その日会ったアッシュは、ルークの肩を見て嫌そうに顔を歪めた。


「なんだそれは」
「え? それってもしかしてミュウのことか?」


アッシュの視線の先であろう、己の肩に鎮座しているミュウを抱え持つと、彼はそうだと言わんばかりに眉根を寄せて応えを促した。


「あー実はジェイドからの仰せで……えと、その、いちゃつく暇があるならたまには役に立て、とのことで……」
「………」
「俺とアッシュで、この先のダンジョンで取り残したアイテム回収してこいって」
「……つまり性能がよくなったそいつを連れていないと無理な場所なんだな」
「そう! さすがアッシュ」


話が早い、と喜べば、思い切り冷たい視線を返された。
それもそうだろう。いかにも人に遣われるのが嫌いです、という性質のアッシュに使い走りを告げているのだから。しかも正当な理由があるわけでもない。むしろおちょくられている感がひしひしと滲み出ている。
これは無理だろうとジェイドに言ってみたのだが、彼はいつもの笑みで「大丈夫ですよ」を繰り返した。不機嫌に晒されるこちらの身にもなってほしいと思いながらもアッシュと逢瀬していることを引き合いに出されるとどうにも弱く、結果、大した反論もできずに、大喜びのミュウを連れてきてしまってここにいる。


「………」
「………」


沈黙が痛かった。
やがて何も言わずにアッシュが背を向けたのを見て「やっぱり無理だったか」と肩を落とす。
実のところ、アッシュと二人でダンジョンへ、という状況を楽しみにしていたりもした。ルークとてはじめはお使いに不満顔だったが、ジェイドに「アッシュと一緒に共闘ですよ」と囁かれて速攻で笑顔になっていたのである。
だが自分は楽しみでも、アッシュはそうではないのだろう。
やはりな状況に落胆して目についた青い生き物をぐにぐにいじりはじめたルークだったが、かけられた声にミュウを落としてしまった。


「……おい、何をしている。面倒事はさっさと済ますぞ」
「え!? だって……アッシュ、行ってくれるのか?」
「行かねえとあの眼鏡のことだ、いつまでもネチネチいたぶるんだろうが」
「それはもう絶対に! だけど……」


いいのか? と困ったようにアッシュを見ると、しつこい! と怒られてしまった。
それが嬉しくて嬉しくて、怒鳴られたにも関わらずルークの頬は緩みっぱなしになる。微かな時間だがアッシュと探索が出来るのだ。きっかけが無理やりでも、嬉しい事には変わりない。
にこにこ顔で落ちたミュウを頭に乗せ、ルークはずかずかと先を行くアッシュの元へと走り出した。





■■■





ダンジョン自体はモンスターがそう強くないので、回復術の乏しい二人でも大して苦に思う事なく進んで来ることができた。
ただやはりというか、アッシュとの言い合いは事あるごとに起きており、狭い洞窟の通路で二人の言葉が響いていりする。


「だから角度が甘いと言ってるだろう」
「そんなこと言ったって、これ結構微調整難しいんだぞ」
「ああ苛々する、貸せ!」
「嫌ですの! ミュウはご主人様以外は嫌ですの〜!」
「っ、この屑共が!」


今も遠方にある、燃やして下さいと言わんばかりの蔓の集合体をミュウの炎で焼き落とそうとしているのだが、この行為があまり得意でないルークは何度も違う方向に打ってしまい、じれったさに切れたアッシュから怒られていた。
ルークとて代われるものならぜひとも代わって欲しいが、ミュウがどうしても嫌だと喚くのでたまらない。仕方なしにアッシュの毒舌を受けながら苦手なミュウファイヤに励むのだが、ミスを重ねるたびにアッシュの苛々オーラが届いて居心地が悪いことこの上なかった。
なんとかミュウの炎を蔓に当てることに成功した頃には、額にしっとりと汗が滲んで体もぐったりである。


「疲れた……」


ふう、と長い息をついて肩を下ろすとはしゃぐミュウが見え、一番疲れているはずなのになぜこいつはこんなにも元気なのだろうと首をひねらずにはいられない。
とりあえずよくやったという意味を込めて頭をわしわし撫でてやり、さっさと蔓の中から出てきたアイテムを回収しに向かっているアッシュの後を追いかける。


「っとに、あいつは待つってことを知らないのかよ」


せっかくの二人の冒険なんだからもう少し側にいてもいいのに、と遠い背中に思う。
本当にアッシュは自分を大事にしてくれない。むしろぞんざいに扱っているといってもいい。モンスターに攻撃を受けた時も心配どころか馬鹿にした声が飛んでくる。こっちはアッシュの微かな呻きを聞いただけでも焦るというのに、この差は何だろう。
それは今更のことだとわかっているのだが、あまりにもつれないと自信をなくすというものである。優しく、とまでは言わないが、もう少しこう目に見えるものがあってもいいと思うのは高望みしすぎなのだろうか。
そう思うとやはり心は拗ねの方向に向かって行き、ルークの唇も尖っていく。そして少し考えた後、ちょっとぐらいはぶちまけてやろうと憎い背中向けて走り出した。
しかし二人のいる道は細く、一部が苔に覆われていた。不運にも足元をよく見ていなかったルークは茂る苔上に足を乗せてしまい、勢いがついていた爪先は思い切り横に滑ってしまった。


「――っ!」
「ご主人様!」


咄嗟にこの下層までの深さを思い出して青ざめるが、体はもう立て直せないほど傾いていた。
落ちる、と目を固くつむった瞬間、宙に浮いた腕を引かれ、次に腰も強く引き寄せられる。


「気をつけろ馬鹿」
「あ……」


間近にあるアッシュの彼に、彼が自分を引いて助けてくれたのだと知った。
状況の混乱と脈打つ胸に咄嗟に何も言えないでいると、すぐにアッシュは体を離してしまって再び背中が遠くなる。
まだ体は恐怖を覚えているのか心臓はどくどくとうるさく、体も固まって声が出ない。
小さくなる背中から視線を外せずに見つめ続けていると、傍にいたミュウが顔を覗き込んできた。


「ご主人様大丈夫ですの? 顔がとっても赤いですの!」
「う、うるさいっ」


今の感覚が恐怖だけでないことを自覚しているルークにとっては、ミュウの突っ込みは照れるものだった。
確かに恐ろしい思いに体が竦みはしたが、このうるさい心臓も放心状態も、間近で見たアッシュに助けられたことも少なからず含まれている。
一言でいえば、格好いいと思ってしまった。
そっけない態度も、窮地を救われたというフィルターが掛かっているのか背中が輝いて見える。
掴まれた腕と腰にはまだ感触が残っており、たった一瞬のことなのにどきどきが止まらない。落下しそうになったという理由だけではないのだろう。
ああ、なんて自分はアッシュ馬鹿なのだろうか。
先ほどとは真逆の思いに単純だと自分自身に突っ込むが、格好いいと思ってしまうものは仕方がない。
時間がたてば余計に頬と胸に熱が集まってくるようで、ルークはアッシュが見えなくなってもしばしその場から動けなかった。





■■■





そしてなんとか無事にアイテムの回収も済まし、ルーク一行はダンジョンの入り口まで引き返していた。
このままいけばモンスターに遭遇することもなく外へ出られるだろう。
しかしあと少しで日光を浴びることが出来るという位置でルークの足は止まった。
途端に面倒そうに視線をよこしてくるアッシュの服の裾を掴み、顔を伏せて言う。


「あのさ……なんか、離れ難いな、って」


普段の逢瀬とは違って今回はとにかく動いた。
共に行動し、考え、解決に向かう一連の行動は今までにはないもので、楽しむことは不謹慎なのかもしれないがルークの心はずっと湧き立っていた。
だからなのかいつも以上に時間が経つのが早く感じられ、ここを出れば別れるのだと思うと手が離せない。
このままずっとアッシュと一緒に旅が出来たらいいのに。
いつも言葉には出せずにしまってあるそれが今日は一段と強く感じられ、ルークは唇を噛んだ。


「なんつーかこんなに寂しくなるなんて思わなかった」


いつもみたいに、別れる時はそれは寂しいだろうが、ここまで離れることが苦痛になるとは思っていなかった。
アッシュと旅をしたいという、普段心の底で思っていた願望が叶えられることになった代償がとても心に痛い。出した声が思った以上に情けないものになってしまい、その響きにますますルークの頭は垂れていく。
アッシュは無言だが、呆れているか、こんな自分の対処法に困っているのだろう。疎ましいと思われたくないのだが、やめることはできなかった。
続く沈黙。しかし先に言葉を発したのはアッシュだった。


「おい、そこのチーグル。洞窟の外に危険なものがないか見張りに行け」
「アッシュ?」


意外な言葉に怪訝な顔を上げると、お前は黙ってろと一瞥された。
そのままアッシュはルークの肩のミュウに視線を合わせ、話を続ける。


「お前はこいつの役に立ちたいんだろう」
「はいですの!」


アッシュの言葉に耳をぴんと立て、勢いよく返事をするミュウの目は輝いていた。
それが己の存在意義だと思っている身からすれば、アッシュの言葉に張り切らないではいられなかったのだろう。
しかしいくら主人の役に立つためとはいえ、アッシュの一言でルークが一喜一憂することを見てきた身としては、二人きりにすることに不安があるようだった。


「でもアッシュさん、ボクがいない間にご主人様いじめちゃ嫌ですの〜」
「………。いじめねえよ。それは保証してやる」
「じゃあ行くですの!」


アッシュの言葉をどう取ったのか、ミュウは喜んで入り口に向かってちょこちょこと走っていった。
おそらく単純に「ルークの役に立つ」ということと、普段はルークにきつく当たっているアッシュから「いじめない」と言う言葉を聞いて嬉しいのだろう。
その姿を見送り、展開についていけないルークはアッシュに率直に問うた。


「なんでミュウを先に行かせたんだ?」
「それをお前が聞くか鈍感屑」


ひどい言葉にむっとしたが、呆れ顔のままアッシュはルークのあごに手をかけた。
そのまま呼吸をふさいでくる唇にルークの顔が一気に赤く染まったが、気にせずアッシュはルークを壁に押し付けて覆い被さってくる。
どうやらアッシュは少しはこちらの想いを理解して、やわらげる行動に出てくれるらしい。
普段はすぐに離れることがある唇も今はたっぷり長く、そして執拗で、ルークは必死でアッシュにしがみ付くばかりだった。時折耳朶や首筋に触れる唇と舌と歯の感触に体が反り、熱のこもった息が漏れる。
いつもとの相違に思わずアッシュの背を叩いてしまったのだが、それでも行為が止むことはなかった。


「すご……」


唇を離した後。
腰が落ちる体は万歳の形で両腕をアッシュに掴まれ、中腰の不安定で見栄えも悪い格好で留まらせられた後、ゆっくりと地面に下ろされた。
つい唇を手で覆ってしまうルークにアッシュも腰を屈めて視線を合わせ、そして「馬鹿面だな」と告げて一度だけ軽く唇を合わせると、ルークの腕を引いて立ち上がらせた。
そのまま何事もなかったかのように歩き出し、ダンジョンの入り口も越えてしまったが、ルークに先ほどの胸の痛みはなくなっていた。
正直なところ、今起こされた行動が頭を占めていてそれどころではない。
どくどくと自分の心音ばかりが煩く、アッシュに掴まれている腕も熱い。アッシュは何も言わなかったが、聞けもしなかった。
そしてすぐにミュウとかち合い、そのままあっさりアッシュと別れることになっても、ふわふわとした思いが頭をしめてあっさりと別れてしまう。
ぎこちない挨拶をしたのはなんとなく覚えているが、あまりよく思い出せない。「せいぜい余韻に浸ってろ」という言葉を聞いたような気もするが、呆けていたので定かではなかった。

そのままふらふらとおぼつかない足取りで仲間のもとへ戻った後も、困ったことにいつまでたっても先刻のことが頭から離れてくれなかった。
今日はせっかくのダンジョン探索だったのに、共闘のことなど置いてアッシュと密着した事ばかりである。
引き寄せられた体も、唇を覆ったあたたかさも。そして熱いぐらいの熱でもって口内に触れられたことも。
そのどれもが頭をぽーっとさせ、何も考えられなくなってしまう。
ありがたくも寂しさなどは吹き飛んだが、これはこれで胸が苦しい。
そうして仲間が怪訝に思うほどの挙動不審さを見せたルークは、結局そのまま熱を出してしばらく寝込むという伝説を作ったのだった。













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