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通路を歩いていてそれが目に入った。
視線がかち合えばどうしてか目を逸らせず、しゃがんで手を伸ばしてみると、少しの間の後に鼻を擦り寄せてくる。
なかなかに好意的じゃないか、とサーフは悪くない気分を味わい、指先で顎の辺りを撫でてやる。
組織の長のその姿に周りにいた構成員たちの表情も和らぎ、遠巻に一人と一匹の微笑ましい姿を見守った。
だが次の瞬間、サーフは少々強引にその生き物の首の皮を摘み上げて立ち上がり、体をよじる猫に構わず首を掴んだまま行ってしまった。





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「ゲイル」


部屋に入れば、彼はいつもと変わらず何かの機器をいじっていた。
トライブや世界の情報は常に動くもので、エンブリオンの頭脳であるゲイルは暇さえあればこうして何かしらを調べている。
知識はいくらあっても足りない、と常々ゲイルは言っているのを思い浮かべながらサーフは手にしているものを掲げた。


「……何がしたいんだお前は」


サーフとそれを目にしても、ゲイルは驚いた様子をひとつも見せなかった。
むしろ忌ま忌ましげというこれ見よがしなため息をつかれるが、いつものことなので気にしない。


「ちょっとした手土産だ」


そう言って右手に掲げた猫を更に高く上げれば、ちりん、と鈴が鳴る。
サーフに首を掴まれているので猫の腕や足はだらりと落ちて、普段の気高い雰囲気もそうしていると形無しである。


「そんな掴み方をして、首が絞まらないのか」


首の後ろの皮がやけに伸びていることを指してゲイルが言い、思わずサーフは手元を見る。
何も思わずにこうして連れてきてしまったが、言われてみればその通りである。猫自身の重さがそれなりにあるので、こうして片手で摘み上げれば自然と顎下に負担がかかろう。

だが猫は苦しんでいる様子も、嫌がって暴れる様子も見せず、顔を覗き込んだサーフをあの瞳で見つめてくるだけだった。呼吸も落ち着いているし、異常も見受けられないのでとりあえずは大丈夫なのだろうと視線をゲイルに戻す。


「大人しくしているんだから特に問題じゃないさ。それより」
「いらん、戻れ」


ぐい、と手をゲイルに突き出せば、突きつけられた猫を一瞥することなくゲイルに断わりを入れられた。


「ひどい扱いだな。日ごろ知識知識とうるさいお前を思って、この謎多き生き物を連れてきてやったのに」


拒否の言葉ばかりか自身への退出を告げるゲイルに肩を竦める。
本当にゲイルのためを思って猫を持ってきたわけではなく、いつものようにただの思いつきの行動だったが、邪険に扱われればおもしろくない。そうされるとわかっててやったことでもだ。
見せ付けるようにゲイルに猫を軽く揺らしてみたが、だがゲイルはそれに構わずに端末機器に視線を戻してしまった。
その後も幾つか声を掛けてみたのだが、相手は無視を決め込んだらしく一向に返事を返さない。
不満が募ったので、サーフは手にしていた猫を見つめた後、腹いせとばかりに背後からゲイルの肩に乗せてやった。


「………」


不安定な場所とはいえ、ようやく地に足を下ろすことができた猫は、まずゲイルの肩の上で身震いをした。顔の近くでそれをやられれば鬱陶しいだの、気が散るだの、何かしら思うところがあるだろうが、ゲイルは微動だにしなかった。
叱責が飛んでくれば素直に下ろそうと考えていたサーフだったが、猫をいないものとするゲイルと、いくらでも飛び降りることが可能であるのにそうすることなく絶妙なバランスでゲイルの肩に鎮座している猫に興味がわいた。なんて可愛げのない一人と一匹だろう。
どちらかが何かの反応を示すまで観察しようと、サーフはゲイルの正面に置かれている椅子に腰を下ろす。


「なかなかいい眺めじゃないかゲイル。無愛想なお前でも、そうして生き物と接していれば微笑ましいと言ってもいいかもしれない」


こう言っても、やはりゲイルは無言だった。
猫も猫で鳴き声一つ上げずにじっとしていて、お前ら組んでるのか、と思わずそう言いそうになる。


「おいこらゲイル。お前気に入りの指揮官が来てるっていうのに放置か」
「………」


放置なようだ。

思わずゲイルの横で相変らず大人しくしている猫に向け「攻撃しろ」とそこそこ本気で念じてみたが、つまらないことにゲイルは無事だった。所詮は獣か、と猫の評価を一段階下げる。


「そこの猫。お前もエンブリオンにいる以上は俺に従え。誰がここを仕切ってると思ってる」
「………」


興味がないようだ。


「……"統率がきかない"。今わかった。確かにそれは由々しき事態だ」


ふぅ、と息をつき、張り合いのない一人と一匹を憂えてサーフは背もたれに体を沈める。
その後しばらくしてもゲイルが声をかけてくることはなく、試しにもう一度とサーフが話し掛けても返事は返らない。それを確認して、サーフは立ち上がった。
目もくれないゲイルを気にせずに、扉ではなくゲイルの背後に立つ。くるりと顔を向けたのは目当てのものではなく猫で、そのゲイルのつれなさが一層サーフを捻くれさせた。

何も言わずに猫の反対側の肩に肘を付いて体重をかける。
重みに屈しないのをいいことに更に体重をかけ、ゲイルの頭部を覆っているものをずらして現れた耳下の皮膚に噛み付いた。
一瞬だけだったがゲイルの動きが止まったことに気をよくし、柔らかい感触をしばし堪能すると、更にと耳朶へも舌を伸ばす。
一通り満足した後、仕上げとばかりにゲイルの頬を掴んで強引に後ろへ向け、痛みを与えるのを目的として唇に噛み付いてからすぐに唇を離した。


「これは預かっておく。返して欲しかったら俺のところへ来て請え」


離れざま、ゲイルの頭部を覆っているものを外し、「退屈させた罰だ」と横暴なことを笑って言ってやる。
ゲイルが何か言う前に、今度は猫を来た時のように首を掴んで持ち上げる。


「お前は調教だ。うちに無愛想は二人も要らない。俺に従順になるよう躾けてやる」


そう宣言して、「じゃあな」とゲイルに告げた後、あっさりとサーフは戻っていった。


扉が閉まり、サーフの気配が薄れていったのを確認してゲイルは大きく息をつく。
耳の下辺り、サーフが吸い付いた場所を指でなぞる。目で確かめることは出来ないが、吸われた強さを思えばしっかりと跡になっているだろう。
普段なら頭部を覆うものに隠れて見えないだろうが、それはサーフに没収されてしまっている。髪で隠そうにも長さが足りない。
跡ぐらいどうでもいいのだが、詮索されるのは色々と面倒だった。それをわかっててサーフも取り上げたのだろう。


「……今一番希求するのは、お前のあしらい方だ」


このなんとも言えない気持ちを共感できるのは、おそらく今ごろサーフにおもちゃにされているであろう猫だろうな、とゲイルは手元の機械の電源を落としながらそう思った。









猫……の中身がんばれ。

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