ほしい情報を持っているという人物が四日後にならないと戻らないというので、ルーク達は街で足止めを受けていた。 情報が得られなければ動くことも出来ない。最初の一日はいい気分転換だと休息を取れても、二日目以降となると誰もが長い時間を持て余していた。 そんな折、しばらく姿が見えなかったアニスが菓子を持って仲間の前に現れた。 どうしたのかという視線を受けるより前に彼女は「無意味に時間つぶすよりはいいかと思って」と言う。 「え、てことはこれってアニスが作ったのか?」 「そうだよ。まあ調理場は宿のを使わせてもらったから時間かけることもできなくて、即興のものだけど」 菓子を作り、そしてそれを配るという行動に照れているのか、アニスの態度はやや素っ気無かったが、ルークはそんなことすら気づかずにもらった焼き菓子を見つめていた。 アニスと料理がうまいという項目はいつだってイコールで結ばれていたが、菓子にまでそうなのだとするともはや賞賛の声しかでない。当たり前と言えば当たり前なのだろうが、だとすると己は菓子においてもやや不可よりの作品をこしらえるのであろう。 どんなものかを知りたいような気もしたが、料理よりも更に面倒そうな手順を聞いて自作は考えないことにした。 そう思った瞬間だった。 「……アッシュは甘いものが好きだったかしら」 ナタリアのその言葉にルークの髪の一房がぴんと逆立った。 おそらく彼女は今アッシュに己の作った菓子を渡すところを想像したに違いない。菓子は買うだけではなく作れるものなのだとわかり、そして教師もいる。都合のいいことに時間まであるとくれば、これはもう。 「アニス、よろしければ私にも何か教えていただけませんか?」 まさに予想通りの展開だった。 この瞬間からルークに菓子作りに興味がないとは言えなくなる。 「お、俺も! 俺もアニス!」 「えー二人とも本気? お菓子は失敗すると悲惨だよ?」 「覚悟はしてますわ」 「もちろん変なの出来ても出来うる限り自分で消費するし!」 駄目だろうかとナタリアと共に縋ると、アニスは腰に手を当ててしばらく唸った。 料理の腕がいつまで経ってもいまいち不安な自分たちに菓子作りを指導する手間を考えているのだろう。骨が折れる作業だろうということはルークにも想像できた。 こちらとしてはアニスが要求を却下しても構わないのだが、自分の知らないところで次があるぐらいなら今しておきたかった。 「ああわかったよもう。そのかわり、これっきりだからね。失敗したってその次とかもう知らないから」 だるそうな了承の返答は、きれいに揃ったものだった。 ■■■ 二人がアニスから習ったのはチョコレートだった。 菓子を作るとは言ったものの、多人数で宿屋の調理場を使うことは憚られ、野外での調理となればおのずとその種類は限られる。 刻む。溶かす。固める。 よほどの馬鹿ではない限り作れるというチョコはまさに打って付けだった。 普段よくバカと罵られる自分では不可能ではないかと思われたが、教師がいたおかげか目立つような失敗はなく、ルークも、そしてナタリアもそれなりの完成を形作ることが出来た。 あの仏頂面もこれで少しは崩れたりするのだろうかと、笑顔のナタリアを見てついつい自分も落ち着かない気分になったりしたものである。 あとはアッシュと会うだけだったが、偶然にもアッシュは二日後定期連絡に来ると回線を繋げてきた。 思った以上に早い連絡にナタリアは喜び、ルークも前日の夜はほぼ眠れていなかった。 しかし現実は手ごわかった。 (あーくそ。やっぱナタリアは特別かー) 二人でアッシュと待ち合わせ場所へ向かえば、アッシュは最初からルークは放ってナタリアとしか主だった会話をしなかった。 二人同じような包みを持っていても疑問はナタリアにぶつけ、そして必然的に彼女が先に箱を差し出すことになる。 まるでナタリアの方がプレゼントされたかのように、彼女は嬉しそうにアッシュに手渡していた。 包装を解いたアッシュの「チョコか」の声音が少しだけやわらかかったのも気のせいではない。 アッシュとそこそこにいい関係を築けていると思える今でさえも、ルークにとってナタリアは羨望と、そして脅威の存在だった。 たとえばこちらが十頑張ろうとも、ナタリアが一頑張ればそれに負けてしまう。些細な行動でもアッシュはそれを胸に響かせる。受け入れる。 自分の知らない年月、そして大切な時間を二人は過ごしていた。かけがえのない約束も交わしている。その思い出に立ち入ることの出来ない己はそのことを思うだけで不安になり、すぐにアッシュとの関係は確かなのかと自信がなくなってしまう。 ナタリアよりも勝っている部分など、己には見当たらない。何か些細なきっかけでやはりアッシュはナタリアの手を取りそうで、ルークにはそれが何よりも怖かった。 怖れが現実なものにならないようにルークが出来ることといえば、やはり全力でぶつかるしかない。こちらが十頑張ってナタリアに負けてしまうのなら千や万頑張ればいいのだけの話だ。 だが現実は結構憎い。 (一回ぐらい勝てろよ俺……) いつまでも二人を見てるのも悪いので彼らの話が聞こえない場所まで下がり、木の幹に背もたれながら腰を下ろす。 ナタリアと二人でアッシュに会うと、いつだってルークは取り残される。 アッシュがナタリアを出来ることなら悲しませたくないことも知っているし、それに色々思うことはあっても文句などはないが、こういう場面に慣れることはできそうにもなかった。 もしかしたら今日はもうこのチョコは渡せない、もしくはただ渡すだけで終わるのかもしれないと思うと益々気は滅入ってきた。 どれほど頑張ってもアッシュの群を抜いた一番になることは無理そうな現実に、つい自棄も混じっていつかのパスタのようにまた自分で食べてしまおうかと思う。 だが前回はともかく、今回のチョコだけはどうしても食べる気がしなかった。 きっかけは自発的なものではなかったが、一から十まで全てアッシュのことを考えてこしらえたこれを食べることは流石に切なすぎる。 どんな味がいいか。やはり甘いよりは苦い方がいいのだろうか。色は、形は。 どう渡せばアッシュは喜び、笑みを浮かべてくれるのだろう。 一手一手をアッシュのために動かし、冷えて固まる時間でさえも浮かぶのはアッシュだった。そんなチョコを口に入れればきっとそれは涙の味がするに違いない。 くそうと思いながら木の陰から二人を見ると、自分と同じように木の根元に腰掛けて談話をしていた。アッシュの足の上で箱が空いているのを見て少しだけ心が痛む。自分のチョコを一番に食べてほしかったという願望もこれで打ち砕かれた。 気分的になんとなくルークはひとつ遠くの木に移動をした。 子供じみた感情を持ってひとつ、またひとつと時間をおいてはより遠くの木へと移動していくにつれ、反応も何もないと本格的に拗ねた気持ちになっていく。十本近くになっても状況は変わらないので、このまま帰ってやろうかと思った。 だが一番最後尾の木からはどうしても動けなかった。 帰りたい気持ちを押し留めたのは手の中の箱と微かな希望だった。 「何やってんだろ俺……なあ?」 今唯一の友人であるチョコに話し掛け、ルークは箱を腹の上に乗せたまま寝転んだ。 似合わない菓子なんて作って、勝手に競って、落ち込んで。 もやもやした気分を抱えたまま二人を見ているより、何もない夢の中へ入り込むほうが心にやさしい気がして目を閉じる。 もしかすると自分に気付かずアッシュはそのまま帰ってしまうかもしれないが、その時は存分にガイに告げ口してやろうと思った。 ■■■ ふとした拍子に目が覚め、視界に入ったものは灰と赤だった。焦点を合わすと、それは願った通りアッシュだった。 「……アッシュ?」 いつの間に来ていたのか、アッシュは先程のルークのように木にもたれて腰掛けていた。 自分を見つけて待ってていてくれたことについ飛びつきたくなるほど嬉しかったが、それまで放って置かれた拗ねを思い出してしまい、「ナタリアはどうしたんだよ」と腹から落ちた箱を背に隠しながら顔をそむける。 「戻るって言うから送った。……何を拗ねてるんだお前は」 「別に拗ねてなんかねーよ」 本当は自分が拗ねまくっていることを自覚しているが、素直になる気はなかった。 今ようやくアッシュを目の前にしているというのに、手の箱を前に突き出すことも出来ない。 本当に何をやっているんだと再度自分に呆れていると、す、とアッシュの腕がこちらに差し向けられた。 「どうでもいいから、さっさとその箱寄越せ」 箱の存在がばれていないわけがなかったが、それでも指摘されればびくりと背が引きつった。 しかし指摘されても素直に出せるまでにはまだ気分が至っていない。 「……何お前のだって決め付けてんだよ。俺はそんなこと一言も」 「いいから寄越せ」 何様だと思ったが、アッシュから物事を要求されることに微かでも喜びを感じてしまうルークは、悔しいが重ねられた言葉に拒否は出来なかった。 それでもせめてもの抵抗として顔はむっつりと背けたままで片手で突き出してやる。 すぐに手から重みが消えると、箱が開けられる微かな音がうるさいほど耳に入ってきた。反応が気になって少しだけアッシュの方に顔を向けたが、彼の表情はいつもと変わることのないものだった。 特別を見えるもので実感したいルークはそれに寂しさを感じ、更に唇が尖る。 「お前が作ったのか」 「知るか」 突っぱねた返事をしてもアッシュは何も言わなかった。チョコの塊を刻むのに苦労し、普通のとは別にアニスの提案で生クリームを入れて柔らかめのチョコを作ったりもしたのに、感想一つどころか眉さえ動かさない。 グローブを外した手でひとつ摘み、口に含んだ時も美味いも不味いもなかった。 アッシュがチョコを消費していくごとに拗ねが消えていくのをルークは自覚していたが、それで完全に消えるかといえばそうではなかった。 チョコというものの性質上、先に一人分食べた後では口の中がくどくなっていないだろうかと思うとやはり最初に口にしてほしかった。印象も、二番手では感慨も何もないだろう。 「なあ……ナタリアのチョコ、美味かった?」 「市販品を溶かして固めたなら美味いもなにも、その味しかしないだろ」 「でも、なんかこうぐっときただろ?」 「ああきたな」 「はっきり言うなよむかつくな。……俺のは?」 俺のと、どっちがよかった? と滲ませ、多分情けない顔をしながら勇気を出して尋ねると、アッシュは、く、と喉で笑うだけで答えはくれなかった。ナタリアに勝てると思ってるのかという嘲笑と、まだそんなことを聞くのかという笑いのどちらかだろう。 一応アッシュとの関係上、後者の方だろうとは思いたいのだが、あまり自信がない身としてはそれを言葉にしてほしかった。 むっつりとアッシュを見つめると、溜め息をつきながら彼はチョコを脇に置いた。そして傍にいるルークの腕を掴んだかと思うと、優しさも何もなく思い切り引き寄せる。 突然のことに為す術もなく引き寄せられた場所に落ちれば、そこはアッシュの足の上だった。両足を跨いでその上に腰掛けるというあまりにも範囲外の状況に、思わず「ぎゃ」と悲鳴を上げてしまう。 「うるせえ喚くな屑」 「む、無茶言うなよこんな体勢!」 「なら下りろ」 そう言われて動こうとしない自分は馬鹿だと思った。 落ち着かないようにそわそわと動くルークは放置し、アッシュは鬱陶しそうに言葉を吐く。 「ったく、一口でも甘ったるいのに、先に一人分入ってる身で拗ねるアホから取り上げてまで食ってれば聞かずともわかるだろうがこの卑屈馬鹿。湿気野郎。屑」 これでもわからないって言うのか、とアッシュはルークに確認を求めたが、嬉しい気持ちがあっても甘えから首を横に振った。 アッシュは呆れたように上を向いた後、脇に置いたチョコを片手でぱきりと折り、破片をくわえてルークの頭を掴んだ。まさかと思ったそのまさかがすぐに現実になり、アッシュに口の中へとチョコを無理やり突っ込まれる。 驚きの感情はすぐに甘さに呑まれた。 思わず口を手で覆ってしまうと、アッシュはルークの目を見る。 「……ナタリアにはこんなことしない」 まだだと首を振ると、今度は拳骨が頭に落ちてきた。 痛みに顔を顰めて頭をさするが、口に広がるものと、自分の周囲を取り巻くものとの二つの甘さにすぐに笑みに変わっていく。 もっと甘さを味わおうとアッシュにしがみつこうとしたが、無情にも引き剥がされて足の上からもどけられてしまった。 なんて奴だと肩をばしばし叩いたが、アッシュは知らない振りをして再びチョコを食べている。 鬼だこいつはと思いながらも、拗ねた感情は綺麗に消えていた。 アッシュがナタリアを大切なのは変えようもないが、それによってわだかまる感情をフォローしてくれるのならなんとか耐えられそうだ。その都度やはり拗ねが入るのだろうが、アッシュに宥められるのも悪くない。 しかしやはりどんな理由があろうとも、自分を一番に優先してほしいという野望を捨てたわけではなかった。 手始めにアッシュの袖を引き、もう一口、と誘うように口を開けた。 バレンタインという行事があるかないのかわからないのでチョコ話。 個人的にアッシュにはあんまり甲斐性も包容力もないと思ってるのでナタリアにルークとの関係は言えてません。ぐだぐだです。 |