サーフの姿勢はたいていまっすぐである。 身分を意識してか否か、それとも理由などないのか。なぜなのかはわからないが、彼の背筋はいつだって伸びていた。 それが凛とした雰囲気を際立たせていて言葉もなくため息をついてしまうのだ、というのは女性構成員たちの話だ。 そんな首筋が痒くなるような感想をもらうサーフだが、しかし今回は違っていた。 ヒートが特にすることもなく部屋であぐらをかいて座っていると、扉が開いてサーフが入ってきた。 すぐに視線がかち合い、常のように、あいさつ代わりのように出される嫌味がまずくるのだろうと構えたヒートだったが、サーフはただ「いたのか」と一言、口のなかだけで呟いて傍の椅子に腰を庇うようにして掛けただけだった。 いつものような覇気も邪気もなく、嫌味一つ零さないそのサーフの様子に最初は驚いたものの、しかしすぐにヒートは鼻で笑った。 「おいおいどーしたリーダーさんよぉ。いつもの威張り散らした態度はどこ行った?」 普段の意趣返しとばかりに言葉を投げ掛けるヒートに、サーフは机に突っ伏しながらちらりと目線だけをやる。 「…悪いなヒート。今はお前に構ってやれるほどの体力がない」 「っ、誰が―――!」 「ああ悪い悪い。…ヒート、見ての通り今の俺は見るからに儚げで消えそうだ。ともすれば吐息で飛んでいきそうなぐらいにな。しばらくしたら治るから文句はそれまで待て、な」 吐き出された言葉の多くに真剣に殴りたい衝動に駆られたが、なにやら本当に具合の悪そうなサーフの様子の方が気になった。 「…なんか悪ぃもんでも食ったのか?」 心配、というよりは興味、といった感じでヒートが問い掛けると、軽いため息の後にサーフは口を開いた。 「いや、少し前にゲイルとちょっとな」 「ゲイル?」 「……あいつ、俺はもう満足してるって何回言っても聞き入れやしないではりきりやがって。おかげでこっちの腰はガクガクだ」 「――――――」 腰に手をやりながら溜め息混じりに告げたサーフに、ヒートは言葉を失った。 食い入るようにサーフを見つめ、彼の言った言葉を頭で反芻する。そして今度は青ざめた。 気だるげに部屋に入ってきたサーフは体力がないと言った。 見かけに反して決して軟弱ではない、むしろ強靭なこのサーフを疲労させるぐらいきつい何かをしてきたと。 しかしいくらサーフとて疲労を感じないわけではないだろうので、珍しくはあるが、こうなっていてもそれは特別おかしいことではない。 問題はそれをゲイルとしていたということだ。 ゲイルとサーフがただのリーダーと参謀という関係だけではないことをヒートは知っている。 そのことを思うとなぜかひどく心が騒つくが、今それを考えると余計に混乱するので隅にやり、ともかく、そんな関係の二人が一緒にいて結果として腰を痛めるような何かをしたとなると、自然と思いつけるものがヒートには一つしかなかった。一つしかないが、もしかしたら違う何かかもしれないと縋るような思いで探りを入れる。 「…シャワー浴びてるのはそれが理由か?」 そういう時間でもないのになぜか彼の髪は濡れていた。 はじめは外へ出たのかと思ったが、その割に身につけているものに水気は感じられない。 洗髪剤特有の香りを感じて髪を洗ったのだと気付いたが、なぜそうしたのかを考えると胃のあたりは重くなり、サーフをまともに見れなくなる。 違って欲しい、と半ば願うようにして問い掛けたのだが。 「? まぁ、それなりに汗もかいたし、疲れてたし、何より汚れたからな。さすがにあんなものが髪や顔について平気でいられるほど腐れてない」 ここで「あんなもの」をつい想像してしまい、ひどく精神にダメージを受けたヒートだったが、何とか堪えて質問を続ける。 「…お前、腰が痛ぇって言ったよな。それってゲイルもか?」 「さぁ。でも俺より動いてたのは確実だからあいつだってキてるだろうな。なんならゲイルのところへ行って、あいつの腰めがけて蹴り込んでくればいいさ」 見ものだな、とおかしそうに、だが目は真剣なサーフにヒートは沈黙した。 そんなことを出来るのはサーフぐらいのものである。 ゲイルのブーツに仕込まれている刃の切れ味など、ヒートは知りたくない。 いや、そんなことよりも。 「ゲイルのが、動く……ってやっぱそうなのか、おい、そうなのかよ……」 「…ヒート。お前さっきから何を―――」 どんどん信憑性を増していくやりとりに口を閉ざしてしまうヒートに、先ほどから違和感を感じてならないサーフはぎこちなく体を起こした。微妙に話が噛み合っていないと感じるのは果たして気のせいか。 単刀直入に尋ねようと口を開いたが、しかしふと思い直してヒートを見る。 青ざめているような赤面しているような、微妙なヒートの表情。それに今までのやり取りをプラスすれば、何が出てくる? しばらく思案した後出した結論に、サーフはふ、と笑ってヒートを呼んだ。 「ゲイルはああ見えてしつこいからな、自分が満足するまで絶対に俺を解放しない。あれは鬼だ」 「………」 「自分が出したものは自分で始末しろ、とか俺に平気で命令するしな」 「………」 「まったく、出させたのはゲイルの癖に」 「………」 「誰がやるかと撥ねつければ、今度は言葉で苛んで―――」 「っああもう! わかったから! わかりまくったから! 頼むからそれ以上言うな!」 声をあげてサーフの言葉を遮ったヒートは、今までに見たことがないくらい動揺の色を見せていた。 目が「勘弁してくれ」と雄弁に語っている。 吹きそうになるのを堪え、サーフは問い掛ける。 「なぜだ?」 「な、なぜって…アホかお前は! そんなことベラベラと喋りやがって、恥って言葉も知らねぇのかよ!」 「何を恥ずかしいことがある。むしろ言いふらしたいぐらいだ。俺のこの励みようをな」 「――お前、頭わいてんじゃねぇのか?」 トライブの長とその参謀の情事を言いふらすなど、とは言えずに黙るヒートに、サーフはにこりと満面の笑みを浮かべた。 「その言葉、そっくりそのままお前に返してやるよ」 「何、を―――」 意味ありげに微笑むサーフに言葉の真意を問おうとすれば、足音と共に扉が開き、空色の髪が飛び込んできた。 「あー、兄貴めっけ!」 探したんだぜー、と少し拗ねた風にサーフの元へ寄るシエロを、サーフは苦笑を浮かべて理由を告げる。 「ああ、ちょっと篭ってたからな。ゲイルが―――」 「ってちょっと待て! お前、まさかこのガキにも話すのか!?」 いくらなんでも人選を考えろよ、とヒートが慌てて制止に入ったのだが、サーフは綺麗に無視をしてシエロに告げた。 「部屋を掃除しろって聞かなくてな」 「――――――は?」 掃除? 「あーそういやゲイル、最近兄貴捕まえては言ってたな。で、今日は逃げられなかったって訳?」 「――あいつの監視付き、という素晴らしい状況だった」 どこか遠くを見つめて言うサーフに、シエロが嫌そうな顔をする。 「監視付き、しかもゲイルか……うっわ想像でもキツイ。俺、多分泣くわそれ」 「安心しろシエロ、お前のゲイル像は間違ってない。俺の部屋なんだから俺が満足すればそれでいいだろうに、細かいところまで注文され続け…長時間中腰でいたせいで俺の腰は死んだ」 「……それで突っ伏してる訳ね」 哀れなとでもいうようなシエロの言葉に、サーフは急に笑い出した。 「だがな、恐ろしいことに話はそれで終わらないんだ。部屋の掃除の後、埃を盛大に被った俺はそれを洗い流そうとバスタブを使ったんだ。湯を張ってそこにしばらく浸かって、ようやく少しは回復したかと思ったら…さっぱりした俺を待ってたのはなんだったと思う?」 「も、もしかして…」 「無表情に、なんの感情もこめられずに、ただ淡々と『ついでだ』『そこも手がけろ』。もっと早く言えよとかそういうのは最早問題じゃなかったな。――腰? そんなものはとっくに壊れ果てたさ。なぁシエロ、俺は本当に偉いのか?」 「兄貴……」 やや自棄気味にあらましを告げるサーフを、シエロは同情いっぱいの眼差しでその肩を叩いた。 そんな涙を誘う光景は目に入らず、一人取り残されたヒートは嫌な汗をかくばかりである。 「お、お前…その、じ、"自分で出したものは自分で始末しろ"って言ってたのは……」 「――ああ、ゴミの話か?」 おそるおそるサーフに疑問をぶつければ、しんみりした雰囲気から一転してさらりと答えを返してきた。 ゴミかよ! とヒートは胸のうちで自分とサーフに突っこみを入れ、誤解だとわかった瞬間に上がって来た羞恥を隠すために手で顔を覆った。 そんな自分に何を思ったのか、サーフはことさら丁寧に、ゆっくりと発言の説明をし出しす。 「ゴミって言っても、レーションの包装がほとんどだ。ゲイルと戦略を話し込んでると食事する間もないからな。あいつは食わなくても平気みたいだが、でも俺は耐えられない。手軽に食えるそればかり口にしていれば、当然ゴミも出る。でもな、そもそもゲイルが食事時間を与えてくれればこうはならないんだ。だから"出させたのはゲイルの癖に"」 「………」 「大体、自室を掃除するトライブのボスがどこにいる? 賭けてもいい。俺だけだぞ。それをあいつは――」 「うう、兄貴ぃ〜」 よほど腰が痛むのだろう、大抵の身にかかる不幸にも動じないサーフは、今は恨めしそうな声でここにはいない相手を毒づく。 そんなサーフにシエロが丁寧に相槌を打って馴れ合う様子は、普段だったら鬱陶しいと思っただろう。だが今のヒートにそんな余裕は一切なかった。 勘違いしていた内容が内容なだけに羞恥も強く、想像が外れて嬉しいはずなのに素直に喜べない。うるさいぐらいの鼓動に支配されながら、肝心なことをサーフに確かめられないで、ヒートはただ口を開けたり閉じたりを繰り返した。 思い違いをしていた内容を直接口には出していないが、果たしてそれはサーフに通用するのだろうか。 考えるまでもなく「この場は危険だ」と自身の中で警報が鳴っていたが、そうしたくとも足が固められたかのように動かなかった。 そして鉄槌は下る。 「ところで、なんでこいつさっきから変なわけ? またセラに振られたとか?」 「ああ、ヒートか」 シエロがどこか落ち着きのないヒートの様子をサーフに問えば、彼は腰の痛みなどないかのような笑顔で答えた。 「危ない妄想垂れ流しで制御きかないらしいぞ。危険だからあまり近寄らない方がいい」 「!!」 「げっ、こいつそこまで追い詰められてんの?」 セラが危ねぇ! と嫌そうにこちらを見るシエロに、ヒートは言葉も出なかった。 サーフの直接の言葉に、それまで感じていた羞恥心が幾倍にも膨れ上がって動機がこれ以上ないくらいに早くなる。顔は髪に負けないくらい赤く染まった。 これはやばい。非常にやばい。 多分、これから己はサーフに言葉でなぶり殺されるのだろう。これまでの経験と、今のサーフの表情がそうだと告げている。 ねちねちと執拗に、容赦なく浴びせられるだろう言葉の数々。嘲笑。下手に言い訳しても言葉で勝てる相手ではない上、自分は墓穴を掘ることが上手いのだと悲しいがヒートは知っていた。そんなこれからを想像するだけで意識を飛ばしたくなるが、生憎そんな術は持っていない。 恐怖に絶望、と顔に大きく書いたヒートだったが、しかし彼にも救いの神はいた。 今まさにヒートへと声をかけようとしたサーフに「伝令です」と扉の向こうで声が掛かった。 なにか問題でも起こったのかと思ったが、聞けばゲイルがサーフを呼んでいるというだけのことだった。特に急いだ様子もないので、サーフはそれを蹴ってそのままここで自分をいたぶるのではないかと恐怖したヒートだったが、意外にもあっさりとサーフは遣いのものに応と返事をした。 普段よりは頼りなく、しかしこの部屋に来た時よりは幾分かましな様子でサーフが立ち上がったのを見て、思わずヒートの顔が緩んでしまう。まだ羞恥心はひとつも抜け切れていないが、サーフさえいなければそんなものどうとでもなる。 「えー、兄貴行っちゃうの? せっかく会えたと思ったのに」 「このままやられっぱなしでいるのも癪だからな」 にこりと笑いながらの言葉に、そりゃそうだろ、と最早他人事でヒートは思った。やられるのが自分でなければ他はどうでもいい。 じゃあな、と部屋に残るシエロとヒートに声をかけ、サーフは扉へと足を進める。 しかしサーフが完全に外へ出るまでは気が抜けないヒートは、近づいてくるサーフに落ち着かない気持ちになりながらその姿を見つめた。 互いの距離が縮むほど心拍数も上がり、近距離になるとやましさからどうしても目を逸らしてしまうが、サーフから馬鹿にするような笑いは零れたりはしなかった。 代わりに投下されたのは起爆剤だった。 「ああ、ヒート」 「な、なんだよ」 思い出したかのように呼びかけられて身を固くするヒートの耳元に、ひそりと落とされた言葉。 「―――ス・ケ・ベ」 掠れ気味に、そして最後に軽く息を吹きかけられれば、それまでヒートが堪えていたものは一瞬にして弾け飛んだ。 言葉にならないような叫び声を耳にして、なんだなんだと通路にいる構成員たちが振り返る。 そして彼らが見たものは、扉を閉めてなお洩れているヒートの喚きと、いつも通り無表情ながらも、どこか足つきは危うく通路を進むサーフの姿だった。 べったべたな話だというのはさて置き、頭わいてるのは私です。 |