これほどまでに入り難いドアがあっただろうかと、枕を抱えたルークはアッシュの部屋の前で立ち慄いていた。 一泊を渋りながら承諾する際、アッシュは絶対に一人部屋だと言い張った。てっきり同じ部屋で寝起きできると喜んでいたルークは不満をぶつけたが、何を言ってもアッシュは全く聞き入れてくれなかった。 文句があるなら帰ると言われれば何も言うことができず、ルークとしても、アッシュを引き止めることに成功したナタリアとしても、もどかしい思いをしていた一言だった。 それは先程の出来事を経た後でも変わらないらしく、ホテルへ戻った後、アッシュは軽い言葉のやり取りを残し、ひとり部屋へと戻ってしまった。 もしかしたら誘われるかもしれないと思っていただけにとぼとぼとしょげながら自室へ戻ったのだが、ルークとしてはやはり諦めきれなかった。 がばりとベッドから体を起こし、同室の二人にお伺いを立てる。 アッシュの部屋に行ってもいいか。 ガイとジェイドに告げると、案の定ガイは大げさなぐらい首を横に振った。駄目だ駄目だ絶対駄目だ、と普段以上の気迫で反対するガイにルークの方が戸惑った。 確かにアッシュがこちらを嫌悪していると思っているのならば何かあったときのことを思うと反対せざるを得ないのだろうが、未だ信じられないがアッシュはそんなに自分のことを嫌いではないらしい。 さすがに先程の出来事を話すことはまだ出来そうにもないが、それでも今までアッシュとの定期連絡にはガイも送り出してくれていたので今更という気もする。 それの延長線で、一緒の部屋で寝るぐらいいいだろうと思うのだが、ガイはどういう意味なのか慌てたように「まだ早い!」を繰り返した。 どうにかならないかとジェイドに視線を送ると、彼はやはり愉しそうに笑んでガイの肩に手をかける。 『まあまあいいじゃありませんか』 『よくないだろう! 俺らと部屋は離れてるし、あっちはベッドは一つしかない。そんなとこにおいそれとルークをやれるか!』 『確かにあちら側からすると、そこそこに都合のよろしいシチュエーションでしょうね。そんな場所へ送り込めば、まあ、喰われるでしょう』 『わかってるなら止めてくれるな』 『ですがね、ガイ。おそらくそれを阻止できる魔法の言葉があるんですよ』 ルーク、と名前を呼ばれて思わずびくりと肩が揺れた。 そしてジェイドは、アッシュの部屋行きを許す条件として、ある言葉をルークに託した。魔法の言葉だと言っていたが、ルークには普通の言葉にしか思えないものだった。 しかしはじめはそんなものだけでルークをやれるかと反対していたガイも、ちょこちょことジェイドに耳打ちされていくに連れ、横に振っていた首を渋々縦に振り出していった。 何を言われているのかはとても気になったが、アッシュのところへ行ってもいいというのなら下手に突付かない方がいいのかもしれない。 色々と不思議なことはあったが、絶対に言うんだぞ、と過度に念押しされて部屋を出ることが出来た時にはどうでもよくなってしまった。 そしてアッシュの部屋を目の前にし、今に至るのだが。 (なんだこの緊張感……!) あれほどまで来たいと思っていた部屋なのに、どういうことか手の甲がドアの一歩手前で止まってしまい、ノックが出来ない。 先程のアッシュとの出来事が恥ずかしかったからか。それともベルを押しても今までのように突き放されるのではないかという不安があるからか。 きっとそのどちらもだろうと、ルークは身動きとることもできずに小脇の枕を握り締めたその時だった。 「何してるんだお前は」 鉄壁に思えた扉が何もせずとも開いた。同時に低めの声が落とされる。 目を瞠って目の前に佇むアッシュを見つめると、彼は「あんな鬱陶しげな気配をドアの前で長い時間やられればアホでも気づく」と呆れたように言った。 「――その格好を見れば大体想像はつくが、一応聞いてやる。用件は何だ」 「いや……その、感情のままに突っ走ったらここにいたというか……」 歓迎されてるのかそれとも逆なのかの判断がいまいち付けられず、アッシュから視線を反らしながら曖昧に告げる。 駄目だろうかとびくびくしながら反応を待っていると、大きく息をついたかと思えばアッシュは「とりあえず入れ」とルークを中に通した。 (おお、ここがアッシュの部屋!) 自分たちが滞在している部屋と広さが変わるだけだが、アッシュが泊まっているというだけで特別な場所のように思えた。 微妙な空気も忘れてきょろきょろと視線をあちらこちらに送っていると、ベッドに腰掛けたアッシュに呼ばれる。 「もう一度聞くが、何をしに来た」 「だから……アッシュと話したいなとか思って……」 「枕を持ってか」 「だって、せっかくアッシュと同じとこに泊まってるんだし、こんな機会なんか滅多にないだろ」 重ねられる質問に、やはり歓迎はされていないようだと気まずさを感じ出す。 外での甘い空気をもう少し味わえたらと思ってここに来たのだが、どうやらアッシュの方はそうは思っていないらしい。 「……お前、わかってんのか」 「何が」 もしかしてアッシュは先程のことは戯れだったと言いたいのだろうか。 アッシュはルークの問いには答えず、相変わらずの難しい顔で溜め息をつく。 「大体お前の行動をガイらは知ってんのか」 「ああ、ちゃんと許可はもらった」 「……てことは何されても文句はねえってことか」 「あ、でも伝言預かってきた。ええと、二人からってよりはガイ寄りなんだけど――」 ”信じてるからな、アッシュ” 言われたままをアッシュに告げると、彼は張られた糸が切れたように上半身をベッドに倒した。 「アッシュ!?」 そんなに衝撃的なことだったのだろうかと倒れ込んだアッシュの顔をのぞき込むと、本当に魔法でもかけられていたのかと思うほどに彼は脱力していた。 「あの、それで、俺、ここにいてもいいのか?」 「――好きにしろ。お前の身の危険は去った」 「え、まさかアッシュ俺に何かするつもりだったのか?」 「ガキは黙ってろ」 青少年の葛藤と苦悩を知らないルークは、ガイの伝言が彼を慕っているアッシュにどのような効果をもたらしたのかわからなかった。滞在を許されたので、本当に魔法の言葉かもしれないという程度の認識である。 枕をどこに置けばいいのだろうとそわそわしていると、そんなルークを助けるかのようにアッシュは体を端に寄せて寝るスペースを作ってくれた。 床で寝ることも覚悟していたルークはこれが嬉しくてならず、嬉々として持参した枕をベッドに置く。 しかしほんわか気分も束の間、端にずれたアッシュがそのまま床に腰を下ろしたのを見て慌ててその裾を引っ張った。 「ちょっと待てよアッシュ! お前まさか床で寝るつもりか?」 「文句でもあるのか」 「文句とかじゃなく、狭いのが嫌なら俺が床で寝るからさ!」 「お前を床で寝させたとなるとガイが黙っちゃいねえだろうが」 「アッシュが床で寝ると俺が黙っちゃいねーぞ」 「お前……」 「なんだよ」 「無知も大概にしねえとぶっ殺すぞ」 じろりと睨まれ、そんなにアレなことをしでかしたのだろうかとルークはショックを受けた。 なぜ今アッシュが不機嫌なのかはわからないが、それが彼のお気に召さないのだろう。わからないのなら口は出すなということなのだろうが、だからといってアッシュを床で寝かせるわけにはいかない。 アッシュに習って己もベッドの下に腰掛け、同じ体制を取る。 「何やってるんだ馬鹿。いいからお前は上で寝ろ」 「嫌だ。アッシュが床で寝るって言うなら俺も床で寝る」 「上がれ」 「嫌だ」 「上がれっつってんだろ」 「嫌だっつってんだろ」 双方譲らずぎちぎちとにらみ合っていたが、どちらも引こうとはしなかった。 このままではアッシュを怒らせてしまうのかもしれないが、自分のせいでアッシュがベッド以外で寝ることがルークにはどうしても我慢できなかった。アッシュはアッシュでなにかしらの理由があるのだろうが、例え怒鳴られても、それが原因で部屋を追い出されようとも構わなかった。アッシュを床で寝させるよりは遥かにましである。 終わりのないように思えた言い合いは、結局ルークが軽いくしゃみをしたところでアッシュが折れた。 しばらく俯いて軽く唸ったかと思うと、特大な溜め息をついて手を振る。 「わかった。わかったから上れ」 「本当だろうな」 訝しみながら再びベッドへよじ上ると、言葉通りだるそうな仕種でアッシュも上ってきた。 嫌々感丸出しだったが、彼がベッドを軋ませるのが嬉しくて、ルークは喜びを隠そうともせずに己の隣をぽんぽんと手でたたいて促した。 そしてやたら距離はあいているが、ちゃんと隣に収まったアッシュを見届け、電気を消す。また隣からため息が漏れたが気にしない。 ごそごそと上掛けを引き上げ、己とアッシュが均等につつまっているのを見て満足げな息を吐く。 後は眠くなるまで会話だと思いながら隣を見るが、アッシュはこちらに背を向けていた。 不満なことは不満だったが、顔が見れないのならばと、ルークは以前から微妙に心に引っかかっていたことを聞いてみることにする。 「なあアッシュ。俺、地味に気になってたんだけど……」 「……何だ」 「アッシュの初めてのキスの相手って、結局誰?」 どきどきしながら零せば、暗がりでもアッシュが脱力するのがわかった。 「またそれか。そんなこと聞いてどうする」 「嫉妬する」 「お前本物の馬鹿だな」 心底うんざりしたような声に、どんな顔でいるのかは容易に想像がついた。 前にこの質問をした時はできれば聞きたくないと思ったのだが、不思議と今は知りたくてならない。底根にある部分はやはりその人と比べて自分は色々と勝てているのだろうかということだろう。もちろんそれは口に出さないが。 「どーせ俺は馬鹿で屑でレプリカですよー。で、どうなんだよ。……やっぱナタリア?」 「……いや。何年か前、レプリカのことで少し荒んでた時、誘われた女とやった」 なかなかに衝撃を受ける言葉たちだったが、最近ならともかく過去は過去だと思えた。 それでもあの酩酊感を何年も前、それも女の方からの誘いだったというのは男として羨ましいような、アッシュを想う身として悔しいような気にはなる。 この野郎という気持ちは小さなプライドでひた隠し、ルークはシーツの上をもぞもぞと移動してアッシュに近づく。 「それ、よかった?」 「相手が慣れてたし、それなりにな」 「ふーん、別にいいけど。――なあアッシュ」 「あ?」 「これからずっと、それよりもっとすごいのしような」 過去に何があろうが今アッシュとこうしているのは自分だ。その人との行為がそれなりによかったというのなら、それを越えればいいだけの話だ。アッシュがそばにいることを許してくれる限り、可能性は無限にあるはずだ。 横になっている背中にしがみつき、それだけでは足りずに顔を押しつけてぐりぐりと擦ってやる。すぐに邪魔だと振り払われたが、今度は無理やりその体をベッドの中心に引きずりよせ、仰向けにしたところに覆い被さるように抱きつく。 また振り払われるかと思っていたが、アッシュは「馬鹿」と溜め息の後に抱きしめ返してくれ、そして苦笑している風だったがやわらかい笑みも零してくれた。その表情がもたらしてくれる特大のときめきを、きっとアッシュは知らないだろう。 「あーもう、アッシュ大好き」 ガイの信頼と若い衝動とを必死で天秤にかけるアッシュなど知らずに、ルークは半分だけ上弦の唇にそっと顔を近づけた。 そうよ!あなたなんて嫌い もっとハッキリしなくちゃ お嫁さんにはなってあげないゾ という歌詞がありまして、それがキテレツのテーマだったはずでした(速攻ずれたんですが)。いつからか裏テーマがチューに。 これにて完結でありますが、お付き合いくださりありがとうございました。 |