街を覆い尽くすような一面の白は、ルークの心を掴んで離さなかった。 ケテルブルク付近に立ち寄った時、なによりもまずルークは知識でしかなかった雪に目を奪われていた。ほとんど雪が降らないバチカルではこれほど大量の雪は見ることが出来ず、ルークの目はきらきらと輝いた。 同じ空から降りてくるのに雨とは全く違う形、そしてその冷たさ。これが地面に落ちても溶ける事なく積もっていくことが単純に凄いと思った。 道を進むに連れ積雪の量も増え、ルークの気分も高揚していく。 だから無事街に辿り付き、とりあえずホテルで部屋が取れて一段落着くとこう言わずにはいられなかった。 「な、な、ちょっとだけ外出て来ていい?」 「外? 何をしに……ってああ、聞いた俺が馬鹿だったな」 お前のその顔見てりゃ誰だってわかるわ、と返され、ならば話は早いとルークはガイに縋った。 「すぐ戻ってくるからいいだろ?」 「別に構いやしないが……ひとりか?」 「多分。だってみんなは別に雪って珍しそうじゃないし……」 一応は己のはしゃぎ様を自覚しているルークは、語尾をすぼめて顎を引く。 どうみても雪を見てテンションを上げているのは自分だけで、周りはむしろ歩き難さや気温に辟易しているようだった。 「さすがにここまで積もってると、どうしても鬱陶しいが先立つんだよ。それはそうと、ひとりで……か。どうするかな、なーんか危なっかしいんだよなぁお前は」 「まーた出たよ心配性。じゃあガイも一緒に来るか?」 「残念ながら俺は寒いのがあんまり好きじゃなくてね。それでなくても雪道歩いて疲れてるんだ、とてもじゃないがそんな元気はない」 「だろー? じゃあ俺ひとり決定な。てことでさっそく行って来るわ」 同行を断られたことを少しだけ残念に思ったが、自分ひとりでも全く構わないので気持ちは外へ出られる喜びだけに変わった。 部屋に入って一度脱いだコートを再び着込みながら、鼻歌を交えてこれからのことに胸を高鳴らせる。 そんな様子を苦笑で見守るガイは、お節介だとわかっていても忠告が口をつくようだった。 「ルーク、わかってるとは思うが、あまり遠くに行くなよ。それから屋根の下には近づくな。後は……」 「あーはいはいわかってるって。いくらなんでもちょっとガキ扱いしすぎだろ」 「ガキかどうかはともかく、無鉄砲で後先考えずに行動し、人の忠告も無視して厄介事に飛び込んでいくのがあなたですからね。保護者としては無駄だとはわかってても言わずにはいられないんでしょう」 「ジェイド……」 背後からの言葉に振り向くと、先ほどまではいなかったはずのジェイドがいつの間にかドアの縁に持たれかかってこちらを傍観していた。 天地が逆転してもジェイドには敵わないことを知っているルークは即全面降伏し、「おっしゃるとおりです」と耳に痛い言葉を素直に受け入れた。 ジェイドの顔を見ていると高ぶっていたテンションもやや普通に戻り、改めて気をつけようとルークは心に誓う。ここまで言われたのだから怪我でもすればさぞかしいいからかいのネタになるだろう。 「そうそう、雪国初心者であるあなたにあるものをプレゼントしておきましたので、何かあったらコートのポケットを探ってみて下さい」 「プレゼント?」 「ええ、開けてびっくり、の」 「開けてびっくり……」 実に怪しい言葉だったが、ジェイドからの贈り物という時点で既に抜群の不気味さだった。第一いつの間に入れられたかわからないところからして恐怖である。急にそのポケットの辺りが重くなったように感じられ、思わず手をそこから遠ざけてしまった。 中身を確かめたい気もしたが、それよりも今は早く外へ、だった。挨拶もそこそこに、小走りで外へと向かう。 「じゃ、行って来る!」 そしてルークの雪と戯れ初体験が始まった。 ■■■ 建物の外へ出た瞬間に感じたのは、バチカルでは味わうことのない強烈な寒さだった。 一旦暖まった部屋から外に出るのは確かにきついかもしれない。何となくガイの言うこともわかったルークだが、雪と触れ合いたいオーラ出しまくりの身にはさして問題ではなかった。 よし、と気合を入れてまずは思い切り駆け出す。 雪を踏む感触は相変わらず新鮮で、自分のつけた足跡を嬉しそうに何度も振り返りながら広場までを目指した。しばらく雪玉で遊ぶ子供たちを羨ましそうに眺め、結局は耐え切れなくて装置を扱わせてもらったりもした。 そして念願だった手の付けられていない積もりっぱなしの雪に顔面から倒れ込めば、初めて味わう感触に顔は緩みっぱなしだった。寒さなど全く感じずむしろ熱いぐらいで、雪の冷たさが気持ちいい。 頬と鼻頭を赤く染めてはしゃぐ様はまさに子供で、仲間たちがこの光景を見ていれば呆れていただろう。 一通りやりたいことは全てやり終えた後、ルークはしきりに地面を見ながらうろうろと歩いていた。 地面に付けられた犬と思われる足跡。 あまり動物の足の裏側は見たことがなかったが、こうして付けられた跡を見るとなんとも可愛らしい形をしていることに気がついたのだ。そのまま目は足跡に釘付けになり、その跡を辿って己も歩いていく。 足跡に雪があまり積もっていないことから、これは真新しいものに違いない。もしかしたらこの足跡の主に会い見えるかもしれないと期待を膨らませ、ルークはその行為に没頭した。 足跡は街の端の方へと続いており、歩くに従い次第に人の姿もなくなる。そしてその先に、今まさに足跡を付けている犬を見つけてルークは思わず駆け寄った。 「っうわ!」 だが、犬の手前で視界がぶれ、次いで身動きが取れなくなった。 驚いて己の体を眺めやると、胸から下の体が雪に埋まっている。混乱しながら見た先に「この先除雪用の池あり」という看板が目に入って血の気が引いた。埋まっている部分に水の感触はないが、それは集められた雪が水分を吸っているおかげであり、埋まった深さからするにここが池なのは間違いないだろう。 何か思う前に体が這い上がろうとしていたのだが、足首から下が雪に引っかかってどうしても抜けない。腕の力で頑張っても深さが深さで上手く力が入らなかった。 そしてついていないことに辺りに人の姿はなく、見つけた犬すらルークが落ちたことに驚いてどこかに行ってしまっている。更に悪いことに今は夕暮れだった。 入ったんだから抜けるだろうに、と足を動きまわしても効果はなく、むしろ足上の雪が崩れてさらに抜けなくなっていく。 泣きたくなるぐらいの状況下で、ふとルークはジェイドの言葉を思い出してコートのポケットを漁り出す。雪に邪魔されながらなんとか胸の辺りに入っていた紙切れを取り出し、藁をも掴む思いでそれを開く。 そして出てきた文字は――― 『だから言ったでしょう。反省なさい』 達筆な文字はすぐにぐしゃりと潰された。無事に戻れる時があったらまずはあの軍人に雪でもぶつけてやろうとルークは決意する。 もう後は祈るしかないと悟り、生まれて初めてというぐらいに神というものに祈りを捧げる。いくら大罪を犯した罰だろうと、ここで、こんな理由で朽ちるのは悔いがありすぎて泣くに泣けない。ミュウを連れて来れば良かった、と今更ながらの後悔をしながら必死で祈り続けた。 そして。 「……何をしている」 神はいた。それも、ルークにとって最上の神が。 「アッシュ!」 発見された事への嬉しさと、アッシュに会えた嬉しさが混じり、このまま果てることまでを考えていたルークは泣き笑いのような表情でアッシュに縋った。思いが溢れて咄嗟に言葉は出なかったが、その切羽詰った表情と体の三分の二が雪に埋まっているという状況を見てアッシュは何が起こったかを判断してくれたようだ。 「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまでアレとはな」 「……言うな。自分でも呆れてんだから――って、アッシュ」 「なんだ」 「助けてくれねぇの?」 ルークがどういう状況に陥っているかわかっているというのに、アッシュは離れた場所から腕を組んだまま動こうとはしなかった。 焦った様子もなく、ただ傍観している姿にルークも不安になってくる。 「え、嘘だろ。まさか俺、このまま……?」 「だったらどうした。こっちはお前なんかを助ける労力なんて持ち合わせてねえんだよ」 「で、でも俺このままだときっと死ぬぞ!? よくても凍傷とか!!」 「知るか。俺は一向に構わん」 「ひっでぇ!」 アッシュに嫌われているのは知っているが、いくらなんでも酷くはないか、とルークは思い切り悲痛な顔でアッシュを見上げる。 誰にも見つからずに朽ちるのは嫌だと思ったが、見つかっていながら放置されてるのはもっと嫌だった。 ああは言っているが結局は助けてくれるだろうと期待してみたが、どれほど縋ってもアッシュは腕一つ動かさないでルークを見下ろしている。 「アッシュってば!」 「………」 「アッシュ……なあアッシュー」 「………」 「………………アッシュ……」 媚びても怒ってもアッシュがこちらに歩み寄ってくる気配はなく、言葉も尽きると、もう名前を呼ぶことしか出来なくなる。 しかしその名前すら、反応がなければ次第に張りがなく弱々しいものになってしまい、あと五分もこれが続いたら間違いなく泣くと思った。 だがそれでもアッシュは助けてくれないのだろう。そう思うと拗ねた気持ちも沸き起こってきて、アッシュから顔をそむけて唯一自由にな腕に顔をうずめた。嫌われているのは哀しいことだった。 どのくらい時間が経っただろうか、ルークがしばらくそうして雪の冷たさを感じていると、小さく舌打ちが聞こえた。 「―――馬鹿が」 雪を踏む足音にまさかと思って顔を上げると、それまで動かなかったアッシュがこちらに向かって歩き出していた。顔はいかにも嫌そうな風であったが、それまでの腐った心は一気に晴れ、ルークは満面の笑顔に変わる。 「アッシュ……」 「誤解すんな。今お前に死なれたら戦力不足になるからだ。超振動を使えていなかったら誰がお前なんか」 「うん、うん」 「これは俺の意思じゃない」 「うん!」 理由なんかどうでもいい、アッシュが手を貸してくれるなら。助けてくれるということは、どんな理由にせよアッシュが自分に存在価値を見出していることを証明してくれるのだから。 しかしあと数歩というところまでアッシュが来たところで、事故は起こった。 「!」 「! アッシュ!」 見上げていたアッシュの顔が、雪のすべる音と共に突然同じ高さになった。 その体は誰かと同じように、胸から下が埋まっている。 「………」 「………」 吹く風が冷たいと思ったのは、何も気温のせいばかりではないだろうと思った。 「……なんつーか、その、俺たちってやっぱ同位体? って感じだよな」 「………」 「いやーなんか安心した。アッシュだって失敗あるんだ――っぶ!」 しみじみと呟くルークだったが、言葉の途中で顔に衝撃が走った。 ざらりとした感触、何よりこの冷たさは雪に他ならず、そう考えずともこれを投げたのはアッシュだとすぐにわかった。 「……っこのクソ馬鹿屑野郎! お前がアホな行動取るから俺まで巻き添え食っただろうが!」 「って! ちょ、お前! 冷たっ!」 何をするんだと睨む前にまた一撃を食らわされ、理不尽なものを感じたルークは己も傍にある大量の雪のひとかけらを掴む。 「そりゃ、最初にこの状況作ったのは俺だけど! 周囲よく確認せずにこっち来てはまったのはアッシュだろ!」 「うるせぇ! お前のせいったらお前のせいなんだよ!」 「横暴だ!」 一言終えるごとに雪玉を投げあい、どちらが悪いかを擦り付け合う。 息が切れる頃には互いの前髪からは雫が零れ落ち、アッシュの髪も降りていた。鬱陶しいと思ったが拭うものなど何もなく、その水分が外気に触れて冷えていく感触に、ただでさえ悪い状況が更に悪化したことを二人は悟った。 「あーもう、アッシュの馬鹿!」 「てめぇ、それが助けに着てやった奴に言う台詞か」 「だって憎い俺なんか放っておけばいいのに、巻き添え食らってアッシュまでこんな目にあって。アッシュに何かあったら、俺、ナタリアにどう謝ればいいんだよ」 「お前が助けろ助けろうるさかったんだろうが! ……しかもなぜそこにナタリアが出てくる」 「なぜって……」 将来の夫なわけだし、と続く言葉はどうしても音にはなってくれず、ルークの口内で留まった。 事実になるのだろうが、それでもそれは口にしたくなかった。言わなければそれが回避できるわけでもないのだが、それを言った後の自分の表情が保障できない。きっと祝福よりも縋る言葉が出てしまう。 途端に物憂げな表情になったルークに呆れた息をつく音が聞こえる。 「……ったくこの馬鹿。まだんなこと思ってんのかよ」 「え?」 「なんでもねぇよ屑」 この流れ的に聞き逃してはいけない言葉だとは想うのだが、聞き返してもアッシュは答えてくれなかった。 なんだかしょぼくれた気分になり、アッシュから視線をそむけて俯く。心も体もみじめな状態で、そう感じると寒さが身にしみるようになってきた。 足先などはもはや感覚はなく、濡れた上半身に当たる風がとにかく厄介で連続してくしゃみが出た。 アッシュはしばらくそんなルークを見た後、舌打ちしながらだるそうに両手を宙に構える。 「ったくうぜぇ……」 何をする気なのだとルークがその手元を見ていると、速攻で這い出ろよ、という声が掛かった。アッシュから立ち上る気を感じてまさかと思った瞬間、それは発動した。 (こんな場所でエクスプロードかよ!) 耳よりも体で圧力を感じたと思えば目の前の雪が盛り上がり、そして自分たちとは反対側に爆ぜた。 熱と衝撃に飛ばされた雪によって足元の辺りが脆くなり、呆気にとられつつも思い切り足に力を入れて白い塊を押しのける。出来た隙間に足は自由になったが、自由になるといっても脇から下が埋まっているので脱出には繋がらず、片方の足は依然雪に固定されたままだった。 ぐずぐずしているとありじごくのように足場が崩れ、そして今度は顔さえ出ることがなく埋まってしまう。その焦りが悪いのか、渾身の力を込めても足場の悪さに大した力は入らなかった。 すぐ横で地すべりのように崩れていく雪を目にしてルークは身震いをした。どうすればいいのだろうと固く目を瞑った瞬間、体を強い力で引かれて身を圧迫していたものから解放される。 「トロすぎる」 とうに抜け出ていたアッシュがルークの両脇を掴んでいた。 そのまま池から遠ざかったところで手が離され、地面に肘をつく。一拍を置いて助かったことを自覚すると、長い長い息が漏れた。体が自由に動くという当たり前のことにひどく安堵しながら、地面に仰向けに寝転がる。 「あー……やっぱり自由が一番だよな」 「アホかお前は。くだらないことしてないでさっさと戻れ」 「そうだな、結構濡れたし何より寒い」 少し吹雪いてきたせいで、寒さは絶頂だった。今の出来事で体は熱くなったが濡れた身では冷めるのも早く、風も雪も痛いほどである。 しかしそこでルークはアッシュを見た。ホテルが近い自分はいいが、アッシュはどうするのだろう。同じぐらいに濡れているアッシュはいつも通りの表情だったが寒くないわけがない。 しかしアッシュはそのままルークに背を向けてしまう。ホテルとは逆方向だった。 「あ、アッシュ!」 「……まだ何かあるのか」 「あの、その……俺、ちょっと足挫いちゃったみたいで……ホテルまで肩貸してくれると、ちょっと助かる、かも」 見え透いた嘘だった。 しかし普通に共にホテルへ戻ろうと告げても、おそらくアッシュはそれを撥ね付けるだろう。アッシュが粗末な嘘に気付かないわけではないので、結局は直接「一緒にホテルへ戻って暖を取ろう」と言っているのと変わりないのだろう。言ったところで付いてくるとも思えなかったが、言わずにはいられなかった。 堂々と付いている嘘なのでアッシュの顔が見られない。それでも彼が去る気配を見せれば服でも掴んでやると気を張って様子を窺う。 アッシュはしばし考えているようだった。 答えを待つ間も寒さは変わることなく、このままこうしていれば間違いなく体調を壊すだろうということは必至だった。そして収まっていたくしゃみをひとつ付いたところで乱暴に腕を担がれ、ルークの言った「肩を貸す」という状態になっていた。 言葉をかけようとすれば、黙れと遮られ、腕が引かれるままに早足で日の暮れた街を歩き始める。それはちゃんとホテルの方角へ向かっており、ルークは笑みをこらえることが出来なかった。風も強くなってひと風吹くたびに凍えそうになるが、アッシュとくっついている部分はひどくあたたかかいと感じた。 (アッシュは雪みたいだな) 触ると冷たいのに、ずっと触れていれば痺れるように熱くなる。体にはとても悪そうだが、触れずにはいられない。そんなことをひとりで思って笑いを漏らす。 一応は足を挫いている建前をいいことに、ここぞとばかりにアッシュにもたれながらホテルまでの道を歩いた。 辺りは吹雪いているが、ルークの心だけは春のようにあたたかだった。 まだくっつく前。この後ダブルでガイに正座で説教くらいます。 |