ライドウ ss






その日のライドウはかなり疲弊していた。
満月の夜の荒ぶる悪魔が集団で襲いかかってきたのを時間をかけて薙ぎ倒し、そのまま寝ずに学校で修学、探偵社へ戻れば依頼が舞い込んでおり、マントを架ける暇もなく捜査に当たった。そこで思いがけず強敵と出くわし、消耗戦の後なんとか勝利することが出来たが、肉体にも精神にも疲労の色が見えていた。
しかしそれを己の鍛錬不足だと思っているライドウは今の状態を人に悟られることをよしとせず、探偵社に戻っても普段通りでいられるようにと努めた。幸い自分は思いが外に出にくい性質で、それは簡単なことに思えた。


「お疲れライドウ」


社の扉を開いていつものように帰宅の挨拶をすると、労りが滲んだ言葉がかけられる。捜査の後の言葉は通常よりもやわらかいように感じられ、それがどうにも胸にくすぐったいライドウはいつも言葉が続けられない。帰宅を望まれ、あたたかく出迎えてくれる人がいるということは今までの生活ではなかったことで、鳴海の笑顔を見るたびに言いようのない安堵感が生まれる。彼の顔、社に漂う珈琲と煙草の匂いを感じてはじめて帰ってきたのだと実感する。そうするとたまっていた疲労も少しは和らぐような気がした。
これが家というものなのだろうかと思いながら事件の解決を報告し終えると、そうかと鳴海は笑ってライドウに着席を促した。


「いえ、食事はまだなのでしょう? ならばこれから作ります」
「って、お前昨日とか寝てないっぽいけど大丈夫なのか」
「これぐらい大したことではありません」


本当は疲れもしているし、出来ることなら鳴海が促すままに座りたいと思うが多少の見栄はあった。自分に課せられた役目を果たせないという情けない思いもしたくはない。
残っていた食材を思い浮かべ、何を作るかを脳裏に描きながら包丁を持った。普段と比べて多少は材料の切り口に乱れがあったが、よほど注意していなければ気付かないほどなので気にかけないでおく。どうにか一汁三菜を仕上げ、手が抜けているような箇所が見当たらないことに満足して食卓に並べる。これでひとまずの仕事は終わった。
その後の会話でも疲労が見えないようにあくまでも普段通りを装い、それに従事した。おそらくそれは成功しているのだろう、鳴海は特に何も言わずに箸を進めていた。

しかし萎える気をどうにか奮い立たせて洗い物を済ませると、ソファの上で鳴海が手招きをしていた。どうしたのかと思いながら誘われるままに隣に腰掛けると急に肩をつかまれて視界が回る。
己の体勢気付いて咄嗟に起き上がろうとすれば「まあまあ」とそれを阻まれ、何の真似かと鳴海を見上げれば普段通りの顔がそこにあった。


「お前疲れてるだろう。そういうときは無理せずに素直に甘えておけ」
「疲れてなどいません」
「そうか。じゃあ俺が誰かを甘やかしたい気分だからそれに乗ってくれよ」
「所長」
「上司命令」


ぴしゃりと言いつけられるとライドウは何も言えなくなった。しかしだからといって鳴海の膝に頭を乗せてソファに寝転がっているというのはどうにも居心地が悪い。この体勢でどうすればいいのかと思い悩んでいると、鳴海が少し身じろぐ気配を見せた。


「ちょっと目を閉じてな」


言葉と同時に視界が一面白に覆われ、咄嗟にライドウは目を閉じた。そしてすぐにこめかみからこめかみまでを冷やりとしたものに覆われて身を固くする。


「大丈夫、ただの濡らした布だから」


気持ちいいだろう、と言われるとそうかもしれないと思った。疲れで多少ほてった体に布の冷たさはありがたく、閉じた目の上に乗るその感触は確かに悪くないものだった。知らずに長い息が漏れる。そうすると強張っていたからだの力も抜けていくようで、張っていた肩の力は緩んでいった。


「所長」
「ん?」
「……いつから気付きましたか」


ここまで来てしまえば、抵抗をし続けるのも馬鹿らしい。ライドウは観念して鳴海に白状した。
疲労した姿を見せまいと、これでも繕ったのだ。もとより表情のない顔に表れていたとは考えられない。行動とて鳴海が勘付いたような鈍い動きを見せたわけではない。それは自信があった。


「最初から、かな」


しかし鳴海はライドウが社に入ってすぐだと言う。
やはりどこからか漏れていたのだろうかと思うと、それまでの自信が少し揺らぐようであった。


「それほど無様な様を見せていましたか」
「いや、お前は普段通りだったよ。表情も相変わらずの無表情だし、動き一つをとってもきびきび動いてさ」
「ならばなぜ」
「でもなあ、なぜかライドウの表情、俺にはわかるんだよ」


その答えはライドウには理解が出来なかった。表情にも動きにも表れていない。なのにどうして鳴海はわかったというのだろう。
確かに彼は洞察眼に優れているのだろうが、こちらとて表情を完璧に消すことにも長けているはずだ。


「どうしてかわかるか?」
「わかりません」
「お前なあ、少しは考える素振りを見せろよ」
「考えてもわかりそうにありませんから」


本当に不思議だった。自分なら仲魔を使って読心術を使えばそういったことも可能だが、ライドウの知る限り鳴海に悪魔召喚師の力はない。当たり前だが彼が仲魔を連れていることを見たことがなければ感じたこともない。それは絶対だと言える。
もし彼が仲魔を使わなくても心を読むことが出来るというのなら、是非とも享受願いたい。


「馬鹿。俺は特別な能力なんて持ってないよ」
「では何故なんです」
「教えない」
「は?」
「ライドウがそれとなく気付くまで言わない」


それではずっと知ることが出来ないではないか、とやや憮然として言えば鳴海の膝が微かに揺れた。笑っているのだろう、小刻みに揺れる腿の上でその動きに沿わされながらライドウは言葉を待った。


「安心しろ。そんな寂しい状態が続くのは御免だから、いつか絶対気付かせてやるさ」


なぜ寂しさを感じるのだと問おうとしたが、ゆっくりと鳴海の手と思われる重みが目にかかるとその思いは閑散してしまった。程よい重みが瞼にかかるとどうしてか力が抜けてしまう。まるで一種の術のようだった。
しばらくそうやっていたのだが、自分の体温に加え、被せられる手の温度も相まって布があたたまってしまうと鳴海は一旦それを取り上げ、傍に用意してあったらしい水を入れた桶にそれを浸した。そう間を置かずに再度乗せられた冷えた感触は心地よかったが、鳴海がその上に手をかざすことはしなかった。それをどこか物足りないと思ったところでそんな考えに及んだ自分に驚く。人の気配があるだけで完全に気を抜くことは出来ないと思っていた自分が。里から離れれば誰のもとでもこうなっていたのだろうか。それとも。

いろいろなことを頭に思い浮かべていると、次第に意識がまどろんでくるようだった。思った以上に体は疲れを溜めていたらしい。このような場所で寝てしまえば格好が悪いしなにより枕になっている鳴海に悪い。微かな間だったが、体の強張りは解け、気も安らいだ。礼を言って部屋に戻ろうと身じろぎをすれば、それを察したかのように鳴海はライドウの肩をぽんぽんと叩いた。


「いいから。この後また外へ出るんだろう? それまでの間ライドウさえよければこうさせてくれ」


眠気がそうさせるのか、やわらかい声音だった。抗う気は瞬時に萎え、お願いしますとだけを呟き、意識が深淵に沈む。時折赤子にするように胸を叩く手さえも気にならず、ライドウは顔をほころばせる鳴海の表情を見ずに眠った。
意識が途切れるほんの寸前、口元にぬくもりが押し当てられるような気がしたが、それが現実なのか夢なのかの判断はつけられなかった。
ただあたたかいと、感じたのはそれだけだった。









ファンブックのラスト2Pで「無表情だけどへこんでた」云々の鳴海さんの箇所は大好きです。というかあの2Pは神。

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