ライドウ ss






暗雲漂う重苦しい空で、体までをも震わすような音が帝都に響いている。
夏の夕暮れといえば夕立だ。
まばゆい光を放ってからそう間を置かずに鳴り響いているそれは、だんだんこちらへ近づいてきているようだった。おそらくもうすぐ雨が降り出すことだろう。あれほどまでに晴れていた空が今は灰色に染まって空気も湿っていた。
耳に痛いような轟音はあの雲の中でどのように作られているのだろうと、ライドウは探偵社の窓から空を眺めていた。


「結構近いな。洗濯物は大丈夫か?」
「ええ、先程取り込みました」


背後からかける声は鳴海だった。珈琲を片手に持ち、いつもの気だるそうな仕草でライドウと同じように窓辺に立つ。その動きを見守った後、再び外に視線を向ける。まばゆく光る空に、瞬く間だったが稲光が見えた。


「そんなに雷が珍しい?」
「いえ、そういうわけでは」


仲魔が使う術に雷を使ったものがあるので、特に稲光や轟音が珍しいわけではない。里で近くの林に落ちる瞬間を見たこともある。
だがどうしてかあの空から目を離すことが出来なかった。

珍しく静かな間だった。
普段ならなにかと饒舌な鳴海もライドウに並んで珈琲を飲むだけで、特に何かを発するわけでもない。ライドウと同じように空を見上げ、止むこと無く光るそれに眩しそうに目を細めている。轟音で決して音がないわけではないのに、部屋は静かだった。
そうこうするうちにいよいよ雨が降り出し、蒸した空気を巻き込んで地面に落ちていく。はじめはぽつりと、そしてすぐにざあ、と音を立てて地面と窓を濡らし出すと、部屋の空間というものがよりいっそう引き立つようだった。


「結構降るな」
「ええ」
「ゴウトもこれではびしょ濡れだろう」


外に散歩に出ている黒猫を思って、鳴海は喉だけで笑った。それもそうだと、拭くものを用意しておこうとライドウが思い立って歩き出すと、鳴海は愉しそうに目を細めてライドウの背に言葉を投げかけた。


「これだけひどいとなると、多分くるぞ」
「何がですか」
「まあそのうちわかるさ」


曖昧な言葉に首をかしげた瞬間、視界から一瞬にして色が消えた。
光が落ち、辺り一体が雲同様灰色に染まった光景に停電したことを知る。なるほど、鳴海の言っていたことはこれなのだろう。明かりがなくては不便だろうにそれを楽しむというのはとても彼らしい。
夕暮れといえども外は暗く、もともとこの探偵社も明るくはない。稲光の灯す目の眩むような一瞬の光だけが光源だった。
建物や人に落ちなければいいが、と思いながら再び布を取りに行こうと歩みを始めると、ふとその手を引かれて窓辺に戻された。


「一体何を」
「いやいや、ライドウを助けようと思ってね」
「おっしゃる意味がわかりません」


ライドウの手を引いた鳴海は、そのまま彼を窓の横の壁に押しやり、その身に覆い被さってくる。いつもの戯れなのはわかっているが、今のライドウにはゴウトを拭くものを用意するという役割があった。そもそもそれを仄めかしたのはあなたではないか、といささか冷めた目で己を押さえつける男を見上げる。第一何から己を助けるというのだ。


「雷はな、探してるんだよ」
「何をです」
「美味そうな獲物をだ。邪魔な人工の光を落として、そして稲妻と共に地上に降り立ち、ゆっくりと近づいては探してるんだ」


暗い室内で、囁くように耳元に落とされ、ライドウの首が少し竦んだ。それをわかって鳴海はさらに唇をライドウの耳に近づけ、閨でのように甘く言葉を発する。


「だから雷が鳴っているときは身動きしないでこうやって……息をひそめなければならない」


何を根拠のないことを、と開いた口はそのまま鳴海の口に塞がれ、言葉を奪われた。
ゆったりと、しかし確実にライドウの弱いところを苛む鳴海の舌に抵抗できたのは微かな間で、すぐに腰は落ちた。壁伝いにずり下がる体と一緒に鳴海も体を落とし、更にライドウの口内を舐った。


「お前は見るからに極上品だからな。だからこうやって大人しく身を隠していないとすぐに見つかっちまう」


だからだよ、と殊更弱い耳の下に吸い付き、ライドウから微かに残っている抵抗をこそぎ取る。
なんて馬鹿馬鹿しい理論だと思いつつも、ライドウはその唇に逆らえなかった。
外では今まさに真上に雷雲があるのだろう、光と共に雷音が鳴り響いている。そら、もうすぐそこまで来てるぞ、とにやついた笑みで言う鳴海を突き飛ばしたい衝動に駆られたが、こういう状況でそれを為したことは皆無だった。
首やうなじを弄ばれていると次第に外の轟音も雨音も気にならなくなり、鳴海の肩を押していた手からは力が抜けていった。遊ぶように唇を舌でなぞられると、そこよりも中を、と無意識に首を伸ばして顔を相手に近づける。熱に翻弄される今では鳴海の与える感覚が欲しいと、それだけしか思えないようになっていた。

しかし部屋の光が灯り眩しさに目を眇めた瞬間、それと同時に鳴海の動きが止まった。
間を置かず彼はライドウから身を離して立ち上がり、熱を失い戸惑いの色を見せる目に己のからかうような表情を映させる。人の悪い、それでいてひどく魅惑的な表情だった。


「よかったなライドウ、雷様は行ったみたいだぞ。もう息を潜めなくても大丈夫だ」


言うなり、まるで今のことなど何もなかったかのように爽やかな笑顔で鳴海は部屋の奥へと消えていった。ライドウの熱を置いて。
消える直前に「続きはまた雷が鳴ったらな」と意味ありげに微笑まれたが、返事は出来なかった。

やがて予想違わず濡れて帰ってきたゴウトの、何をしているんだと言う目で我に返ったライドウは、憎憎しい思いで帽子の鍔を引き下げたのだった。


雷は今や遠い。









所長はちょっぴりS。へそ取るぞ話の鳴海アレンジ版。
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