ほんの少し前まで志し同じくした同胞に剣を向けるその胸のうちは、どういうものなのだろう。 互いに覚悟の上だった、彼はそう目を伏せた。 ミュンツァーと剣を交えた後、その言葉をただ悲しそうに告げるアルフォンスに、クレヴァニールは何と声をかけていいのかわからなかった。 護るものがあるが故の王宮への離反、仲間との決裂は、しかしどれほど覚悟した上での行為であれ、平常ではいられないであろう。仕方ないと言った表情の翳りが胸に痛い。 言うべき言葉を、彼を癒す言葉を探したが何も出てこず、もどかしさに握った手に力がこもる。 できるものならずっとアルフォンスの傍にいたい。だが自分達の使命も成さねばならない。個人的な感情で足を留まらせては仲間に迷惑がかかってしまうし、それは指揮を執る身として相応しくない行為である。 結局アルフォンスの苦痛も和らげることは出来ず、クレヴァニールは後ろ髪引かれる思いで拠点を後にした。 ■■■ それはアルフォンスと別れてから初めての戦闘の後に言われた言葉だった。 「行って下さい」 気になるのでしょう? ハッとして振り返ると、どこか苦笑した風の使い魔がいた。 「…オーディネル卿、私でもわかるくらい気落ちされてました。マスターだって…先程からずっと辛そうです。確かに私達は先を急がねばならない身ですが、オーディネル卿だってもう私達には大切な人なんですから」 そう半ば諭すように告げられ、今度はクレヴァニールが苦笑した。 胸のうちの心配を表に出すまいと装っていたのに、すぐに見破られるほど表面に表れていたらしい。 それでも、と渋るクレヴァニールにリーダーとして責任を感じているのを見抜いた使い魔は、大丈夫ですよ、と優しく声をかけた。 「きっとみなさんわかってくれますよ。そういう彼らだからこそ、マスターは共に行動しているのでしょう?」 その通りだった。きっと今こうして彼らに気を遣っていることがわかると怒り出すだろうぐらいに、皆は自分を「仲間」として受け入れてくれている。 使い魔の顔を見ると、頷きが返る。 その行為に背中を押され、先に進んでいる仲間に声をかけ、クレヴァニールは元来た道を辿り始めた。 ■■■ そう遠く離れていなかったので、少し歩けば橋の元に戻ることができた。 もしかしたらアルフォンスはどこかの前線に向かってしまっているかもしれないとの不安は、鮮やかな朱の色が視界に入ったことで杞憂に終わる。 そのまま近づこうとしたのだが、アルフォンス傍に誰かいることに気がつき、思わず立ち止まってしまう。 近くにいた兵士がこちらを気遣ってアルフォンスを呼ぼうとしたのだが、首を振って断った。 アルフォンスの隣にいるのは、彼の双子の兄だった。 そうだった、とクレヴァニールは苦い気持ちになる。アルフォンスという人物をこの世で一番知り尽くしているのはクリストファーだ。 25年間互いに支え合ってきて今があるのだとアルフォンスは言っていた。クレヴァニールがアルフォンスと知り合えた時間とは比べものにならないほど、あの兄弟は思いを共有してきている。 そして今、アルフォンスは笑っている。 普段のあの穏やかな笑みとまではいかない苦笑に近いものだったが、それでもクレヴァニール達と別れる直前の悲しい表情は収まっていた。 適わない、と思った。 アルフォンスをなんとかしていつもの彼にもどそうと己は散々言葉を探し、そして結局は何も言えず終まいだったというのに、クリストファーはおそらく自然のままで接してアルフォンスの苦悩を和らげたのであろう。 羨ましさを味わうと同時に、自分の情けなさに腹が立った。 戦闘でいくら手助けをしようとも、肝心の心を支えなければ何の意味もない。 それでも、とクレヴァニールは短く嘆息する。 自分がそうさせたわけではなくとも、アルフォンスの気が少しでも晴れてくれてよかった。例え今アルフォンスと接しているのがクリストファーではなくて己だったとしても、彼の翳りを除けたとはあまり思えない。 クリストファーという人物がどれほどアルフォンスを支えているかを改めて思い知らされ、クレヴァニールは苦笑するしかなかった。 無駄足だったな、と見張りに己が来たことは内密にしてもらい、仲間のもとへ戻ろうと振り返る。 しかし数歩足を進めたところで知った声に名を呼ばれて足が止まる。 「クレヴァニール!」 どこか驚いたような声は、振り返らずとも誰だかわかった。 しかし複雑な思いを抱え、会わずと帰ろうとしていたところにかかった呼び掛けは振り向きがたく、どうすべきか逡巡していると今度はもっと近くで名を呼ばれる。 それにも反応を見せないでいると、肩を掴まれ、体を反転させられた。 「クレヴァニール?」 「………」 「君一人なのか? 他の皆は…?」 先程まで一緒だった仲間も連れず、一人で戻ってきた自分に何かあったのだろうかと心配しているのか、アルフォンスの表情がまた少し翳っている。 それを辛く思いつつ、もう用事は済んだ、と言いここから去ろうとするのだが、明らかにおかしい様子のクレヴァニールを見逃すアルフォンスではない。 「……何か、あったのかい」 口調を変え穏やかに尋ねてくるアルフォンスに、今更ここに戻った理由は言えるはずもなく、クレヴァニールは口篭ってしまう。 どうしたものかと視線をそらした先では近くまで来ていたクリストファーと目が合ってしまい、舌打ちしたくなった。クリストファーまで来てしまえばおそらくもう簡単には戻れまい。 「よっ、クレヴァニール。どうしたお前、いつも傍にいるちっちゃいのも連れやしないで」 「兄さん。それが…皆は無事らしくて、特に大きな事件もないらしいんだけど…」 「へぇ…」 アルフォンスの短い説明に何かを感じ取ったのか、興味深げな視線が居心地悪い。 そして出された言葉にクレヴァニールはここに来たことを改めて後悔した。 「お前、淡白で冷めた奴かと思ってたけど案外行動派なんだな」 「!」 「? なんのことだい兄さん」 「さぁ。俺は邪魔だってことさ」 おそらくクレヴァニールがここへ戻ってきた訳に感づいているのだろうクリストファーの発言は、しかし肝心のアルフォンスには通じていないらしい。 傍を離れようとする兄に慌てて意味を問うているが、自分で考えろ、とかわされている。 それを見ている心臓の悪さと言ったらない。 「そういうことで俺は離れるから、存分にクレヴァニールがここへ来た理由を問い詰めてくれ。ただし早くしろよ? すぐそこは前線なんだからな」 「兄さん!」 アルフォンスが呼び止めるのも聞かず、クリストファーはそう言って話し声も届かないような遠くへ行ってしまった。 残されたのは沈黙と気まずさである。 「………」 「…クレヴァニール」 自分には言えないことなのか、とを滲ませる悲しみ交じりのその声音に、クレヴァニールは覚悟を決めた。 どうせクリストファーに気付かれてしまったのだ。それにここで黙っていては要らぬ心配をアルフォンスにかけてしまう。 ――元戦友を斬り、覚悟していても味わった苦しさに顔を歪めるアルフォンスに自分は何もすることができなかったこと。 ここを去った後も気が気ではなくて戻って来てみたものの、クリストファーという大きな存在を前に無力さを痛感したこと。 できるものなら自分がアルフォンスの気を晴らしてやりたかったこと。 結局は何も出来ていない自分を半ば嘲りながらそう告げると、アルフォンスは口元を手で抑えて俯いた。 「…やばいな」 そして何事かを呟いたかと思えば、腕を捕まれて林の中へやや強引に連れて行かれた。 何を、と口にする前に抱きしめられ、クレヴァニールは目を見開く。 「もう、その言葉だけで僕は助けられてるよ。ミュンツァーのこともだけれど、これから先のことも大丈夫だと誓えるぐらいに強くなれる」 「………」 耳元で紡がれる言葉を嬉しく思いながらも、しかし今彼がそう感じるのはクリストファーがアルフォンスを立て直して気持ちに余裕が出来たからこそではないのか、とクレヴァニールは思った。 「確かに兄が喝を入れてくれたおかげで完全とはいえないけど早くに立ち直ることはできた。それでも兄は兄、君には君って別の次元で頑張ろうと思わされるから関係ないよ」 「……?」 意味がわからない、というのが雰囲気で出たのか、アルフォンスは一度軽く笑って「つまり」と続けた。 「兄に励まされると"しっかりしなければいけない"と悲痛な気持ちでなく前向きにそう思えるけど、君だと…なんだろう。天から"加護"をもらっているような、そんな気持ちになる」 「加護?」 「君の存在が力の源、って意味だよ」 とてつもなく恥ずかしいことを言われているのがわかって、クレヴァニールは思わず俯いてしまう。言う相手が間違っている気がしてならない。 その行動にアルフォンスも自分がしている行動に気付いて、慌てて体を離した。 「…ごめん、君があまりにも嬉しいことを言ってくれたから箍が外れたみたいだ」 こころなしか顔に赤みがさしているその表情に、今度はクレヴァニールがつられて目元を染め上げる。 同時に抱きしめられていた感触も自然と思い出され、しばし二人して顔があげられないくらいの照れを味わった。 「…でも、ありがとう。君とこうして話が出来てよかった。もしあのまま戻る君に気付かずにいたら、確かに兄に励ましはもらっていたけど、それ以上の活力を受けないまま戦を続けていたところだったから」 にこりと微笑むアルフォンスに言葉を返そうとしたのだが、遠くから彼を呼ぶ兵士の声に遮られた。そろそろ部隊を先へ進めるのだろう。 既にクレヴァニールの目的も果たせた以上、互いの目的を思えば早急に切り上げなければならないのだが、それでも離れるのは惜しかった。 時間か、と呟くアルフォンスもどこか寂しげに感じられ、切なさは募った。 「最後にひとつお願いしたいんだけど」 少しの間の後の突然の言葉に顔を上げれば、彼は少しはにかんでこう言った。 「その……もう一度抱きしめてもいい、かな」 ■■■ 「お帰りなさいマスター。どうでしたかオーディネル卿は」 仲間のもとへ戻ると、まずは使い魔が出迎えてくれた。 その声にクレヴァニールの帰還を知った他のメンバーもアルフォンスの様子を問うて来て、クリストファーによってだいぶ吹っ切れたみたいだと告げると、皆一様に安堵の息を漏らした。 たくさんの人に慕われているアルフォンスを嬉しく思い、クレヴァニールも微かに口角を上げる。と、そこへ声をひそめた使い魔がやってきて、クレヴァニールの耳元で囁く。 「でも卿は、マスターが来たことをとても喜んだでしょう?」 その言葉に先程の林の中の場面が思い出され、思わず言葉に詰まってしまう。 そんな様子のクレヴァニールに微笑み、そして確かめるように尋ねてきた。 「では、もう大丈夫ですね? まだ戦いは続くと思いますが、自分自身はもちろん、世界中の人のため、そしてオーディネル卿のためにも頑張りましょう」 その言葉に、クレヴァニールは力強く頷いた。 くっつく直前て感じでしょうか。クレを喋らせない方が違和感ないのだろうかと試みたんですが…どうなんでしょう。結局一言喋ってるし。 アルフさん、そのうちクレに「羽が生えてこのまま飛んでいってしまいそうだ」なんてその道最上級とも言える台詞をかましちゃいそうな勢いですね。 |