今日も今日とてアッシュからきつい言葉を受けていたルークは、彼の欝陶しそうな表情を見ながら盛大な溜め息をついた。 「人の顔見て溜め息なんざつきやがって、いい度胸じゃねぇか」 「あっ、いや別に!」 そんな訳じゃ、と続けようとした言葉は、アッシュの眼力に負けて留まった。 先ほどよりも深くなった眉間の皺にまた溜め息が出そうになり、口を手で覆う。何か言わねば、と思うのだが、理由がとてつもなく馬鹿らしいので本当の事を言うわけにもいかず、ルークは唸った。 そんな自分にアッシュが多少引き気味なのに気がついて慌てて取り繕うとするのだが、彼が気を持ち直そうとする気配はない。 (……やっぱりそうだよな、俺なんかそんなもんだよな) ルークの脳裏には以前の犬と猫が思い出される。 大切そうに、大事に慈しむように可愛がられていた彼ら。いつでもどこでも冷たい態度を取られ、ある一定の距離以上近付こうともされない自分とは大違いである。 彼らに接した半分、いや十分の一でもいいからアッシュに優しくされたい。 じ、とアッシュを見ると嫌そうに眉間に皺が寄ってへこんだ。 (あーもう、こうなったら奥の手使ってみるか……) できればあまり使いたくなかったんだけどな、とルークはティアから拝借した装備品を装着した。 「………」 「………」 「………………」 「………………」 「………………」 「………………何だそれは」 長い長い沈黙の後、ようやく反応を返してくれたアッシュは腐乱した生ごみを見るような目でルークを見た。 かつてない蔑視の眼差しに、ルークはこの作戦が失敗したことを知る。 「あー……その、猫、のつもりだったんだけど」 見えない? となるべく可愛く見えるようにと首を傾げれば、アッシュは更に嫌そうな顔をした。怒声も浴びせられないほど脱力した彼の状態を感じ取り、もともと恥ずかしい行為だったこともあってルークは頭のカチューシャをべしりと地面に叩き付けた。 しかしすぐにこれはティアのものだったことを思い出し、一瞬にして般若が見えたルークは慌ててそれを拾い上げて砂埃を払う。綺麗に落とし、見た目がどこも損なわれていないことを確認すると安堵の息が漏れた。 「おい、そこの変態」 「! へ、変態……!?」 「んなもん付ける野郎はどう見ても変態だろうが」 尤もだと思うルークに反論が出来るはずもなく、変態、という新しい侮蔑の単語にショックを受けていた。屑などとはまた違った感じで胸に重い響きである。 うちひしがれるルークに何なんだこいつは、とたまらずアッシュは彼の奇行の理由を問うていた。 「さっきから何がしたいんだお前は。いつも馬鹿だが、今日は輪をかけて馬鹿だぞ」 「……だって」 「理由があるなら言え、気持ち悪い」 口ごもれば、ぴしゃりと言い付けられ、言うものか言わないものかと迷ったあげく、ここまできたならどうにでもなれ、とルークは口を尖らせながら言った。 「……アッシュ、なんか動物好きみたいだし――俺、前見たんだ。ケセドニアとグランコクマでアッシュが犬と猫を撫でてるの。アッシュ、なんかすごい優しげで、あいつらいっぱい可愛がってて。すごく和んだんだけど、俺とは大違いだと思ったらなんかへこんで……。馬鹿だとはわかってたけど、これ付けたら少しはアッシュ、俺に優しくなるかなーって」 犬と猫の箇所を告げるとやはりアッシュの肩が揺れたが、それだけだった。逆上してすぐに背を向けるだろうと覚悟していただけに、意外な気持ちで彼を見る。 その顔は怒ってはいなかったが、実に複雑そうな顔をしていた。 「そんなことで俺の態度が和らぐと思ったのかお前は」 「いや、正直あんまり思わなかった。けど、もしかしたら、って思うと捨てることも出来なかった」 その答えに返ってきたのは盛大な溜め息だった。俯いていて彼の表情はわからないが、さぞかし呆れている事だろう。 予想していた展開だが、それでもルークは絶望的ともいえる可能性に賭けたかった。結果は見るも無残なことになってしまったけれど。 去るかな、去るかな、とアッシュのつま先ばかり気にしていると、突然にしょげていた頭が揺さぶられる。 何事かと頭を上げたかったが、頭を押さえつけているだろうアッシュによって阻まれた。アッシュの手と思われるものが自分の頭の左右を行き来している。何をされているんだろうと考え込み、ひとつの回答が導き出されるとルークの顔から火が出た。 (……アッシュが、アッシュが、俺の頭を撫でている……!) 撫でている、という言葉はふさわしくないほど乱暴な仕草だったが、それ以外では思いつかない。もしかすると新たな嫌がらせなのかもしれないとも思ったが、残念なことに自分は尻尾を振りまくる勢いで喜んでいる。 興奮に耐えていると、それに気付いたのかアッシュの腕が頭から離れていった。がばりと音がする勢いで顔を上げると、怒ったような表情のアッシュと視線がかち合う。 「アッシュ、い、今……」 「うるせえ! 何か言ったら刺す!」 そう言って背を向けるアッシュの腕を慌てて掴んで、刺すと言われたにも拘らずルークは叫ぶように彼に問いただした。 「なんでなんでなんでなんで!」 「うるせえって言ってんだろ! 俺と同じ顔であんなもん付けられたら迷惑なだけだ!」 そう言って腕にまとわりつくルークを引き剥がし、今度こそアッシュは去っていく。思わず手を伸ばしたのだが足が動いてくれず、ルークはそのまま呆然とアッシュを見送った。 しばらく静寂を堪能した後、ゆっくりとした動作で自分の後頭部に触れてみる。そこにいつもの感触はなく、つんつんと所々に跳ねている髪の感触にぶつかった。 本当に撫でられていたのだと思うと、どうしても顔が赤らんでしまう。犬や猫にしていたように優しい仕草ではなく、手を押し付けるような乱暴なものだったがそれでよかった。表情だってきっと慈しむようなものは何もなく、苦渋いっぱいの顔だったのだろうがそれでいい。何を理由にしても撫でてくれたことには代わりがない。 不思議と今はもうあの犬や猫もそんなに羨ましくなかった。優しげに撫でられるのは羨ましいが、まるっきり拒絶されないとわかった今では、そうされることを目標に頑張ってみようと思える。もしかしたらと、この髪に触れると小さな自信が生まれる。 今日は絶対に髪を直さないでおこうと、ルークはぼさぼさの頭で、はずむようにして帰路についた。 アッシュが犬を可愛がっていたのはその犬が自分を彷彿とさせたから、猫を可愛がっていたのは目を細める表情が自分と似ていたからだとルークが知るのは、まだ先の話である。 結局ネコミミ装着。なのになんでこんなに色気ないんだろう。 |