「駄目だ…ここにもいない」 重い重い言葉に、物置きに使われている狭い部屋の中、サーフは沈んでいる肩を慰めるように叩いた。 ■■■ 猫がいない。 シエロが取り乱した様子でそう言ったのは、いつもの探索後、自由時間を与えたすぐだった。 サーフたちのもとに突然現れて、誰も深く気に止めないままいつの間にか馴染んでしまった、左右の耳の色が違う猫という生き物。 最初にいなくなったと聞いた時、しかしサーフはただ「そうか」と思っただけだった。現れたのが突然なら去るのも突然なんだろうと、特にどうと思う事なくシエロの言葉を聞いていた。サーフとしてはあの猫には愛着よりも訝しみの気持ちのほうが大きく、いないと聞き、どちらかと言えば不安よりも安堵の方が強かった。 だがシエロは違った。 助けになってくれたのだとシエロは言った。アジトを脱出する際に手助けをしてくれ、サーフたちの危険を知らせてくれたのだと、愛しそうに猫を腕に抱きながら言ったのを覚えている。 セラが以前飢えて我を忘れそうになったゲイルからシエロを救って、そして以後彼女に対して多大な好感を持ったように、アジトを抜け出す手伝いをしてくれたその猫をシエロは誰よりも可愛がるようになった。 その猫が、いない。 猫の行方がわからなくなったことを、シエロはまずサーフに告げてきた。 正確にはサーフの周りにはシエロを除くメンバー全員がいたので、サーフだけではなく皆に告げたようなものだが、シエロの目はサーフだけに向いていた。 それだけでこの後の展開がわかってしまったサーフはやれやれと苦笑いを零すしかなかった。面倒極まりないことだと思っても、自分はこの縋るような目に負けて一緒に捜索してしまうのだろう。 一瞬の後、探すか、と声を掛ければシエロの目は輝き、流石兄貴ぃ! と力いっぱいしがみついてくるのをいなして、捜索は始まった。 よくいる場所にはもちろん、シエロの部屋や今まで一度でも見かけたことのある場所にもいなかったとのことで、とりあえず皆にも助けを請うてまだ見ていない部屋やアジト近辺を手分けして見回ることにしたのだが。 「あーここもいねぇ…」 最後の部屋を覗いても、目当ての姿はなかった。 「…あいつ、ここいるの嫌んなっちまったのかなぁ。やっぱ撫でられるのとか嫌いだったんかなぁ。あーもう猫やーい、お前どこ行っちまったんだよぉー」 念のため他の仲間にも連絡を取り「いない」という返事が返ってくると、シエロは目に見えて落ち込んだ。 「無事ならいいけど…こんな世界で外出たら危険な目に合うこと必至だし、腹も空くだろうし。どうしよ兄貴。俺めちゃくちゃへこんでる」 「シエロ…」 いつものはじけるような元気さは身を潜めて、がっくりと項垂れてしまっているシエロを見ればサーフの胸も微かばかり痛む。 猫は無事だろうと気休めを言うのは簡単だが、どう見ても外は危険であるし、シエロのような親切な者に拾われているというのもかなり望みのない話だった。だからといって外をしらみつぶしに当たるというのも、思うのは簡単だが実行するのはまず無理だろう。世界は狭いようで広い。 猫が何を思ってここから姿を消したのかはわからないが、こうなっては他にどうすることも出来ない。シエロには諦めてもらうしかなかった。悲しい決断だが、そうする他に道はないのだ。 だがサーフが何か言う前に、シエロは勢い良く顔を上げて言葉を遮る。 「俺、ちょっと遠出してみる!」 「シエロ」 必死な様子に、だが、切りがない、と目に力をこめて相手を見たが、怯んだのはほんの一瞬だった。 「…だって諦められねぇよ。危険な目に合ってるのなら助けてやりたいし、もしたまたま散歩か何かで慣れない外出てみて、迷ってたり怪我してたりして帰れないとかだったら一秒でも早く助けてやりたいし」 「………」 「これは俺のわがままで、兄貴やみんなにも迷惑かけてるってわかってるけど、でもやっぱ俺、あいつが心配でたまんなくて…。あ! もちろんこれ以上は俺一人で探すし、やるべきこともきちんとやって、時間あるときだけだからっ、だから」 諦めないでもいいか、とシエロは必死にサーフへと請うた。 全身で猫を気にかけ、その身を案じているのが容易に伝わってくる表情だった。今ここでサーフが応と言えば、いつまでも、その姿を見つけるまでシエロは探し続けるのだろう。 深く考えるまでもなく、頷くことはできなかった。 自身の時間を使い、一人で探すとシエロは言ったが、それではシエロが休まる時間がない。戦闘要因である以上、疲労しているシエロを連れていくことは出来ない。シエロの失態は引いては仲間の失態になり、他のメンバーが危険に晒される可能性が高くなる。 一人で捜索するというのも危険だ。猫を探すことに気を取られれば、周りへの注意が疎かになる。そこに複数で奇襲でも掛けられればひとたまりもないだろう。 リーダーとしても、彼の身を心配するものとしても、頷くことは出来ない。 だがサーフはシエロの願いを聞き入れた。 「まったく、しょうがないな」 「っ、兄貴!?」 溜め息混じりに言えば、まさか受け入れられるとは思っていなかったのだろう、喜びと驚きが交じった反応が返ってきた。 「えっ、えっ、ホント? ホントにいいの!?」 「喜ぶのはまだ早いぞ。条件付きだ」 「条件……?」 「捜しに行く時間の限度は決めろ。あと疲労しているときや、翌日に差し支えそうなときは行くな。―――最後に、俺も同行する」 「え…」 「不満なら猫は諦めろ」 「いやっ、そんなことないってむしろすっげぇ嬉しくて飛び跳ねたいぐらいなんだけどっ!」 だって兄貴忙しいのにいいのか? と不安そうに見上げてくるシエロに、サーフは肩をすくめる。 「いいわけないだろ、バカ」 「! じゃあやっぱいいって! 俺一人でいくから!」 「一人じゃ危険だ」 「なら誰か他に時間ある奴に頼んで…」 「俺が行くって言ってるだろ」 言葉を遮ってはっきりと言うと、途端にシエロが力一杯抱きついてきた。 「うう〜、ありがと兄貴ぃ〜!」 「ああ、わかった、わかったから。ほら、さっさと行くぞ」 目一杯態度で感謝の意を表わすシエロの頭を軽く二、三叩いて捜索を再開させる。いなくなってからそう時間が経っていないのなら、早く探した方が見つかる確率も高いだろう。 足早に部屋の外へ出ようとしていた二人だったが、そこで思いがけない言葉が掛けられる。 「その必要はないわよ」 言葉と同時に扉が開いて、入ってきたのはアルジラだった。そして二人は目を瞠る。 彼女の腕には、シエロの大事な捜しものが抱かれていたからだ。 「アルジラ、そいつ…」 「ねっ、猫! 猫っ! 猫ーっ!」 「どこにもいないって聞いて、シエロがどうなってるか心配して見に来れば…この猫、この部屋の前にいたわよ」 はいどうぞ、と手の中の生き物を落とさないように慎重に渡せば、シエロは泣き笑いのような表情を浮かべて猫に頬を擦り寄せた。 「あーもう心配したんだぞお前ー! っとにどこ行ってたんだよー、あんま俺を不安にさせんなよなー」 ぐりぐりと顔を押しつけるので猫は嫌そうにもがいたが、シエロは爪を立てられるのも構わずにそうし続けた。捜し求めていたものが見つかった今は、その痛みすら嬉しいのだろう。 そんな一人と一匹の様子に目を細め、サーフとアルジラは顔を見合わせて互いに苦笑を漏らした。 「感動の再会、ってやつだな」 「ふふっ、シエロのあの嬉しそうなこと」 「散々探して見つからず、これから外で範囲を広げて探すかっていう時になって見つかるなんて出来すぎな気もするけどな。いたのならさっさと出てくればいいものを」 「私たちもここは見たんだけどね。…でも偶然にしろ誰にも見られないで今までいたなんて、なかなかやるわねあの猫」 「俺はあの生き物が更に不気味になったけどな」 「もともとそういう生き物なんでしょうに」 「さてどうだか」 軽い冗談の言い合いと、猫に過剰に構うシエロの姿に、サーフの肩の荷もようやく下りた。 無事に猫を発見できたという最善の結果で騒動は収まり、自分もシエロもこれ以上の疲労や心労がかかることはなくなったのだ。 軽くなった心のなか、視界の端で嬉しそうなシエロの表情を見ながら、サーフはふと、一人の仲間を思い浮かべた。 ■■■ 部屋に入ってその姿を確認すると、傍に置いてあったものを断わりもなく机の上に置いて隣に腰掛ける。 部屋の主はそうされても文句一つ言わず、サーフが来ても変わらずに電子機器に向き合っていた。 それを不満に思う事もなく深く腰を掛け、ぼんやりと視線を前に向けながら、サーフはしばらく彼が出す小さな物音を聞いていた。 「……なぁゲイル」 「どうした」 手を休めないで返事を返すゲイルに、サーフも視線は未だ宙に向けたまま、静かに言葉を続けた。 「もしこの先、俺の行方がわからなくなるようなことがあっても、諦めずに探せよ。見つからなくても、絶望的でも、俺が死体になっててもいいから、見つけるまで、探せ」 一瞬ゲイルの手が止まり、部屋の中が無音になった。しかしすぐに彼は元の通り手を動かし始め部屋の中に音が戻る。 「ああ」 ただ一言の短い返事だったが、それが聞きたかった。 その言葉を最後に部屋はまたゲイルが出す音だけが響く。 どこともなく見定めていた視界は、目蓋を閉じて無にするとより一層その音がはっきりと感じられた。 しばらくそのままで脳裏に焼きついている残像にひたる。 目を閉じて浮かんでくる、先程のシエロと猫、そしてゲイルの声。 切ないような嬉しいような複雑な気持ちに、サーフは傍の存在に手を伸ばした。 ゲームをクリア(1のみ)してこその話ですね。 |