ライドウ ss






鳴海が出かけるというので、彼が出ている間ライドウは留守番をすることになった。
これといって用事もなく、悪魔召喚師としての役目も今のところない。ライドウは鳴海の頼みを二つ返事で受け、彼が帰ってくる短い時間を探偵所で過ごすことになった。
しかし電話は、鳴る時は立て続けに鳴ることもあれば全く鳴らない日もある。今日は後者のようで、外のざわめきが聞こえる以外は特に音のない空間だった。鳴海がいなければ世話をすることもないので動こうにも動きようがない。掃除をと思ってもつい先日施したばかりである。
どうしたものかといつもの場所で腕を組みながら立っていると、ソファの上で丸くなっているゴウトが目に入った。同時に先日手に入れた先端の穂に特徴のある草を思い出す。


「ゴウト」


声をかけると、閉じていた瞼が片方だけ開き、緑の色濃い瞳が現れる。それがライドウの手にしているものを見た途端に呆れを含んだ色に変わった。


「お前、俺は猫じゃないと何度言えばわかるんだ」


くどいほどに繰り返された言葉には答えないで、ライドウは手に持つエノコログサを振る。そうするとしばらくは無関心にそれを眺めているゴウトから落ち着きがなくなり、更にしつこく振っていれば黒い肢体が丸まって体勢を屈めるような格好になっていった。制止の声が掛かるが、聞こえないことにして、ゴウトが目を離さない穂をゆっくりとゴウトに近づける。


「ああ、この大馬鹿者が!」


耐え切れないという口ぶりでゴウトは唸った。叫びと同時に前足が左右に揺れる穂に伸び、ちょいちょいと突付いたり、床に押さえつけたりと忙しなく動き出す。穂先を移動させればゴウトもそれを追い、上下左右どちらへやっても食いついた。それでいてまだこちらに悪態をつく様子は何度見ても飽きないものだった。
しばらくそうしていた一人と一匹だったが、穂の下の茎が折れてしまったことを境に束の間の時間は終わってしまった。疲れたというよりも気落ちした様子でだらりとソファの上にゴウトは転がっている。普段ならそれで満足してライドウも退くのだが、なんとはなしに思い立ってそのやわらかい体を持ち上げる。そして腰掛けた自分の膝の上に乗せ、その背を撫でてみた。


「……猫ではないと言っているだろう」
「そうだな」
「おい」
「少しだけ」


西日に当たったゴウトの毛並みが美しくて、それに触れたいと思った。ゆったりとした手つきで黒光りの毛並みにならって滑らせると、観念したのかゴウトもそれ以上何も言わなくなった。首から尾の近くまでを撫で、手が宙に浮けばまた首へ戻す。単調な作業だったが飽きることはなかった。腿に伝わるゴウトのぬくもりに自然と肩の力が抜ける。
ゆるやかな空気を破ったのは開かれた扉だった。


「ただいま――って、昼寝かゴウト」
「お帰りなさい、所長」
「ああいいよ、座ってなさい」


鳴海の帰宅にライドウが立ち上がろうとすれば、膝の上にいるゴウトに気遣ったのか鳴海は笑ってそれを制した。ゴウトは起きているようだったが、今更動くのも面倒に思ったのか鳴海が帰宅してもライドウの膝の上から動かなかった。
上着をかけながら、珍しいゴウトの姿を見て鳴海がふぅんと頷く。


「なんかいいな、それ。なあライドウ、ゴウトごとちょっと端へずれないか?」


鳴海もソファに腰掛けるのだろうかと、言われるままゴウトに断りを入れ、そっと体を持ち上げながらソファの端に移動する。そして再びゴウトを下ろそうとすれば鳴海が片膝だけにしろというので、訝しみながらもそれに従った。すると隣に腰掛けた鳴海がライドウの空いた片方の膝に頭を乗せ、ごろりと横になった。


「所長」
「固いこと言うなって。それともゴウトはよくて俺は駄目なのか?」


駄目とかそういう問題ではないと思ったが、ライドウが咎めるような視線を送っても鳴海は動かずに勝手に置き心地のいい場所を探し出していた。
鳴海の頭が動くたびに起きるくすぐったいような感触に耐えていると、そのうちに場所を定めた鳴海がくつりと笑い出す。


「やっぱり男の膝枕は固いな」
「……そう思うのでしたらすぐにでもここから退き、女性の方にしてもらって下さい」
「まあ確かに感触を求めるなら女の方がいいんだろうけど、俺の心が一番安らぐのはこのちょっと固くてしかもうるさい口付きの膝だからなあ。そこに今こうしているのに退くなんて、そんな勿体無いことは俺には無理だね」
「またそんな戯言を」
「言うと思った」


言ったきり目を閉じてしまった鳴海をどうすることも出来ず、ライドウは途方にくれた。頭を持ち上げて落とすことは出来るが、流石にそれは気が引ける。さり気に膝を揺らしてみるのだが、仕返しのように鳴海が頭を摺り寄せてくるので対処のしようがない。その振動が伝わったゴウトに抗議の視線を向けられればお手上げ状態だった。
仕方なく鳴海の気が済むまで付き合ってやることにし、見せ付けるような溜め息をついてやる。

ソファの背にもたれながら、そういえば以前もこのようなことがあったと思い出す。
あの時は鳴海との立場は逆だったが、確かに鳴海の膝は悪いものではなかった。疲れていたからであろうが、人の体温を間近に感じるというのは眠気を誘うような安堵感があったのは確かだった。
今の鳴海も以前の自分のように感じているのだろうかと思うと、また不思議な感覚がした。己が施すものによって安らぐ鳴海の顔を見ていると、どこか満足感に近いものがある。
眼下の端正な顔は目を閉じていても穏やかさを醸し出していて、微かにもれる西日が作り出す陰影から目が離せない。形のよいくちびるが微かに動けば、それまで頭上にある時計の振り子の音と同じ速さで脈打っていた鼓動がふと早まったような気がした。



今ライドウの膝の上には、己の脚に頭をもたれさせ眠っている黒猫と、そして毛の跳ねたおおきな猫がいる。
毛色は違えどどちらも美しい猫たちはその目が開くまでライドウを虜にし、そして穏やかな時間へと導いたのであった。









しかし三匹目の猫は君だライドウ。
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