孕む意思






最後に彼は何を思ってその瞳を閉じたのだろう。







魔導砲を破壊するためにバルトリック砦へ向かい、奮闘するオーディネル軍へ合流した。
そこで無意識に探し出した姿を捉えて、クレヴァニールは安堵する。
しかしその目前にいる人物を把握した途端、震えるくらいに背筋が粟立った。


「ヴェスター…!」


闇の気配を纏うその姿は、クレヴァニールにとっては憎しみと怒りと、そして恐怖の存在だった。
親代わりだった団長をかたちにさえ残らずに消し去ったことはまだ記憶に新しい。
負けるはずがない強さを持った団長をいともたやすく死に追いやった闇の力。
その得体の知れない力を持った者が、今アルフォンスの目前で不適に微笑んでいる恐怖。
アルフォンスをヴェスターに近付けてはいけない。なんとしででも。
しかしクレヴァニールの前にはまだ敵が残っていた。早く彼の元へ行きたい気持ちばかりが先走って思うように刀が動かない。その間にもアルフォンスとヴェスターの一騎打ちは続いて、焦れったさに気が狂いそうだった。

そして聞こえた苦痛。


「アルフォンス!」
「くっ、何を…!」


遠目でよくわからなかったが、アルフォンスの体が漆黒の闇に包まれはじめていた。その闇の中で起こっている何かに歪むアルフォンスの顔と呻きに、クレヴァニールは悲痛に叫ぶ。


「やめろっ! やめてくれヴェスター! やめ……っ」



その光景は劫の時間をもってしても忘れることはないだろう。


闇がアルフォンスを覆ったその一瞬。
耳を塞ぎたくなるような叫び。そして大切な姿が沈む様。
すべてがスローモーションのように流れ、クレヴァニールは目に映ったその光景が信じられなかった。


「…私はこれで失礼する。これからも私を楽しませてくれたまえ」


まるで自分たちを駒のように扱っている発言を残して去るヴェスターの言葉は、クレヴァニールの耳には届いていない。
ただアルフォンスの無事を確かめたくて、クレヴァニールは彼への道を塞ぐ敵を一心不乱に斬り付けた。


「―――アルフォンス!」


駆け寄ってその姿を目に捉えて、クレヴァニールは叫ぶことしかできなかった。
わかりたくなかったがわかってしまう。彼は、アルフォンスは、もう助からない。
それでもなんとかして彼をとどまらせようとするクレヴァニールの手に、微かにアルフォンスの手が触れる。


「アルフォンス……」
「………」
「いやだ……いやだっ!」


声を出す気力がないのか、それとも喉を痛めたのか、アルフォンスの声を聞くことはなかった。
ただクレヴァニールに笑みを。
クレヴァニールの好きだった穏やかな笑みを浮かべて、そっと目蓋が下りた。


「嘘だろアルフォンス…」


重ねられていただけの手を取り、いくら握り締めても反応はない。
そっと頬に手をすべらせても、睫毛さえ震えない。





アルフォンスはもう目を覚まさない。




そしてクレヴァニールは目的を失った。





■■■





あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。外は暗くなってだいぶ経ち、慌しかった砦の内も今は静まり返っている。
遺骸が軍旗で包まれた時もその後も。ずっとクレヴァニールはアルフォンスの傍を離れなかった。
軍旗で覆われる体を見たとき、本当に彼は死んでしまったのだという現実を見せ付けられ、例えようのない喪失感がクレヴァニールを襲った。
時間が経つに連れて起こる、見慣れているはずの細胞の強直、体温の低下がただ悲しくて悔しくて、唇を強く噛み締めなければ叫んでしまいそうだった。
遺骸の傍を離れることは出来ずにいるクレヴァニールを心配して仲間たちが声をかけてきたが、どれも耳には入ってこないし、入ってきたからといってこの喪失感がどうにかなるわけでもない。
気遣いをありがたく思うよりも、今は一人にしてほしかった。


「クレヴァニール」


呼ばれて視線だけを上にあげれば、今一番会いたくない姿がクレヴァニールに近づいてきているところだった。
クリストファーの容姿は彼に似すぎて辛い。
再び俯いてしまったクレヴァニールにひとつ溜め息をつき、その隣にクリストファーは腰を落とした。


「悲しいのはわかるが、いい加減胃に何か入れたり体を休めたりしないとお前がくたばっちまうぞ」
「……食欲も眠気も感じない」
「馬鹿。こんなことがあったんだからそうなるのは無理もないけどな、それでも、いやこういう時だからこそ体は休息を必要としてるんだよ」
「………」
「それにな、ずっとここにいたって現実は変わらない」


それは痛いほどにわかっていることだったが、それでもクレヴァニールは動こうとしなかった。


「いいかクレヴァニール。誰も無理やりお前を戦力として戦に駆り立てたい訳じゃない。アルフの死を忘れろなんて言わない。これからどうするかなんてそれはお前次第だ。復讐に駆られて世界をメチャクチャにしようとする奴を倒そうとも、そうでなくとも、なにもしなくても。お前が決めたことなら誰も文句は言わないさ」
「………」
「だけどな、弱っていくお前の姿は見たくないんだよ。心配する仲間の声が素通りするのもわかるけどな、お前がそうなってアルフはどう思うだろうな」


それはクレヴァニールの感情を昂ぶらせる一言だった。
自分の元へやってきた誰もが口にし、そしてクリストファーまでも出した言葉を、鼻で笑うように返す。


「―――もういない人が、どうやったら悲しめるというんだ? 彼の感情がわかるというのなら、なら教えてくれよクリストファー」
「お前……」
「俺がどうなろうともう彼は知ることはない。知れないんだ。なのに誰もがアルフォンスの意思がまだあるようなことを言って、結局は俺に指図をする。じゃああんた達の言うように気を持って前向きに生きれば彼は笑ってくれるのか? そんなこと誰がわかる? どうやったら感じられる? 双子ならわかるのか? 出来ないだろう? …どんなことを言ったってそれは奇麗事だ。アルフォンスはもういない。それは変わらないんだ」
「クレヴァニール」
「わかってる。わかってるさ皆はただ俺を心配してくれているだけだって。俺のこの絶望感も一時的なものだろう。時間が経てばこの悲しみも薄れて皆が望むような俺になるのかもしれない。だけど、そうやってアルフォンスのことを忘れていった上で築かれる未来に立つ自分なんて吐き気がする。彼がいない世界なんて意味がいない。なのに死ぬことも出来ずにこうやって俺はのうのうと生きている。もう、何をしていいのか、何がしたいのかもわからない。何も……考えたくない」


強い拒絶を瞳に宿し、睨みつけるように言葉を吐き出すクレヴァニールの悲しみに、クリストファーの心は痛んだ。
言葉を荒げるでもなくただ冷静に紡がれる、その思いの一つ一つが胸をえぐるようだった。
同じだ。クレヴァニールと己は同じだ。口ではクレヴァニールを諭すようなことを言いながらも、心の奥の思いは彼となんら変わることがないではないか。アルフォンスというかけがえのない人物を失った悲しみはクリストファーとて耐えられないでいるのだ。
クレヴァニールの思いに引きずられてそのまま自分もアルフォンスの死の闇に落ちそうになったが、しかしそれが出来ない理由がクリストファーにはあった。
目を閉じて軽く息をついた後、動きのないクレヴァニールに静かに問う。


「…明け方に魔導砲ぶち壊すんだろう?」


魔導砲、と聞いてクレヴァニールの体が強張った。
アルフォンスがこの場にいた原因である兵器である。

ヴァルカニアがその標的にオーディネルを選んだりしなければ。
その兵器が作られさえしなければ。

それらの仮定を想像し、もしかしたら彼は健在していたかもしれないと思うと悔しさで堪らなくなる。
アルフォンスの死の前にどうでもよくなっていた魔導砲の破壊が、そこで急に意欲が沸いた。
魔導砲は壊す。そしてヴェスターも倒す。
しかしそれは他の仲間のように「世界を守る」という大儀などではなく、個人的な感情によるただの私怨だ。
そんなクレヴァニールの感情が読めたのか、クリストファーは目の前の赤い髪に手を置いて言った。


「恨みでも復讐でもなんでもいいさ。俺だってあの兵器に、それを指導している奴に、清い感情なんか持ち合わせちゃいない。そしてアルフに止めをさした人物がそれと一致してるとくれば恨みどころの話じゃない」


口調は静かだったが、そこには強い怒りの意思が込められていた。
そこでクレヴァニールは気付く。自分以外にも強くアルフの死を悲しむ人間がいることを。
知り合ってそう日は経たないが、それでもクリストファーとアルフォンスが互いを半身のように思っていることはすぐにわかった。クリストファーはアルフォンスを支えようと、そしてアルフォンスもまたクリストファーを支えようとする姿に、嫉妬という感情さえ湧けなかった。
何よりも大切な半身。それを喪ったクリストファーの悲しみは自分が想像するよりもさらに深いのだろう。
しかしクレヴァニールの目に彼は気丈に見えた。少なくとも陰鬱な気配はない。悲しまないはずがないのに、彼はそれをどこに隠しているのか。
疑問は口をついていた。


「……なぜそんな風でいられるんだ」


大事な半身だったんだろう?
静かに問えば、少しの間を置いてクリストファーは語りだす。


「そうだな…多分アルフの意思を継ごうと決めたからだろうな。あいつは街と民を何よりも大事にしてきた。それが今危険に晒されている。止めたい。護りたい。…そうすることで例え姿がなくても、俺を通じてアルフの意思が生きている気がしないか」
「………」
「あいつがいた面影のある形跡をほんの少しでもなくしたくない。家も街も人も世界も。ここまでくるとこっち側の完全な自己満足だが、俺はそうしたい。お前はまた綺麗事だと嘲るんだろうけど」


悲しみに浸るのはそれからさ。


そう言ったクリストファーの強さが羨ましかった。


「俺は……無理だ」


視線を床に向け、低く零されるクレヴァニールの言葉に、クリストファーは声を強めて言った。


「じゃあお前、アルフの持ち物全てをなくせるか? 例えばあいつの剣、好きだった書物、贈られた品物。失って、それでアルフの痕跡が消えてしまってもうあいつを思い出す全てのものがなくなっても平気でいられるのか?」
「それは―――」
「お前はアルフの死を盲目的に悲しんで、この先どうなっても構わないって思ってるかもしれないがな、失った後で淋しさを覚えるものなんだぜ人間てやつは」
「……俺がそうなると、どうして決め付けられる」
「お前がアルフの亡骸があるここから離れられないからさ」


答えになっていない、とクリストファーを睨めば、クリストファーも強い眼光でもってクレヴァニールと視線を合わせた。


「お前がここにいる理由を当ててやろうか。――アルフォンスという人物を忘れたくないからだ。お前は時間の経過が故人を薄れさせていくことを知っている。だからそうなりたくないと、アルフを最後まで感じようとここにいるんだ。悲しみが深いほどな」
「………」
「それでも、時が経てばどうしても薄れちまうんだよ。そうならないように務めてもこればかりは無駄だ。お前もわかっていて、忘れることへの恐怖が強いから、アルフの傍から離れられない。忘れたくない? 無理だってわかってるんだろうクレヴァニール。この先お前は記憶が薄れていくにつれ、アルフを消したくないが故にアルフの名残を探すだろうさ。そうなって後悔しても遅いんだぞ」


そう、クレヴァニールはわかっていた。
今どんなに自分がアルフォンスを忘れまいとしても、時間の流れはそうさせてくれない。少しずつ、少しずつ薄れていってしまい、今は確かなことも時が経てば曖昧になってしまうのだろう。


「………結局、何をしても完全に記憶していくことなんてできないからな。だから俺はアルフの意思と共に生きていこうと決めたんだ。そうすれば少なくともあいつが消えるということはない。声や姿がなくとも、アルフは俺の中で生き続けるんだからな」


思いもかけない甘美な言葉に、クレヴァニールの肩が揺れた。


「共に―――?」


アルフォンスの意思。
それを己の中に宿せばアルフォンスと共に生きていけるとクリストファーは言う。
しかし結局は綺麗事で、アルフォンスがいないという事実には変わりがないではないか。
そう言おうとした言葉は、しかし詰まった。
確かにアルフォンスが甦らないのは事実だが、それでもクレヴァニールの胸はクリストファーの語った言葉に疼いている。
どんな形であろうとアルフォンスと共に生きていけるということ。それがクレヴァニールを捕らえていた。


「クリストファー、それは……」


目で問うてくるクレヴァニールに、彼の中で息づいたものを感じ取り、クリストファーは目元を緩ませる。


「簡単なことだ。さっきも言ったろ。アルフが護りたかったものを護ればいいんだ。街や人、いろんなものを。そうすれば、体を使ったのは自分になるけど、それを動かしたのはアルフになる。まさに一心同体、二人で生きているっていう気がしないか」


ゆっくりとやさしく紡がれる言葉に、クレヴァニールは己の胸元を強く握り締める。
奥歯を噛み締め、自分でもわからないなにかを押さえ込んだ。
そんなクレヴァニールを真剣な眼差しで見据え、クリストファーは訊いた。


「―――アルフの意思、継ぐだろう?」
「俺、は―――」


言葉を発しようとして唇が震えた。言葉を発せずにクリストファーを見る。 心は揺れていた。そうしたいと思い始めている。だがクレヴァニールはこの先アルフの死を乗り越えて、彼の意思を護っていける自信がなかった。虚無感に呑まれれば、また振り出しに戻ってしまうだろう。そんな中途半端で脆い己がアルフォンスの意思を継いでいいわけがない。
言葉を止めてしまったクレヴァニールに、しかしクリストファーは言った。


「お前は難しく物事を考えすぎなんだよ。大事なのはその場から動こうとする気持ちだ。少しでも気持ちが動いたのならそれでいいじゃないか。やってみなきゃわからないだろう? まずはやってみて、それから判断すればいい。出来ないと決め付けるな」


クリストファーはアルフォンスと同じく、強い意思を秘めた瞳をしていた。
本当にこんな中途半端な自分でもいいのだろうか。アルフォンスの意思を護り通すことが出来て、このクリストファーのような目に自分もなれるのだろうか。アルフォンスを、宿せるのか。


「もう一度聞く。継ぐな?」


しばしの後、クレヴァニールは頷きで応えていた。
まだ払拭されない不安に振ったかも曖昧で微弱な動きになったが、クリストファーは「そうか」と頷き、冷えた体をきつく抱きしめてくる。


「それでこそアルフォンスと俺が愛したクレヴァニールだ」


微かに笑ったその表情にアルフォンスの面影が重なり、胸が締め付けられた。
先ほど噛み締めたものが緩んで取り乱してしまいそうになり、腕を突き出してもがく。
しかしクリストファーはクレヴァニールに回す腕に力を込め、よりきつく抱きしめてくる。


「泣けよ。気持ちを無理に溜めるな。普段の生活では忘れていても無理はないが、お前はもう少し人を頼ることを覚えろ。お前が思ってるほど、お前は一人じゃない」
「……っ」
「言っておくが、あいつが一番護りたかったのは他でもないお前だクレヴァニール。お前が笑っていられることがアルフォンスの一番の意思なんだ。アルフの意思を継ぐというのなら、それを忘れるな。いいな」


堪らずに涙が溢れた。
いつだって人のことを第一に思っていたアルフォンス。
表情に乏しい自分の、微かに微笑む様をみて嬉しそうに笑ってくれたのを覚えている。
鼓動が聞こえるほどに触れ合っている胸の感触。頭上から紡がれる彼とよく似た声。回された腕の温かさ。
今クリストファーによって与えられるそれらにどれも覚えがあったが、しかしその感触を教えてくれた彼はもういない。
笑顔など、アルフォンスなしではつくれやしないのに。

切なさに耐え切れず、クリストファーに強くしがみ付いた。
どうして、と。
どうしてこんなことになってしまったのかと。
アルフォンスに会いたい。抱きしめて欲しい。そしてあの笑顔が見たい。
無理だとわかっていても気持ちは抑えられず、それまでは当たり前だった何気ないやりとりがひどく恋しいと口にする。
そうしてみて、つらい胸のうちをこうして誰かに受け止めてほしかったのだと気付いた。

過ごした時間は長いものではなかったが、他の何よりも大切な人だった。彼の言葉にこの身は何度救われただろう。
勝てるかもわからない戦いを励ましてくれたのはアルフォンスだった。彼を、幸せにしたかった。幸せを感じて、そしていつまでも笑顔でいさせたいと思った。しかし現実は、己はヴェスターの前に何も出来ずにアルフォンスの死を許してしまった。強い後悔。自分への嫌悪。二人で笑い合った過去が今はひどく遠く、未来に感じるのは不安と恐怖しかない。
それらの感情がが渦巻く中で、これからの時間を己は耐えられるのだろうか。

上手く口に出来ないで途中詰まったりもしたが、それでもずっとクリストファーは聞いてくれた。
ただ静かにクレヴァニールを抱きしめ、時折「大丈夫だ」と相槌を打つ。それだけのことだったが、クレヴァニールには必要だった。



やがてクレヴァニールの意識が薄れるまでそれは続き、そして夜は明けた。





■■■





夜明けののち。
知らずに眠っていたクレヴァニールは、目が覚めてもアルフォンスの死が夢でないことを知って落胆する。


しかし胸に宿したひとつの存在。


彼と共に生きるために、クレヴァニールは再び刀を握って扉を開けた。













アルクレなら一度は通る道かと。未だにアルフ生還ルートないのが悔しいです。
どうでもいいんですが意思を「遺志」とするかでかなり悩みました(確かゲームではクリス「遺志」って言ってた気がします)