ラビッシュ ss






「ごっきげんあそばせ、元勇者見習いさん」


いつもとなんら変わることの無い穏やかな日常は、その一声によって一変した。
村のはずれの野原でのんびりと午睡を楽しんでいたアルフレッドだが、聞き覚えのある声に余韻もなく飛び起きる。


「! まーた来やがったのかこの小悪党!」
「あらなによその可愛くない台詞」
「うっせー! お前が来る度こっちは壊滅的なダメージ受けるんじゃい!」


気分を害した風に言われ、何を言う、と目の前の美女を睨みつける。
普段なら女性相手、しかも美人にそんな態度を取ることはないのだが彼女は別だった。いくら豊満な肉体をしていようとも口説く気にはどうしてもなれない。出会った当初の頃ならまだしも、ことあるごとに厄介事を起こしていき、その被害がほぼ自分のほうへ向くとなると、そんな気を起こせという方が無理な話である。


「いー加減にしろよ。何回来たって結果は同じだっての。アニキのことはとっとと諦めてくれ」


ぎろりと睨み上げて説得するが、聞く彼女ではない。


「い・や・よ。言ってるでしょ、テリュース様ほど悪役の似合う人なんていないんだから」


赤く美しい髪をさらりとかきあげながらきっぱりと言われてしまい、やはりそうか、と肩を落とす。
何回追い払ってもこの「緋色のアリエル」はテリュースを帝王に仕立てようとしてきかず、村へ来るたびにアルフレッドの心労を増やしてくれるので、ビクトールを討ったというのに心安らげる暇がない。世界征服など一人で企めばいいものを、といつも思うのだがそれではおもしろくないらしい。
さり気に持たれている仮面を見つけてアルフレッドは少し泣きたくなった。


「で、テリュース様はどこ?」
「知ってても教えるわけねーだろ!」
「ちいさい男ねぇ」


小馬鹿にしたように言われて何かが弾けそうになったが、アルフレッドは敢えて耐えた。
ここで騒ぎでも起こせば、村の勇者である兄はまず間違いなく駆けつけ、二人は対峙してしまうだろう。それこそ、最近は村でなにかと問題を起こしすぎたために村人から警戒されるようになったアリエルの思う壺である。
兄より先にアリエルと遭遇したことに安堵したが、しかしそれが危険回避になるかといえばそうでもなかった。


「まあいいわ。面倒だけど村には変装でもしていけばいいんだし」
「わー待った待った!」


そんなことをされれば、結局はのどかな村への侵入は途端にたやすくなってしまう。
おそらく美女の見かけであろうその姿を見ればターレスなどは喜んで家のドアを開けてしまうだろうし、そうすればもう後は簡単だ。
初回のように都合よく村を空けているわけでもないテリュースは、きっと今ごろは普段通り家でのんびりしていることだろう。運良く家にいなくても小さな村では彼がどこにいるのか探すことは実に簡単なことであり、あののほほんとした顔に仮面を貼り付けるのもおそらくそう難しいことではない。
今全力で村へ走っても、盗賊らしい素早さを持つアリエルはアルフレッドよりも先にテリュースの元にたどり着いてしまう。
となれば、ここでなんとか引き止めるしかない。


「もう頼むから諦めてくれって本当にー。 絶対まだこの世にゃアニキ以上に悪役の似合う男はいるからさあ」
「しつこいわねぇ」


おまえにゃ言われたくない! と真剣に思ったが、この後の展開を考えてこめかみを微かに引き攣らせるだけに留めておく。
そんな苦労をしながら、大体なぜウチの兄貴なんだとアルフレッドは思わずにはいられなかった。
確かに顔はいい。剣術や魔法などの腕も立つ。普段のあの性格も仮面をつければガラリと変わって、その道王道の悪役っぽくなるのも認める。
だが世界は広いのだ。テリュースとよく似たタイプの男だってきっといるだろう。兄以上の男がいる可能性だってないと断定できるわけでもなく、そういう彼らが相手ならアルフレッドだってアリエルの野望を止めたりはしない。ともかく、兄以外であればそれでいい。
しかし、どうしたものかと必死でアリエルの行く手をふさぐアルフレッドの頑張りもむなしく、彼の切実な願いはいともたやすく打ち砕かれた。


「アルフレッド? また女の子口説いてるのか?」
「!」
「テリュース様っ」


元気だな、とのこのことやってきて声をかけたのは、件のテリュースその人だった。
タイミングが悪すぎる、とアルフレッド恨めしそうにテリュースを睨み付けたがもちろん相手はこの状況をわかっていない。
アルフレッドの傍にいるアリエルに気付くと、危機感など一つも持ち合わせない様子で首を傾げる。


「えーっと……確か君は…………」
「……アリエルです、テリュース様」
「……アニキ……」


アリエルに気づいたはいいが、名前が出てこないらしいテリュースにアリエルは苦い顔をして名乗った。幾度も顔を合わせて、しかも過去に共謀していたこともあるのにこの有り様。
しかし仮面を被せてしまえばこっちのもの、と思っているアリエルの立ち直りは早い。


「突然ですいませんが、テリュース様、お覚悟!」
「! うわ、アニキ避けろーっ!」


姿を見つけたからにはさっさと目的を遂行しようと、アリエルは手に持っていた仮面を勢い良くテリュースめがけて被せようとする。
テリュースの天然ぶりに脱力していたアルフレッドはとっさの出来事に焦って兄を振り返ったが、腐っても勇者。テリュースはアリエルの手をひらりと避け、傍に落ちていた木の枝で彼女の手にあるものをアリエルを傷つけないようにはじいた。
地面に落ちる仮面に安堵する間もなく、あの忌々しい仮面を始末するまでは落ち着けないアルフレッドは仮面奪回を狙うアリエルと競るように駆け出した。
そして黒光りしているそれは一人の者の手に掴み上げられることとなる。


「……仮面?」

拾ったのはテリュースだった。
アリエルの手に渡らなかったことにひとまず安堵したが、しかし油断は禁物だ。


「アニキっ、早くそれぶっ壊せ!」
「どうして? いい仮面じゃないか」
「どうしてもだ! 早く――ってああ!」


どんな状況であろうと、テリュースはとことんテリュースだった。
アルフレッドの言葉を聞くことなく、壊すどころかテリュースはその仮面を自ら身に付けてしまったのだ。
予想外の出来事にアルフレッドの思考と動きは停止した。こんな馬鹿げたことがあっていいのだろうか。今までの苦労がこれで水の泡である。
何か言わねば気がすまないと口を開くのだが、言いたいことが多すぎて言葉にならない。
そして――


「上質な仮面をどうもお嬢さん、いやアリエル。また会えて嬉しいよ」
「テリュース様!」


身に纏う空気を変え、アリエルの手を取って謝礼の言葉を口にするテリュースは、すっかり仮面の人となっていた。


(この大馬鹿クソッタレアホアニキっ!)


そう大声で叫びたいアルフレッドだったが、あまりにも間抜けすぎる兄の所業に声が出ず、怒りで体が小刻みに震えるだけである。
普段あれほどまでに注意を促しているのにこの結果。自ら進んで厄を被る馬鹿がどこにいる。それが勇者だというのだから、まったく世の中はおかしい。


「じゃ、テリュース様は戴いていくわね」


ふふふ、とアルフレッドにむけてこれ以上無いくらい上機嫌で笑い、アリエルは早速テリュースを陥落させようと彼の正面に立った。


「テリュース様、お話しがあります」
「ん? どうしたんだ」
「実は私、テリュース様が忘れられず、眠れぬ夜を過ごしていて……」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。光栄だよアリエル」


明らかに嘘とわかるものだったが、それに気付かないのか、それとも嘘だとわかっていながらもそう言われて悪い気がしないのかテリュースはそれはそれは優雅に微笑んだ。
その笑顔にアリエルが一瞬しめた、という顔をする。


「それでお願いがあるん――」
「クソアニキ! なに簡単にたぶらかされてんだよ! 聞いたら殴るぞ!」


気がついていたら遮っていた言葉に、アリエルは冷めた目つきでこちらを見た。邪魔をするなと態度全てで物語っていたが、アルフレッドは構わずに兄に向かって叫ぶ。
そのことによって兄の注意がこちらに向いたので、このまま説得すればもしかしたらどうにかなるかもしれないと微かに希望を持ったが、そう簡単に事は運ばない。


「うるさい外野」
「!」


どこから出したのかアリエルは縄をちょちょいとばかりにアルフレッドの全身に巻きつけ、その辺に転がした。一瞬のうちに猿ぐつわまで施されたことに気付いたのは放り出された後だった。
邪魔者は封じ込めたとばかりにアリエルは満足げな表情を浮かべ、そしてこほんと咳をして気を取り直す。


「それでお願いなんですが……」
「お前ほどの美人の頼みなら聞かないわけにはいかないな。さあ、言ってみるがよい」


またあのメンバーでテリュースを引き戻しに行く旅に出ることが決定だな、とアルフレッドは目の前の光景を見て諦めのような思いで覚悟した。
普段ならまだしも、仮面を着けたときのテリュースの女好きっぷりは自分以上のものがある。それは以前の戦いのさなかでよくわかった。
ちらりと見上げれば近距離でアリエルの手を取っており、もう片方の手は今にも腰を抱きそうである。思わず顔をしかめるが、テリュースは気がつかない。
テリュースが世界征服を企むことが怖いわけではない。
今たとえ彼がまたおかしなことを企んでアリエルと行ってしまったとしても、それは以前のパーティーでいけばおそらく正気に戻せるはずだ。
しかしそれまでの間、彼はああやって女性を口説き、愛を囁いては体に触れるのだろう。
それがアルフレッドには苦しかった。


「また私と一緒に来てください。そして世界を手中に納めましょう」


優雅に微笑んで言うアリエルはとても魅力的だった。
テリュースが握っている手をアリエルも握り返し、傍から見れば愛を語らっているように見える。
ものすごくおもしろくない気分でそれを眺めながら、アルフレッドは心の中で散々テリュースを罵倒する。


(アホバカ間抜けっ、タコアニキ! てめぇ普段は構いっぱなしのくせに、仮面着けた途端にそれかよ! 弟口説きまくって落としておいて……クソっ、お前なんかいっぺん死んでしまえ!)


「そうだな……」


そしてアリエルの言葉を受け、特に動揺するでもなく微笑むテリュースを見ていられずに視線を背けてぎゅっと目をつむる。
本当は耳も塞ぎたかったが、縛られていて叶わない。
バカアニキ。もう一度強くそう思ったとき、テリュースは答えを返した。


「悪いが、それはできん」


(え……)


誰もが耳を疑う言葉だった。


「てっ、テリュース様!?」


アリエルもまさかテリュースが断るとは思っていなかったらしく、彼女らしくなく動揺した素振りを見せ、相手のマントを握り締めている。


「なぜですか? 以前はあんなにも乗り気でいらしたのに!」
「私とて帝王となり、世界の美女を侍らせるという夢を手放すのは惜しいが……。美人の頼みを断るのも私の信条に反する」
「ならばなぜ!」


そこでテリュースは薄く笑み、少し離れた場所で転がっているアルフレッドを軽く顎で指した。


「可愛い弟が嫌だと泣くんでな」


なあ、アルフレッド。
その言葉に顔を上げると、こちらを向いて酷薄そうに口角を上げるテリュースがいた。
彼が告げた言葉が信じられないアルフレッドは呆然とするばかりだ。


「そんな……う、嘘ですよね、テリュース様?」
「いやアリエル。誓って本気だ」
「たくさんの美女よりも弟を取るというのですか!? それとも何か弱みでも!?」
「全て、私の意思だよ」

そこまで聞いて、アリエルの顔色が目に見えて青くなった。


「まさかテリュース様がブラコンに落ちているとは……!」


がくりと膝を付いたアリエルは、信じられない、とテリュースとアルフレッドを交互に見て首を振る。
以前のテリュースはそれは女好きで美女のためなら何でも、という精神の持ち主だったはずだ。ブラコンの気配など微塵もなければ弟がいることすらアリエルは聞いたことがなかった。
それがなぜこうなったのかはなはだ疑問だが、繰り返し聞いてテリュースの言ったことが聞き間違いではないと判断すると、アルフレッドに視線を向けた。


「この私が”弟”以下なんて……!」
「まあそう弟をいじめないでやってくれ」
「ですが!」
「身近にいるたった一人の大切な身内だ」
「………」


そういえば彼らの両親は行方不明だったことを思い出し、アリエルの興奮が少し冷めた。
掴んだ情報が確かならば、まだ年若いうちから両親とはぐれた彼は、兄という立場から幼いアルフレッドの面倒を見てきたのだろう。ならば普通の兄弟よりは絆は深いかもしれない。前回の自身の行方不明、そして帰還により、アルフレッドとの絆がさらに深まっていても無理はないだろう。
ちらりとテリュースを見るとやわらかい苦笑が返され、それにどことなく胸を打たれた。


「……ちょっと今日は退くけど、諦めたわけじゃないからね」


アリエルの言葉にいつもの覇気はなかった。
反応を返さないアルフレッドにひとつため息をついて落胆の意を表したが、しかし根が前向きな彼女は強かった。
幸か不幸か、カタルーシ兄弟の本当の関係を知らないアリエルは、テリュースとアルフレッドの絆がどれだけ深かろうが、彼のもともとの性質を考えれば兄弟愛ごっこなどすぐに飽きるだろうと踏んだのだ。ただの弟と美女たちを天秤にかければどちらに傾くなど誰が見ても明らかだと信じて。
その思考に満足し、最後には強気に「今に美女が恋しくなりますよ」とテリュースに挑発するように笑いかけ、そしてアリエルは姿を消した。


「行ったか」


そう呟き、テリュースはアルフレッドの元へ近づき、まずはその口に当てられている布を取る。


「何をそんなに驚いたような顔をしているんだ」
「いや、普通驚くだろうが」


ようやく口が開放されたアルフレッドは、未だ信じられないと顔に書いてテリュースの顔をまじまじと見る。
確かに仮面を付けている。だがこの男は美しい女より自分を選んだ。


「お前と離れるのは心苦しいからな」
「嘘付け。なに企んでる」
「随分な言い様だな。だが聞け。以前ならまだしも、私とて譲れないものが出来た」


そして膝を付き、アルフレッドの頬に手を添えて上を向かせる。
何を、と聞く前に重ねられた唇に、狼狽よりも愛しさが募ってアルフレッドは目を閉じた。
この男は純粋に世界の美女よりも自分を選んだと言う。眉唾ものだが、そう、信じていいのだろうか。心が揺れる。

もしそうなら。

そう思うと、縛られていて腕をまわすことが出来ない今の体勢がひどく焦れったかった。身じろぎしても兄は気付かないのか行為を続ける。
仕方がないのでその代わりに、とせめてもの思いでアルフレッドはいつになくテリュースを積極的に受け入れた。


(……絶対黒い衣装には近づけさせないようにしよう)


仮面とそれが揃ってしまったら今度こそどうなるかわからない。
出来ればアリエルがそのことに気付かないでいてほしいと、霧がかる頭の中でアルフレッドは切実に思った。








騎士兄本当大好き。素の5万倍書きやすいし。口布は取っても縄を解かないのは彼の趣味、だといいな。
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