「さて、何か言い置きあるなら聞くが?」 とある戦闘後。 最後の敵を葬った直後、サーフはすぐにゲイルの元へ歩み寄ってその胸倉を掴んだ。 口元だけで笑みを作るサーフの行動に、対峙している本人ではなく周りの者たちが驚く気配を見せる。 ゲイルの首に添えられたもう一つのサーフの腕は、その部分だけ悪魔化していた。 「何の真似だ」 当然の問訊だろう。だが言われると実に不快だった。 ともすれば力を込めてしまいそうになる腕を、だがあえてそこは引き剥がし、サーフは哀れんだような目でゲイルを見る。 「ああそうだった、お前は覚えてないんだよなゲイル。そう、意識してやったわけじゃない。あれは誰が見ても不可抗力だった」 だがな、ゲイル―― そこでサーフの表情が消え、次の瞬間には再びゲイルの喉もとにサーフの腕が押し付けられる。 「記憶がなければ犯した罪が赦されるなんてそんな都合のいい話、俺に通用すると思うなよ」 腕を押しつけるだけでは物足りなく、首も締めたい衝動に駆られたが、伸ばした手は不機嫌な声とともに払われる。 下から睨みつければ、相手も同じくらいの強さで睨んできた。 「何の真似だと聞いている」 首に当てられる鋭利な刃の感触に少しも怯まないのは褒めてやってもいい。だが、今のサーフにはそれが神経に障る。 相手の眉間の皺が普段よりも深くなっていることからおもしろくない気分だろうというのは容易に知れるが、不快さなら自分のほうが上だった。 「何の真似だと? それはこっちの台詞だ」 「理由を言えと言っているだろう。つまらん禅問答を続けるなら俺は関知せんぞ」 「言えばそうかと額を地面にこするのか」 「理由如何による」 「安心しろ。間違いなくその額、つちすなに塗れることになる」 そして腕は下ろさないまま、今一度ゲイルを強く睨んだ。 「答えは判然としているがあえて聞く。ゲイル、お前今の戦闘の記憶はあるか」 「――いや、混乱を受けてからはない」 悪びれた様子もなく即答するゲイルに、わかっていることなのだがついついサーフの手は反応してしまいそうだった。 罪悪感を多少なりとも醸せばサーフの気も少しは落ち着いたかもしれないが、ゲイルはそんな様子を微塵も見せやしない。 何を思っても感情があまり出ないのがゲイルだと知暁しているが、不快の念の前には掻き消えた。 混乱は、精神に攻撃を仕掛けてくる嫌な技の一つである。 かかってしまったが最後、意思や理性など消え失せてしまい、結果行動する気にならなかったり、あろうことか味方を攻撃してしまったりもする。幸せか否か行動後の行為は覚えていない。 そのことで多少気分が害されないわけでもないのだが、しかし今サーフが不機嫌なのは関係はあるがそれが理由ではない。 味方から攻撃を受ければそれなりに衝撃的だがそれは仕方のないことであるし、過去ゲイルにクリティカルをもらい済みだがこうして腹が立つようなこともなかった。忘れるのもそういうものだと割り切っている。第一サーフとて混乱したことがないとは言えない身だ。 どうすることもできないことを身をもってわかっているので、今までステータス異常で仲間を責めたことはないし、今も混乱したこと自体を責めるつもりはない。 「いい加減回りくどいことはよせ。俺は何をした」 いつまでも肝心な部分に触れない情報に焦れてゲイルが視線を鋭くさせてくる。それをサーフは嘲る笑みで受け止めた。 ゲイルが強気であるほど断罪を告げるのが愉しくてならないと捻た心で思うのは、どう客観的に見てもこちらに大いに分があるからだろう。 ふぅ、と緩慢な態度でため息をつき、表面上は穏やかにゆっくりと言葉を発する。 「なあゲイル。戦闘5回以上って、なかなかに大変なことだと思わないか?」 告げて、少し笑ってやる。 「新しいダンジョンで敵も強い。慣れてからは余裕なんだろうがそれでも時間はかかる。―――だがなにも成果がないわけじゃない、敵を倒せばそれなりの報酬は手に入る。大事な、大事な報酬がな」 「それがどうした」 「その労働の結晶である報酬を一瞬にして台無しにした奴がいたら、お前はどうする」 混乱したゲイルが起こした行動に、誰もが目を剥いた。 こちらの世界でも大切なマッカ、それも決して少ない金額ではない量を四方にばらまく姿に固まったのがつい先程のことである。 ”混乱していたのだからそれは仕方ないことで、失った所持金はまた戦闘を繰り返せばいくらでも取り戻せる。過ぎてしまったことはどうしようもない、気にするな” そう人格者になろうとしたサーフだったが、結果的には無理だった。放棄したと言ってもいい。誰が好き好んで本来なら必要のない面倒な戦闘を繰り返したいというのだ、それも混乱を使ってくる敵がいるような場所で。 敵との応戦は決して楽なものではなく、戦闘そのものに支障がなくとも体力の消費と面倒くささがそこにあり、サーフはアルジラ達とはまた違う理由でもともと戦闘を好んでいなかった。 損害を無視して先を進んでもいいのだが、しかし今ここで新しいマントラを入手しておかねば先がきついことは目に見えている。 予定では今の戦闘で新しいマントラを落とす金額に達していたはずなのに、とこの後こなさねばならない戦闘回数を思ってサーフは重々しく息をついた。 「俺の心境を思えば、進んで固い地面の感触を味わいたくなるよな?」 どうだ、と相変わらずの鉄面皮を見上げる。 相手がその表情の下で何を考えているのかはわからないが、混乱していたことを理由に責任逃れをする発言をしようものなら、少しばかりこの刃を皮膚に埋めることも少々本気で考えた。 勝手な話だが、ゲイルに迷惑をかけられることはないと今までサーフは思っていた。 混乱して呆けていようが、切り付けられようが、それは一瞬のことで後を引く被害はないから構わない。迷惑と思ったことすらない。だが金銭ばら撒きは別だ。許容できる損害範囲ではない。 それでもきっと他の仲間だったら痛いとは思いつつも殊に苛立つような事もなかっただろう。 他でもない、大丈夫だと思っていたゲイルがしたからこそ、今サーフはおもしろくないのだ。不可抗力など知ったことか。 しばらく互いに黙り込み、仲間たちが固唾を飲む。 そうしてある程度時間が過ぎた頃、ようやくゲイルは口を開いた。 「それで、お前は何が望みなんだ」 まずは謝罪だろうかと思っていたが、相手はそんなに可愛い玉ではなかったようだ。 「望み?」 「お前が謝罪などで満足するとは思えん。例え俺が謝罪をして且つ失った金額を元に戻しても、極大な代償を求めるのがお前だ。意味がないのをわかっていて実行するほど愚かじゃないんでな、結果での話がしたい」 本当に可愛さの欠片もない、いっそ憎らしいとも言える言葉だったが、事実その通りだったのでサーフは開き直る。 「代償、ね。よくわかってるじゃないかゲイル。その通り、本当に膝をついて謝るのならまだしも、どうとでも言える謝罪を口にされるだけじゃ足りないだろうな。お前の言う通り、おそらく俺を宥めるには誠意の込もった厚い償いが必要なんだろう」 「つまり、早い話が捻じ曲がった指揮官の機嫌を直せと」 簡単に言いのけるゲイルに嘲笑いを浮かべる。 「出来るものならな。だが、出来なかったら―――」 サーフは地面を指差した。 「それなりに実の詰まった誠意、期待している」 「”それなり”、か」 「言っておくが、本来なら戦わずに済む戦闘に付き合わされる俺の時間は安くないからな」 しつこいようだが、戦闘は面倒だった。 気持ち的にはゲイル一人でやらせたい。だが敵地に一人というのは、そこそこレベルが高いので死にはしないとしても、人数が足りないゆえに一回の戦闘は長引くのは必至だろう。今のサーフ達にはあまり時間がない。 時間はないがどうしてもゲイルはどうこうしてやりたい。 簡単に折れてやるつもりはさらさらなかった。 「さあ、俺の心に負ったこの傷。どうしてくれる」 挑発するようなサーフの言葉だが、それを聞いてゲイルは静かに提案を掲げた。 「今後いかなる状況でも混乱にかからないと誓い、失った金額を補充するまでお前のやること一切に口を出さない。破れば首でもなんでも切り落とせ」 「……なるほど。前半はともかく、後半は興味を引かれる内容だな。口うるさくないゲイルなんて夢のようじゃないか」 日ごろゲイルにうるさく小言をもらい続けているサーフにとってはなかなかに魅力的な持ちかけだった。普段ならば、の話ではあるが。 しかし今は捻くれた感情の方が上だった。 「夢のようだが――俺はそんなに安くはないみたいだぞ。見ろ、腕のコレは解けてくれない」 変化している腕をひらつかせて鼻で笑うサーフに、仲間達は焦ってゲイルの方を見る。 しかしこのような状況でも、ゲイルはまるでそれを予想していたかのように薄い笑みを浮かべていた。 サーフはそれが気に入らず、不快をあらわにして睨み上げるたが、ぐい、と腕を引き寄せられてゲイルとの間が縮まる。 「では――」 そして耳に落とされたもう一つの提案。 告げられた言葉よりも、低く、微かに甘い声音の方が残るような、そんな囁きでの案出だった。 「――――――」 「これでもまだ機嫌は直らないか」 「………………」 「サーフ」 「………………」 「サーフ」 「………いや、それで構わない」 そんなまさか! と、かなり渋りつつも、だがあっさりとゲイルを許したサーフに、蚊帳の外のメンバーが揃って驚きの声を上げる。 いても立ってもいられずに、「どういうことだ」と仲間を代表してサーフの腕を取ったのは、好奇心旺盛で怖いもの知らずなシエロだった。 「ちょっ、兄貴、何でっ!?」 「聞くなシエロ。腹立たしいが、あの参謀、思ったよりも賢能だ」 寝耳に水なゲイルの提案はサーフの機嫌を回復するには十分なもので、悔しさ極まりない不本意なことだがサーフのツボをよく得ていた。 なんせその提案を実行されるのなら、ゲイルがばらまいた金額などとるに足らない些細なことにすら思えるのだ。 「いや、そりゃゲイルがあったまいいのは知ってるけど! でも!」 「俺だって信じられないさ。こうもあっさりなんてな。だがなシエロ、認めるのは悔しいが、今回はあいつの勝ちだ」 決心は崩れ、判断は瞬時だった。返答を渋ったのは人より高い自尊心のせいだ。 つちすなに塗れさせてやるといった自分が土砂をかけたような態度になってどうするのだ、とサーフはいっそ愉快な気分になって前髪を掻き上げた。何が簡単には折れない、だ。陥落など一瞬だったではないか。 (まったく、相変らず俺はゲイルに弱いらしい。だが――) そして自分とて損をしていないわけではないのにどこか勝ち誇っているようなゲイルを見上げ、サーフは腕を一振りして悪魔化を解く。 「よくやった参謀。これで一団はしばらく安泰だ。褒詞つかわす」 「お前の機嫌を損ねるとパーティに影響するんでな。俺も必死だ」 「よく言う。心の内では俺など簡単なものだと思っているくせに。どうだ、仕える者の意向を操れるというものは。さぞや愉快だろう、いや快感か? この俺を意のままにするなんて流石は、と言ったところだな」 そしてウォータークラウンのアートマが淡く光るのと、サーフが腕を素早く振り上げるのはほぼ同時だった。 「っ」 「だが――いつでも全てお前の思う通りに事が運ぶとは思うなよ」 挑むようにゲイルを見てにやりと笑い、光を治める。 それきりゲイルに背を向け、今起きた瞬刻の出来事に目を輝かせるシエロを連れて仲間達の元へと進んでいった。 「……簡単など、思えるわけがないだろう」 ひとり残されたゲイルが頬に感じる違和感に手をやると、ぬめりに指が滑った。 指につくその量からほんの少し傷がついたぐらいだろうが、だがサーフのしたことは少なくとも仲間に向ける行動ではない。 やってくれる、とゲイルは口角を上げる。 サーフの扱いを簡単だと思ったこともなければ操れていると感じたこともない。いつだってサーフはゲイルの予想のつかないところにいて己を翻弄する暴君だ。いつだって取り乱させてくれる。 「お前ほど俺を混乱に陥れる奴はいない」 手の甲で凝固してきている血を拭い去りながら、ゲイルもサーフへと続いた。 ■■■ その後、他のダンジョンにて。 戦闘後、ハッと気づいて辺りを見回すと妙に仲間の視線が痛いことにサーフは気づく。気のせいか、足元に光るものが落ちている。 もしやと嫌な予感を覚えながらサーフはゲイルを視線で捕らえると、彼は射るような目と口の端を片側だけ吊り上がせている実に嫌な笑みを浮かべていた。 「さて、リーダーの誠意は如何様なものか」 以後、サーフは混乱を仕掛ける敵を滅絶するが如くに扱った。 色々とご想像にお任せします。というか色々大げさですね。大げさに考えて下さい。 |