その日の料理は思わず自画自賛してしまうほどのおいしさだった。
普段は可も不可もない、どちらかと言えば失敗寄りの腕前なのだが、今回はどうしたことか、一口で美味いと感じるパスタが出来上がった。
自分の腕前を自覚しているルークは、これが偶然の産物であることがわかっていた。
だから一回限りのこの味をどうしてもアッシュに味わわせたくて、通り過ぎた街に引き返してまだ残っていた彼の腕を掴むと、少し離れた場所にあるキャンプまで引きずり出してきたのだ。


「ほら、すごくね?」


不機嫌極まりないアッシュの態度も目に入らず、ルークは温め直したパスタを眼前に突き出す。見栄えは普通だが香りが素晴らしく、味も期待を裏切らないことを確かめ済みだ。自信満々のにこにこ顔で、恋文を渡す少女ように両手を添えて「早く食べてくれ」とアッシュに迫る。


「貴様……まさかそれだけのために俺をここまで引っ張り出したんじゃないだろうな」
「え、そうだけど? あれ、俺言わなかったっけ?」
「たかがそんな理由で街に引き返す馬鹿がいるなんて思わねえだろうが!」


吠えるように言葉を放たれ、ここでルークはアッシュの怒りに初めて気付いた。
確かにここに来るまでにも彼は愚痴愚痴言っていたが、それはもう性格なのだろうと特に気にすることもなかったのだ。しかしこの咆哮具合からすると、アッシュは本当にご立腹なのかもしれない。
ちらりと顔を窺ったが、いつも不機嫌そうな表情では本当にそうなのとの区別がつきにくい。怒髪天をつくほどの怒りならばわかるのだが、そこまでに到達しない程度の不快は残念だが見分けられないでいる。
もし眉間に皺を寄せている表情が本物だとすると、とりあえずパスタどころではない。


「あーっと……その、もしかしてアッシュお怒り? 迷惑? 実は俺の行動めちゃくちゃうざい?」
「迷惑極まりない上とてつもなくうざったい」


間髪入れずに告げられ、わかりやすくルークから焦りの雰囲気が立ち上る。


「いや、だってな、俺料理あんま得意じゃねえのになぜだか今日はすんごいの出来たんだぜ!? こんなの二度と作れないんだぞ! そう思うとアッシュだって食ってみたいって思うだろ?」
「思わん」
「即答かよ!」


冷たく言い放たれると、さすがにルークの頬も膨らむ。
確かに強引だったことは認めるが、ここまで美味いと言っているのだから一口ぐらい口にしてもいいではないか。
視線で促しても、しかし相手は腕を組んだまま動こうとしない。


「なあアッシュ、ほんの一口でいいから食ってくれよ。お前最近野営続いてるみたいだし、こういう素人が作った堅苦しくない料理の空気で少しは気も紛れるかなって……無理やりだったかもしれないのは謝る。ごめん。でもせっかくここまで来たんだし、な?」
「押し付けの労りなんか誰がいるか」
「うー」
「うー、じゃねえよ屑」
「あーもー! っとにお前は! 空気読めなかった俺も悪いけど、こういうのは素直に食っときゃいいんだよ! 素直に! なんでこんくらいのことすら出来ないんだお前!」
「うるせえ馬鹿屑! お前なんぞに性格矯正されてたまるか!」


ぎゃーぎゃーと間に皿を挟んで喚き合う二人に、側にいた仲間達はやれやれと首を振って関わり合いを絶とうと円を書くように距離を取った。
うるさいと注意するのは簡単だが、ルークひとりならまだしもアッシュもいるとなると次には責任のなすりつけあいになるので、こういうときは欝陶しいが放置が一番である。
誰もが早く終われと思う中、しかし、ある一人の少女だけはすくりと立ち上がってルークとアッシュの前に立ちはだかった。


「ちょっとよろしいですかしら?」


そう微笑んできたのはナタリアだった。
二人同時に振り返ると、笑みの下でルーク同様皿を持って二人を、いやアッシュの方向を向いていた。


「ルークがあなたを連れて来ると聞いて、私もその間にこれを作ってみましたの。アッシュ、よろしければ召し上がって下さい」


ナタリアが作ったのはチキン入りのサンドイッチだった。
味を染み込ませて焼いたチキンにソースをかけ、菜とパンで挟むという比較的楽な料理だが、やはり慣れないせいか、それともそれが個性なのか少々形は不揃いであった。
しかし普段のナタリアの料理ぶりから見ては比較的成功例だと見て取れる。問題は味だがそれこそ食べてみなければわからない。
想い人になにかしてあげたいという気持ちがそうさせるのか、ナタリアの表情は直前までのルークのそれと同じだった。
頬が少し紅潮して、どこかそわそわしている。アッシュに少しでも気を和らげて欲しい、そしてもしかしたら自分がそうさせられるかもしれないと胸を高鳴らせているのだろう。
ナタリアはルークがアッシュを彼女と同じ思いで好きなことを知らない。普段の逢瀬の量を考えるとここは気を遣って、より多く彼と時間を共にしている自分が引くべきなのかもしれない。
だが今日と同じ味を作れる自信はなく、そしてやはり引け目は感じつつも動きたくない思いがあった。


「あまり料理は得意ではないんですが、アニスに習って一生懸命作りましたの」
「……そうか」


ナタリアが絡めば邪険に扱うことも出来ないのか、先ほどまでのように不機嫌丸出しの気配は収まり、アッシュの目はナタリアの真新しく手当てされた指先のバンドエイドに落とされていた。それに気付いたナタリアが、恥ずかしそうにはにかむ。


「気をつけてたつもりなんですが一向に慣れなくて。苦労した割に見栄えも良くなく、人に出すにはふさわしくないのかもしれませんが……」


ナタリアが俯き加減になると、少しだけ柔らかいようなアッシュの声がかけられる。


「いや、よく出来ている。昔お前がシェフの見よう見真似で作ったものはひどかったからな。あれに比べればたいした進歩だ」
「まあ! そんな幼少の頃と比べるなんて」


少しむくれた様子を見せるが、過去の話をアッシュが覚えていてくれたことが嬉しいのだろう、ナタリアは柔らかく微笑んでいた。
同じ位置に立っていてもアッシュが話すのはナタリアで、ルークが決して立ち入ることの出来ない思い出話はつらいものでしかなかった。 出来ればあたたかいうちに食べてほしいパスタは時折吹く風にだんだんと温もりを飛ばし、ルークの目の前で自分の心と同じように冷えていく。
言葉を挟む事も出来ず、こちらに気付いてほしいと思いながらアッシュを心細い思いで見つめるが、わざとなのかどうなのかアッシュがこちらを向くことはなかった。


「あら、わたくしったらついつい話し込んでしまって……それでアッシュ、あの、召し上がってくれるかしら?」
「……ああ」


特に嫌そうなそぶりも見せずに返事をしたアッシュに、ルークは身を固くする。
そしてナタリアが着席を勧めるままにアッシュはルークを背にし、少し離れた場所の切り株に腰を下ろした。躊躇いもなく受け取った皿。サンドイッチに伸ばす手。
アッシュがそれを手にする瞬間を見ていられず、ルークは彼らに背を向けた。それを口にしたアッシュがどんな表情をしようとも、見ていられない。
とぼとぼと皿を持ち歩きながら、とりあえずの問題としてこの可哀相なパスタをどうしようかと悩む。
皆もルーク同様に食事は終えたばかりであるし、冷めかけたこれを差し出すのも憚られた。ミュウならば喜ぶかと思ったが、流石にこれほどの量は無理だろう。そうこう考えているうちに、苦笑したガイに手招かれていることに気がついた。
それがわかるや否や、溜め込んだ鬱憤を情けない顔で兄貴分に泣きつく。


「ガイー、不戦敗したー、立ち直れねー」
「まあまあ、気持ちはわかるがそんなに肩を落とすなって」
「だって、俺だって一生懸命頑張って作ったのに……」


ナタリアのように料理をした証拠の切り傷や火傷の痕はなく、もともとがアッシュのためにと作ったものではない。
それでも出来たこの味をアッシュに食べさせたくて、おいしいと言ってもらいたくて、迷う時間も勿体ないと呆れる仲間にも構わずに飛び出したのである。それは己の自己満足なのかもしれない。だけど確かに自分たちと同じように戦い続きのアッシュの気を和らげたいとの思いも大きくあった。
しかしそれでもアッシュにいらないと言われれば、為す術もない。


「いいなーナタリアは……」


女々しいとわかっているが、こういうときはいつもナタリアに嫉妬してしまう。
アッシュのおそらく弱点であろう彼女は、どんな行動に出てもアッシュは受け止めてくれる。自分のように突き放されることはまずないだろう。
女だから、というだけではない理由がおそらくアッシュにはあるはずだ。その逆で庇護対象ではないという理由だけでアッシュがこちらに冷たいわけではないのだろう。


「まあ、あいつも素直じゃないからな」
「素直なら食ってくれたのかよ」
「意地っ張りと照れ屋も治せばな」


なんだよそれ、と唇を尖らせ、ルークは完全に冷める前にとフォークを手に持つ。
このまま捨てるのはいくらなんでもパスタと自分の気持ちが可哀相であったので、寂しいことだが自分で食べることにした。
アッシュにこれを食すか否かの最終確認はしていないが、それこそ今更だろう。巻きつけた麺を一口含み、溜め息交じりで零す。


「美味いのになあ……っとに馬鹿アッシュめ」


もう二度と美味いものが出来ても食わせてやらねーし、お前のためになんて作ってやんねー。
拗ねながら咀嚼するパスタの味は初めて食べた時ほどではなくて、腹いせに具をアッシュの顔に見立ててフォークを突き刺してやる。


「あーもう。自分で作った余りもんを自分で処理するこの哀しさったらないぞ」
「なんだ、嫌々食ってんのか?」
「だって他に食ってくれる奴いねーし」


アッシュに聞こえればいいとわざとらしく声を大きくして言うと、目の前のガイが笑って己を指差していた。


「俺がいるだろ」
「いやいや、気ぃ遣わなくたっていいって。さっき食事済ましたばっかりじゃん」
「遣ってないって。本当に今日のルークのパスタ美味かったし、まぐれだっていうならもう一度味わって置きたかったんだよ。アッシュのだからっていうから言わなかっただけで」
「……本当か?」
「本当本当。本音を言うと、一人前全部は入らなくて、半分だけぐらい食いたいなーって思ってたから、今のその量はかなりいい感じ」


にこやかな笑みを見せられ、ささくれ立っていたルークの心も少しは穏やかになる。
やはり持つべきものは親友だと、ルークは生涯何度目かわからないガイのありがたさを噛み締めた。お世辞でも美味しいと言ってくれるのは嬉しくて、ルークに微かばかり笑顔が戻る。
少し照れたようにフォークを置いて皿をガイの方へ押しやると、しかし流れのままフォークを持とうとしたガイは急に動きを止め、持ったフォークをもう一度皿に置いた。
やはりいらないのだろうかとルークが思ったとき、ガイはちらりとルークの背後に目を向けた後、満面の笑みで口を「あ」の形に開いてパスタを要求してきた。


「……は?」
「ほら、くれないのか? ルーク」
「いや、喜んでやるけど……」


ガイが促すものがわからないわけではない。
要求されたからといって特に嫌悪などを感じるわけでもないが、違和感はたっぷりあった。何か違う、と言葉尻をすぼめて訴えたが、ガイは知らんぷりをして大きく口を開け続ける。
なぜガイがいきなりこんな行動に出たのかはわからない。わからないが、食べてくれるんだし、とルークはそれに従いパスタをフォークに巻き付けてやった。
そのまま羞恥ゆえに素早くガイの口元へ持っていけば、さらなる爆弾発言が降りかかる。


「間接キスだな」


思いもよらない発言に吹き出し、差し向けるフォークを勢いのまま舌に刺してやろうかと思った。口を付けたものがなんだ、そんなもの幼少の頃からしょっちゅうじゃないか。何を今更言うのだろう。
怪訝な顔を向ければ、ちょっとしたお仕置きだとガイは言う。確かに羞恥心によるダメージは強烈だが、果たして自分はいつガイにお仕置きされるような行動を取ったのだろうと首を傾げる。知らないうちにまた何かやってしまったのだろうか。


「ああ、お前宛てじゃない」
「はあ? なら誰にだよ」
「いいからほら、食わせてくれよ」


あー、と声を出されれば、その行為を手っ取り早く終わらせる方法に思考が向き、疑問など吹っ飛んでしまった。
ああはいはいわかりましたよ、と口に入りやすい量に纏めたパスタ付きフォークをガイに差し出す。身を乗り出すガイにおかしなものを感じつつも、早く口に入れてしまおうと腕を伸ばせば、しかしどういうことか真っ直ぐ伸ばした腕はがしりと掴まれ、フォークのパスタはガイの口に入る前に静止した。


「え、あ、アッシュ!?」


腕を掴むのはいつの間に背後にいたのか、アッシュだった。
彼の行動の意味がわからずにうろたえていると、アッシュはルークの手首を掴んだまま手先にあるそれを口に含んだ。
信じられない出来事にルークはあんぐりと口を開け、アッシュを凝視する。
木の株に腰掛ける己の背後から無理な体勢で身を屈め、ガイの口に入るはずだったパスタをアッシュが食べた。しかも己の手ずから。


「な、な、なん……!」
「うるせえ黙れこれで文句ねえだろうが」


これ以上何もいうんじゃないという気迫に押され、ともすれば外に出ようとする言葉たちをルークは必死で口の中に留めた。
口を引き締めて耐えていると、更に驚くことにアッシュはルークの隣にどかりと腰掛けてくる。そしてすぐさまルークのフォークを奪い取り、残りのパスタをも口に運んでいく。
残り少なかったそれはすぐになくなり、みるみるうちに皿は綺麗になった。


「ほらよ」
「っ、アッシュ!」


空の皿を強引にルークに押し付け、そのまま立ち去ろうとする気配を見せたのでつい呼び止めてしまうと、ルークが言葉を続ける前にアッシュは振り返らないままで一旦立ち止まった。


「――味が濃い、麺を茹ですぎだ。お前の本気はまぐれでもそんなもんか」
「なっ!」
「次はもう少しましなものを食わせろ」


それだけを言い残し、今度こそアッシュは去ってしまった。
声をかけたが二度とその顔がこちらに向くことはなく、除々にその背中が見えなくなっていく。押し付けられた皿を持ったまま最後までそれを見送ったあと、ルークは愚痴愚痴と零しながらガイのもとへと座りなおす。


「っとになんだよあいつ! 食うなら最初の時点で食ってろっつーの! 何だよ何様だよ、最初の時ならともかく勝手に食っておいてなーに文句つけてんだあの馬鹿!」
「そーだな」
「大体、食ったらごちそうさまだろ! 勝手に食ったんだからそれぐらい言え!」
「ルーク」
「あ? 何だよ」
「顔、盛大にニヤけてるぞ」


指摘され、慌てて表情を繕って見せるが遅すぎた。
変わらずガイがにやついた笑みを浮かべてくるので、いっそ開き直ることにする。それにおそらくどうやってもこの湧き上がる嬉しさは押さえられそうにもないだろう。
なにせ半分以下の量ではあるがアッシュは食べてくれたのだ。
自信作にケチは付けられたが、最初から賛辞などは期待しておらず、逆にそんなことを言うアッシュの納得がいく料理を作ってやると意欲も湧く。
それに小声であったが確かにアッシュは「次」と言ったのだ。
未来へ繋がる言葉はまるで約束のようで、とてもじゃないが笑いを抑えることは無理だった。えへへとやに下がった表情になる。


「今度は何にしようかなー。なあガイ、アッシュって何が好きだったか覚えてるか?」
「アッシュの好きなものねえ……」
「チキンが好きなのは知ってるんだけどなー。なんかもうアッと驚くようなスーパースペシャル料理とかどっかに転がってないかなー」
「………。ああ、思い出したぞルーク。あいつはタコが何より好きだった。刺身なんかいいんじゃないかな、大ぶりの、吸盤がしっかりしてるやつなんか特に」
「へえそうなんだ!」


ありがとな、ガイ! と嬉しそうに笑みを零し、ルークは情報をくれたガイに多大な感謝をした。
そのガイが心の中でアッシュに舌を出しているのにも気付かないまま、ルークはさっそく彼の舌を唸らせる調理法を身につけてやると、意欲たっぷりでアニスのもとへと走っていく。
今度はまぐれでなく、ちゃんとした自分の味をアッシュに食べさせたい。そしてあの根性捻じ曲がりの彼にどうでも褒めさせてやる。
そのためならどんなにアニスの特訓が厳しかろうとも、挫けないでいられそうだった。おいしいものが作れて、アッシュも、そして自分も嬉しいのならこれ以上のものはない。
次にアッシュがこちらに来る日を思い浮かべ、ルークの頬は緩みっぱなしだった。













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