日記を書くという行為は誰がどう言おうとルークに染みついてしまった行為であり、そのルーチンワークを為さねばどうにもこうにも気が落ち着かない。 それは自分の一番である人物と一緒にいるときも例外ではなく、狭い宿屋の一室でルークはベッドに腰掛けるアッシュを置いて小さな机でせっせとペンを走らせていた。 「今日も、情報待ちで、あまり進めなかった――っと」 書く文字を小さくつぶやきながら、ちまちまと書き進めていく。 何の変哲もない日の日記は書く内容にも困るのだが、屋敷で囲われていた日々に対することを思えば段違いに世界は動いており、今の環境ではむしろ何事もない日々のほうがありがたい。 時折ペンを口元にあて、上目で今日一日の記憶を辿り、ささやかだけども嬉しかったことや楽しかったことを書き記していく。思い出しながら書き進めていくとその時の光景が何度も頭を回ってルークの顔も緩んでいった。 そしてもうすぐで締めに入ろうとした時、ふと己の背後に回っていた気配に背中を揺らした。 「うわっ、びっくりした。いつの間にいたんだよアッシュ」 「……お前がバカ面で”今日のアニスの料理もやっぱりおいしかった。今度レシピ教えてもらおうかな”とか書いてるところから」 「っ、人の日記音読するなよ!!」 特にやましいことは書いていないつもりであるが、それでも人に日記を見られるのは抵抗がある。 それなのにアッシュは嫌がるルークを見て更に内容を口で再現し、ならばと日記を閉じれば内容を記憶していたらしいアッシュに事もなく続きを口にされ、赤い顔でわめきながら彼の口を手で塞ぎにかかった。 だがそれも余裕の顔でひょいと避けられ、机の上に置いたままの日記を取られてしまう。 「ぎゃー! 見るな見るな見るなー!」 すぐにアッシュの手からそれを取り返そうと躍起になるが、彼はその日記を頭上高くに掲げてしまい、ルークの手が宙をかく。 いくら上に掲げられていても同じ身長なのだから取れそうなものなのだが、こちらのタイミングを図ったようにアッシュも動くので、ルークは子供のようにアッシュの回りをぴょんぴょん飛び跳ねていた。 しかしそうしていては日記が読めないことにアッシュは気づいたらしく、ルークを押し退けてベッドへと戻りあぐらの上に日記帳を広げる。チャンスだとばかりに再び手を伸ばしたが、アッシュの容赦ない腕に押され、無理矢理距離を取られてしまった。 「なんだよもうー……他人の日記見るとか人としてどうだよ」 「見られてまずい内容なら書くな」 「べっつに見られてまずい内容なんてないけどさあー……多分」 「なら構わないだろう」 そしてそのままページを捲り始めたので、「そういう問題かよ」と思いつつもルークは諦めてアッシュの隣に越しかけた。 だが何も言わずに自分の書いた文章を読まれるのはとてつもなく居心地が悪く、一応誰に見られてもいいようにと心がけて書いてはいたものの、じっくりと見られるとどうしようもなくそわそわしてしまう。 「なあーアッシュー」 情けない表情でアッシュの腕を引っ張ってみるが、帰ってくるのは顔も上げずにの一言「うるさい」である。 こうなれば彼はもう何を言っても自分の気がすむまでそれをやり通すので、アッシュの意識が日記に向いているのをいいことに背中から抱きついてやった。 腹いせの思いと、もしかしたら意識がこちらに向くかもしれないという思いだあったのだが、アッシュがいつものように邪険にしてくることはなく、視線は常に日記だった。 そうなると途端にこの状況がとても恥ずかしいものになり、ルークは腕を離してぽすんとベッドに体を倒した。 日記を読んでいるアッシュが視界に入るのはどうしても心臓に悪く、枕を顔の上に乗せて視界を遮ぎってみるが、ページを捲る音が聞こえれば足をばたばたさせて身悶える。 普段ならそんな行動を起こそうものならすかさずアッシュの鉄拳制裁が飛んでくるのだが、嬉しいのかどうなのか、いつまでたってもルークは無事だった。 そのうちにそんなことをしている自分が馬鹿らしくなり、脱力してばたりと足をシーツの上に落とす。 訪れた静寂に目蓋を閉じていると、次第に眠気が訪れてきて意識が遠ざかっていく。やばいとは思ったが抵抗は出来ず、そのまま睡眠に入ろうとしていたルークだったが、訪れたのは安らぎではなく息苦しさだった。 突然顔の上に鎮座していた枕を押さえつけられ、蛙のような呻き声を上げる。 なんだなんだと身じろぎしながら乗っていた手ごと枕を押しやると、嫌な風に笑っているアッシュがいた。 「おいレプリカ」 「な、なんだよ……」 アッシュの仕打ちにわいていた怒りも、アッシュの醸す雰囲気によりたじろぎに変わる。 じりじりと後ずさりかねない気分でいると、眼前に日記帳を突きつけてきたアッシュは更に悪どく笑った。 「”アホかっつーの”、”言い方がすげぇ感じ悪くて”、”なんか、あいつに負けるってのはシャクに障る”、”んだよ、アッシュの奴! 偉そうなことを言って、しくってんじゃん。感じ悪いな!”――随分と俺は嫌われているようだな」 身に覚えのある言葉たちをずらずらと並べられ、ルークの背筋に嫌な汗が伝った。 「いや、な、アッシュ。だって俺その時まだお前のこと、その、あんまわかってなかった、し」 「ほう」 「だってしょうがないだろ! お前はいつだって高慢ちきで偉そうで、俺を馬鹿にすることばっかり言って、あんなんでいい印象なんて持てって言う方が無理だろうが」 俺は悪くない! と言葉だけは威勢良く、しかしベッドの上でアッシュから後ずさりながらルークは言った。 気のせいでなければアッシュはゆっくりとこちらに寄って来ており、それが妙に怖い。 「今だってお前に接する態度は変えていないと思うが」 「だって今は――」 そこではた、と気付いてルークは言葉を切った。 アッシュを見ると悪どい顔が更に悪どくなっていて、ルークの顔が一気に赤くなる。 「おいレプリカ。続きはどうした」 「――くそっ、そのにやけた面どうにかしろよ」 「お前みたいな馬鹿面よりマシだ。元が俺と同じとは思いたくもない」 「ああ、ああ、本当お前はアレだなアレ。すっげえ”感じ悪い!”」 「ふん、上等だ」 そしてアッシュは壁際に引っ付いていたルークの体を倒し、肩を掴んでその上に覆い被さる。 「その感じ悪い人間がどうにもこうにも欲しいと喚いた奴はどこのどいつだ」 「う……」 「言え、屑」 近距離で顔を覗き込まれ、頬に彼の髪がかかる。 視界は赤い帳で囲われていたが綺麗だと思う余裕もなく、見下ろしてくる翠の瞳に圧されてルークは見るからに焦った。 視線を逸らすと顎を掴まれ、元の位置に戻される。えへへと笑ってごまかそうとすれば肩を押さえつけられる力が強くなり、それでもと粘った後、とうとう根負けしたルークはアッシュの望む言葉を言った。 「あーもう! はいはい、俺だよ俺! マゾっ気とナルシスト精神あるんじゃないかどうしよう、と思ってもまあいいかと思うぐらい誰かさんにぞっこんだよ!」 これで満足か、と目元を染めながら、アッシュの思い通りにことが運んでいるのが悔しいのでその首に腕を回してやった。 こんな危なげな性質にした責任を取れ、と耳元で呟くとアッシュの腕が腰に周り、密着度が増す。この瞬間がたまらないんだよなあ、と腕の感触に浸ったルークは、次いで来るだろう行為を期待して胸を高鳴らせた。 ゆっくりと体を離され、頬に手が触れ目を閉じる。顔が近づくのを感じて脈を早くさせ、次いで唇に来るだrぴ感触を待った。 「……?」 しかし待てども待てどもそれが来ない。 気付けば触れる手もなければ気配も遠い。不思議に思って目を開くと、窓の縁に足をかけているアッシュが見えた。 「え、アッシュ!? もう行くのか?」 「ああ」 「だってお前!」 「だって、何だ」 まだキスしてない。 とは勿論言えるはずもなく、口をぱくぱく開けるしかなかった。 それでもまだ行ってほしくない、とその目で切に訴えると、またあの嫌な笑いがよこされる。 「お前は”感じ悪い”がお気に入りなんだろう?」 そしてアッシュは窓を飛び越えて行ってしまい、残されたルークはその場に呆然と立ちつくした。 「ほ、本当に感じ悪っ! てか性格悪っ!!」 あそこまでやっておいて、と赤くなった頬を押さえて座り込む。 これ以上ないくらいの焦らしだった。もちろんわかっていてアッシュはやっているのだろう。せっかくの一人部屋なのに、せっかくの逢瀬なのに、それを躊躇いなく投げ捨てたアッシュに憤りさえ感じる。 しばらく呆けていたが、開いた窓から入り込む風で日記のページがめくれている音に気付き、それを拾い上げた。 この日記が今回の全ての元凶だろうと思うとなんとも複雑な気分になる。 少し考え込んだ後、ルークは椅子を引いて元のように日記の続きを書き始めることにした。締めが近かったので元の内容をすぐに書き終わらすと、溜め息交じりでルークは最後に一文付け加える。 ”やっぱり俺っておかしな性癖の持ち主になってしまったに違いない” こんな仕打ちをされてより一層アッシュを求めてしまうなんて、しかも少しばかり格好いいかもとか思ったりもした自分はおそらくどこかおかしいのだろう。 本日の逢瀬内容の物足りなさに、会う前よりアッシュに飢えてたまらなくなっているルークは、だんだんとアッシュ色に染められているようだった。 |