった。
普段はああな分、肝心な時に締められると本当に弱い。今の光景がそうだ。剣の軌道や翻るマント、なびく髪から目を離せない。
きっとあともう少しでテリュースは敵を全て屠ってしまうだろう。

戦いの後の兄は普段よりも格好よく見えるに加え、幼少の思い出に浸った今ではなんとなくあの体温が恋しい。
腕を伸ばしてみようかなと柄でもないことを考えながらアルフレッドは兄の勇姿を見ていた。









THE.捏造

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