「ルーク、こちらへ」


そうジェイドに呼ばれ、特に呼ばれるようなことをした覚えのないルークは首をひねりながら彼のそばに寄った。
己の首もとを指差し、虫に刺されたんですか、と尋ねてくる声に、はて、と眉をひそめる。特に痒くもなければ、触れても腫れているという感触もない。


「え、いや、特にそんなことはないと思うけど」
「そうですか。いえ、少々赤くなっているものですから気になって」
「うーん、気付かないうちに刺されたのかなあ」


自分では見えないので、そこがどんな状態になっているのかはわからない。
しかし虫に刺されていると言われるとなんだか痒いような気がして、ルークはかり、と爪を立てた。


「掻くのはあまりお勧めしませんよ。しかしそれは見てる方にも影響しますからねえ。予防のためにも、虫除けでも塗布しますか」
「あーそうか。虫刺されって、見てるだけで痒いもんな」


いくら痒みがないといっても気分がいいものではないので、素直にジェイドが差し出してきた薬を受け取った。
手の平で容易に包めるような大きさの容器に入った薬はジェイドお手製のものだろう。容器には何も表示されていなかった。
少し前ならこのような得体の知れないものは御免被ったであろうが、見るからに怪しい薬でも、最終的には望んだ効果が現れていた過去をふまえればそう気にするものでもないと最近は思っている。
容器の蓋を開けて固形状のものを指で掬い、そして刺されたと思わしき箇所に塗り込む。その後虫除けなら全体に塗った方がいいよな、と考えていると、都合よくジェイドが「念のため、あちこちに塗っておきましょう」とルークの手から容器を取り、塗布を手伝い始めた。そこまで、というような場所にも手をかけられたが、刺されるよりはましだとされるがままでいた。





その後、アッシュと会う予定だったルークは時間に遅れることなく約束の場所へ赴き、アッシュとのかけがえのない時間を味わっていた。
しばしの談笑の後、なんとなくそういう雰囲気になり、覆い被さってくるアッシュの顔に素直に目を閉じて唇を受ける。
いつまでたっても慣れないルークは、この瞬間が妙に恥ずかしくて未だに落ち着いて行為に耽る事が出来ない。いつだって、唇が重なる前は恥ずかしさでどこかへ飛んでいってしまいそうであるし、重なった後も生々しさにアッシュを掴む手が震えてしまう。
ちょっと唇が触れただけでもいっぱいいっぱいであるのに、このところ更にルークを翻弄させる事態が起きていた。


「……っ」


最近、アッシュはルークの首回りや鎖骨周辺など、衣服の下に唇を這わせることが増えてきて、ルークの思考回路をますます駄目にしてくる。
決してアッシュの施す行為が嫌なわけではない。吸われたり、緩く噛まれたり、つ、と舌でなぞられたりして感る感覚はむしろ好きと言ってもいい。
今回もか、と首筋に感じるアッシュの唇に嬉しいような恐ろしいようななんとも言えない感情で彼の背にぎゅっと手を回したのだが、いつも舌なりなんなりと動くものが、今回は始めに多少触れただけで動こうとしなかった。
どうしたのだろうと思っていると、眉根をくっきりと寄せたアッシュが顔を上げた。


「お前……ここに何を付けた」
「え、何って」


何も付けた覚えがない、と言おうとして、アッシュと会う前の出来事を思い出した。


「あ、そういや、ジェイドにもらった薬塗った」
「……なんの薬だ」
「虫除け」


それを聞いたアッシュは、とてもとても嫌そうな顔をした。気のせいかピシリと空気が凍ったようにも感じられる。
なぜアッシュがそんな反応するのか分からないルークは狼狽えたが、よく考えればそういうものが塗られた箇所を舐めれば顔を顰めるような味を感じていてもおかしくない。そういえば匂いだってあまりいい匂いとは言えなかった。


「ごめん、まずいよな、きっと」
「………」


自分のことのように痛ましげにアッシュの口元に手をやると、アッシュは相変わらず渋面のままこちらを見ていた。
どことなく気まずい空気になったので甘い空気はこれで終わりかと思ったが、アッシュは軽く鼻を鳴らした後、再びルークの体に顔を近づけてくる。
始めに触れた箇所に唇が降りると、やはり舌によろしくないのか、一旦はそこで止まった。しかし一拍後には普段のようにルークの背を反らせるに至る動きを見せ、アッシュへの気づかいを送る余裕がなくなる。


「!」


味覚に慣れたのか自棄なのかの判断を付ける前にアッシュの手は肌の上の服に伸び、ルークは思わず閉じていた目を見開いた。
襟元のボタンを外されるのはよくあるが、その下に手をかけられるのは初めてである。ぐい、と胸元までたくしあげられて思わ腰が引けたが、アッシュは構わずに普段は隠れているあばらのわきに顔を近づけた。


「ア、ッシュ……!」


ぞくりと走った感覚と未知の恐怖にアッシュの肩を押し退けようと手を突っぱねたのだが、アッシュは動かなかった。
何となくこのままではやばい、とある種の勘のようなものを覚えるルークはとにかく焦った。やばい。絶対にやばい。
しかし力を込めようにも、膝の間にアッシュの体があるのでうまく入らない。
未知の感覚に制止の声をかけようかどうしようか迷っていると、ふとアッシュの動きが止まっていることに気がついた。


(ん? あれ?)


先程までの勢いはどうしたのか、ルークから微かに顔を離したまま動かない。
呆気に取られるルークだったが、そういえばここにも薬を塗ったことを思い出して納得した。皮膚の薄いところには特別製を、とジェイドはもう一つ容器を取り出し、ルークに勧めたのである。
何も思わないではいはいと受け入れたが、アッシュの様子を見るに、特別製ということで味も特別だったのだろうか。


「………」


その味覚が余程のものなのか、アッシュは拳を作って震えていた。拳はそれは強固に握られており、ぎちぎちと革のきしむ音がしている。
苦かったにしても怒りすぎだろうと思うルークはとりあえず肌蹴た服装を正し、なるべく気に障らないようにアッシュに二、三度声をかけてみた。
反応はなかったが、勇気を出してしつこく肩を揺さぶると、しばらくの後でようやくアッシュは側の小枝を拾い、地面に滑らせる。


『麻痺剤だ』
「えっ、ま、麻痺!?」


なぜそんなものが、とアッシュに言う前に彼の手の中の小枝が折れた。
めらめらと音がしそうなぐらいに怒りのオーラを発する姿は、ちょっと声が掛けられない。怒りのあまり言葉が出ないというのもあるのかもしれないが、彼の言葉が本当なら舌が痺れて声が出せないのだろう。
たかが虫除けの薬にそこまでやるか、とそんなものを塗布した自分の体の具合が気になるルークには当然ジェイドの本当の意味の「虫除け」はわかっておらず、そしてそれが今正しく効果を発していることには気づかなかった。













>>戻る