ふとした拍子にアッシュの髪がルークの胸のボタンに絡まった。 顔をしかめるアッシュに慌てて髪を解こうとするのだが、どういうわけか容易には解けない。 毛先といえども思うように動けないアッシュは早くしろと促すが、焦っても髪はボタンを離さなかった。右回りにしても、左回りにしてもボタンの付け根が強固になるだけで状況はよくならない。 どうしろというんだと頭を抱えると、アッシュは剣の鞘に手をかけながらとんでもない事を言い放った。 「……切るか」 「だっ、駄目だろそれ! 反対! 絶対反対!」 思わず叫んでしまえばアッシュは怪訝そうな顔をしたが、それだけは何が何でも止めてほしいことだった。 「アッシュの髪を切るぐらいなら俺の服を切ってくれよ」 「なぜそんなに執着する。髪なんぞいくらでも伸びるだろうが」 理解できん、とアッシュは呆れ口調だが、ルークにとっては大事なことだった。 ルークはアッシュの髪が好きだ。大をいくつも付けていいくらに。被験者とレプリカという関係なのにそう思うなど、自己愛の果てかと考えてしまうが、手触りは絶対違った。 元は温室育ちでも十年近くは間があるというのに、ずっと温室浸りだった自分よりもアッシュの髪はつやつやでさらさらだった。これも劣化だからかと思うと少し悔しいものがあるが、アッシュの髪に触れていると案外そんなことはどうでもいいと思えてくる。 抱きしめられている時に腕を回して目いっぱい髪に触れるという行為が密かにルークの楽しみだった。 それを、そんな髪を切ろうと言うのだからたまらない。 例え指先ほどの長さであろうと、嫌なものは嫌だった。 「別に急がないんだろ? だったら短気起こさないでもう少し粘ろうぜ」 アッシュの肩に手を置いて着座を促すと、いかにも面倒そうではあったが腰を下ろしてくれた。 髪が引っ張られないように自分も座り、再び絡みつくボタンに手をかけるが、しかしやはりどういじってもアッシュの髪は離れない。 まるでアッシュに雁字搦めにされている自分の心そのものだ。 そう考えてルークは赤くなる。 解いても解いても、どうあがいたって解けるどころか余計に絡まって離さない存在。 アッシュは髪でさえ自分を縛るのか、と陶酔と敗北感が入り混じった感情に身悶える。もしくは別れ際だったので、己の引き止めたい思いがそうさせたのかもしれないとまで考えると、あまりの少女思考ぶりに笑えてきた。 どうせなのでそれをアッシュにも伝えてみる。 「なあ……これ、外したくないって言ったらどうする?」 アッシュは呆れたようにこちらを見たが、すぐに答えは返って来た。 「お前をどけて切るまでだ」 「なんだよ色気ないな……ぐっ」 「お前に言われたかねえよ屑。殴るぞ」 「殴ってんじゃん!」 はたかれた頭を撫でさすりながらアッシュを見上げるが、睨み合いではすぐに負けてしまった。 「まあともかく、もし取れなかったら何するにしても俺と一緒だよな。あんまり距離も取れないし、朝も昼も夜もずっとこうやって引っ付いてさ」 「……想像するだけでうんざりするな」 そこそこ本気で言われたので、ルークは少しへこたれた。繋がったままではいいことばかりではないだろうというのはわかるが、こういう時ぐらい話に乗ってくれてもいいだろう。もう一度「色気ねえの」と言うと、律儀に先ほどと同じ痛みが頭を襲った。 睨み上げるがアッシュにこの話を続ける気はないらしく、早くしろ、と止まっているルークの手を注意してくる。 わざと余計に絡ませてやろうかとぐりぐり巻きつけていたら、すかさずアッシュは剣の柄で頭を狙ってきた。次は刃だと言われ、素直にごめんなさいを言う。 しかしアッシュはまだ疑っているのか、それとも手際の悪いルークを見かねたのか、一度舌打ちをして手を伸ばしてきた。 一気に近くなる二人の距離に、ルークは一際高く心臓を高鳴らせる。 眼下にあるアッシュの頭。普段あまり見ることのないてっぺんを見ているとどうしようもなくそわそわして、ある衝動に駆られる。それを実行すればアッシュは怒るだろうのでじっと耐え、ゆらゆらと動く頭を眺めやる。 「……おい」 くぐもった不機嫌な声に、はっと気付けばアッシュの頭を抱きしめていた。 慌てて腕を離すと、アッシュに髪の長さ以上の距離を取られて思わず胸元を見遣る。 「あ……」 胸のボタンに赤い髪はなく、普段と何も変わらない光景がそこにあった。 動いても引っかかりはなく、それが当たり前のことであるのに寂しい気持ちばかりが溢れた。 「なんだよ取れたのかよ」 「なんだその心底残念がってる顔は。お前まさか本気でさっきのこと考えてたんじゃないだろうな」 「それもあるけど……なんか……」 自分の手ではどうしても離れなかったそれが、アッシュの手でいとも容易く離れたことがなんだか悔しかった。 自分たちの関係に重ねてしまうからだとわかっているが、あながち間違いでもなさそうなのが余計におもしろくない。 「あーくそ、絶対俺も髪伸ばしてやる。それでアッシュに巻きついて、今度こそ絶対に離してやらないんだからな!」 「お前が何を思おうが勝手だが、俺の服に髪が絡まるような箇所はないぞ」 「う……な、なら直接お前の心にぐるぐるぎゅーっと」 そう言うと思いきり馬鹿にしたアッシュのむかつく表情があった。 羞恥諸々の腹いせに無理やりしがみついてやろうとしたが、それも腕を取られ、難なく避けられてしまった。体勢が整わない体を更にアッシュは足払いまでかけてルークを地面に転がす。 痛さとみじめさにうめいていると、仰向けに倒れた己の上にアッシュが被さってきて、挑戦的な笑みを浮かべた。 「やれるものならやってみろ。返り討ちにしてやる」 そして開けっ放しになっている口に挑発とばかりに齧りつき、ルークの体を固まらせる。落とされた言葉が悔しくてじたばたもがこうとするが、容赦なく腕は地面に縫いつけられて唸るような声しか出せない。 アッシュの望む展開になってたまるかと、手が駄目なら足をばたばたと動かしたが、耳や首筋、そして止めとばかりにゆっくりと唇を何度も舐め上げられ、ルークは落ちた。 (ああもう、どうせ俺はアッシュ馬鹿だよもう!) 好きにしてくれとばかりに力を抜けば、見事返り討ちに成功したアッシュがそらみろとばかりの表情をしていた。 悔しさでいっぱいになるが、今はそれよりもその背に、髪に触れたかった。腕の拘束を解かれ、すぐにそれを実行すると妙な充実感に満たされる。この感触を覚えてしまえばもう離せない。 今確かに心に絡み付いているであろうこの髪が、アッシュが、愛し悔しくてどうしようかと思いながら、ルークは贅沢な溜め息を吐いた。 |