あれからすぐに肉まんはなくなってしまった。 最後だという一欠片が口の中に収められ、もうこの味とアッシュの施しが終わってしまうのだと思うとひどく淋しい思いになる。 アッシュはこちらの願いを聞き入れてくれたのか一応留まってくれるようなので、それならばこの思いを塗り替えてほしかった。 せっかく一緒にいる時間なのだから、もう少し親密な触れ合いをしたい。ほんの少し手を握るだけでもいいのだが、縛られている身ではどうにも難しく、ついつい目で縋ってしまう。 だがそこでも「食料はもうないぞ」と相変わらずな誤解をされ、ここはいっそ勇気を出して言うべきだろうかと思い悩んだ。幸いというか、少し前にもう恥ずかしい台詞は言ってしまっているので、今回のこともついでとばかりに言えそうだった。 だがそこで現れたのが、湯気の立つ食器を持った大人二人である。 「ようルーク、お待ちかねの飯だぞ――と言いたいところだが」 「何やら楽しいことになっているようなので、いりませんよね」 「飯」という言葉に輝かんばかりの笑顔になったルークだったが、続けられた二人の言葉にそれは見事に固まった。 傍にアッシュがいることを指しての「いらない」なのか、それとも肉まんをもらってしまったことがバレているからこその「いらない」なのだろうかと判断に迷う。 後者なら非常にまずいのだが、その疑問はガイが解決してくれた。 「美味かったか、肉まん」 「……あ、あの、その……」 「不味いわけないじゃないですかガイ、空腹時にアッシュから食べ物を恵んでもらうなんてこれ以上ない調味料ですよ」 「ああそうだよな、罰を受けてる最中にもらったというドキドキ感もいい具合にスパイスになっただろうし――おい、逃げんなよアッシュ」 場の空気を察し、被害を受ける前にと背を向けたアッシュだったが、ガイは見逃さなかった。 逃げようとしていたアッシュにショックを受けつつ、ルークはそれまでのときめきも忘れて心の中で裏切り者と呟く。 しかし今はアッシュよりも目の前の二人である。 上目でびくびくと様子を窺っていれば、ジェイドが近付いてきてルークの首に掛けられているプレートに目を落とした。 「ちゃんと書いてあるんですけどねえ。ルークしか目に入らないあまりにこの注意書きが目に入らなかったんでしょうか。どうなんです、アッシュ」 「………」 「だんまりですか。まあいいでしょう、どの道あなたも罰を受けるのですから」 「ええっ!」 罰、という言葉に反応したのはルークだった。 アッシュは腹を空かせている自分に心を砕いてくれただけであって、罰という言葉を受けるような行為は何一つしていない。自分が受けるのならばこれは仕方がないが、アッシュは違うだろうと傍のジェイドを見上げる。 「悪いのは俺で、アッシュは関係ないだろ」 「ルーク。私たちとしても心苦しいのですが、いくら善意でも注意書きを破ったアッシュに全く罪がないわけじゃないんですよ」 「でも……だって!」 「自己責任と言いますか、おそらくアッシュだって覚悟の上での餌付だったはずです」 本当だろうかとアッシュに視線を向ければ、彼は非常に嫌そうな顔をしてジェイドを睨んでいた。 しかし言い返さないところを見ると、もしかしたらジェイドの言うことは間違っていないのかもしれない。だがそれがかえってルークに罪悪感を抱かせることになり、情けない表情でジェイドに頼み込む。 「なあ、俺はどんな罰でも受けるけどアッシュだけは勘弁してくれないか? アッシュの分まで俺が全部引き受けるからさあ」 「駄目ですよ。ですがこれであなたもわかったでしょう? あと先考えずその場だけの思いで行動すれば自分はもちろん、相手も巻き込んでしまうとね。アッシュが罰を受けることもすべてあなたの罰と思いなさい」 そう言われてしまうとルークは何も言えなかった。 ついガイを頼って首を巡らすが、彼も苦笑しながら首を振った。 「食事抜きのお仕置き中に食いもんもらってたっていうのは流石にな。諦めろ」 ガイにまでこう言われると、本当にまずいことをしてしまったのだと実感させられてしまうというものである。 黙り込んでしまった赤毛たちを余所に、ガイとジェイドは少し離れた所に食器を置き出し、場に緊張が高まる。 そして手が自由になった彼らは並んでルークたちの前に立ち、月明かりを背に妖艶に微笑んだ。 「さあ、楽しいお仕置き二時間目といきますか」 ■■■ 「触るな」 「はいはい、いい子ですから大人しくしましょうね」 「……ぶっ殺してやる」 「どうぞご自由に。いつでも受けて立ちますよ」 「――このクソ眼鏡! 軍人なら国家の犬らしくグランコクマにでも帰ってろ!」 目の前で繰り広げられる光景を、ルークは眉を八の字にして見守っていた。 (ああごめんアッシュ、本当にごめん……!) 今アッシュは、向かいの木にルークと同じようにして縛られていた。 それだけでもアッシュには屈辱であろうに、傍にはジェイドがいて赤い頭を撫でている。手つきが優しいのがまたアッシュを煽っているようで、段々と目が座ってきている。 楽しそうなジェイドを見ていると居たたまれなくなり、ルークはわあわあと心の中で喚いていた。 しかしそれらに耐えることがルークの新たな罰である。 アッシュが置かれている状況が自分のせいなのだと思うと、これほど申し訳ないものはない。ジェイドがアッシュの頭を撫でるたびに罪悪感という名の針が刺さっていくようだった。 「なあガイ」 「お仕置き時間短縮とかは無理だぞ」 「う……だってこれじゃいくらなんでもアッシュが……」 可哀想だと言いかけると、世の中そう甘くはないのだと被せられてしまった。善意ならば決まりごとは破ってもいいのかと問われると、それ以上ルークに言葉はない。 しょんぼりと肩を落としていれば、ガイが妙に爽やかな笑顔で話しかけてきた。 「しかしこうやって見てみると案外似合いの二人じゃないか。なあアッシュ、お前ルークやめてジェイドにしないか」 突飛な発言に、ルークもアッシュも同じような表情で目を剥いた。 駄目だとルークが言う前にジェイドの眼鏡が光り、アッシュに顔を近づける。 「だそうですが、どうしますかアッシュ」 「死ね」 「振られましたか。まあ当たり前かもしれませんね、貴方にはもう心に決めた人がいるんですから」 それを聞いてついつい頬を染めてしまったルークだが、続けられた言葉はそんなこそばゆい気持ちを見事にふっ飛ばしてくれた。 「アッシュはガイが好きですからねえ。ガイ、あなたこそどうですか」 「うーん、生まれ変わってこいとしか言えないな。それでも無理だろうが。いや、絶対無理」 「おやおや手厳しい」 少しばかりデリケートなネタではっはっはと笑う大人二人にルークの頬は引きつっていた。 アッシュをいじめるための流れなのだろうが、通常ならばあまり触れないようにするネタを持ってくる彼らが怖い。 純然たるガイへの思慕をからかわれるアッシュの心中を思うと止めねばと思うのだが、口を挟めるような雰囲気にならずにルークは困っていた。 「おやなんだか不服そうですねアッシュ。ガイに振られて心に傷でもつきましたか? それとも他に想い人でも?」 ここでふたたびルークの耳がぴくりと反応したのだが、期待したようにアッシュが自分の名前を言うようなことはなかった。 ジェイドの意図を察し、心底嫌そうに表情を歪めるだけである。これほどあからさまであればルークとてジェイドがアッシュを羞恥やら何やらで責めようとしているのだろうということがわかるので、反応しないようにしているのだろう。 そうでなくても「想い人」とか「心に決めた」など言われて、素直に言うアッシュではない。言うぐらいなら他のどんな責めにも耐えるはずだ。 少し淋しい気もするが、ルークとてそんな前振りでアッシュの名前を出せるかと言われれば、やはり恥ずかしくて口ごもってしまうかもしれない。自分でさえこうなのだから、アッシュが言うとは到底思えなかった。 「いないのならばガイが言ったように立候補しましょうかね。そうですね、手始めに口づけでもしますか」 「はああああ!?」 「都合よく縛られていることですし、抵抗もなくて何よりです」 「ちょ、ちょっとジェイド!」 言った言葉を信憑付けるようにジェイドがアッシュの顎に手をかけたので、ルークはぎゃあと叫びながらじたばたと暴れ出した。 アッシュはこれからの展開があまりなもののせいか、目を見開いたまま固まっている。そんな状態では唇を塞ぐなど簡単なものだろう。冗談も多い男だが、こういうときのジェイドは本当にやる。やってしまう。そんな男だ。 しかしいくら嫌がらせでも、罪を犯したことへの罰だとしても、アッシュが自分以外の者とそんなことをするのは我慢ならなかった。 「ああもうガイ! アッシュを助けてやってくれよ!」 「別にいいんじゃないか? 俺としては万々歳だ」 「うわーっアッシュー!!」 味方がゼロだと悟り、暴れに暴れて嫌だと訴える。 体に縄が食いこんで痛みを感じたが、今にも触れんばかりの二人の距離を見れば大人しくしていることなどできなかった。 そうやってもがいていると、そこでようやくガイが本気で残念そうにため息をつきながらジェイドに声をかけてくれた。 「旦那、ルークが嫌だとさ」 「へえ。ではルーク、あなたがアッシュの代わりになりますか?」 どちらにせよ顔は同じですし私はそれでもいいですよ、とアッシュから体を放すと、今度はガイも加わって三人でぎょっとした表情になる。 そもそもなぜジェイドとキスせねばならない展開になっているのかが謎だが、彼の愉しそうな表情を見ているとそれを為さねばこの場は収まらないのだろうということがわかる。 自分がされるか、アッシュがされるのを大人しく見ているか。 究極の選択だが、それでもルークの心は答えを出していた。 アッシュがされるよりは、自分がされた方がまだマシに違いない。それは過去一度だけジェイドのお遊びで経験済みなので、一回やったのなら二回も同じだろうという思いからだった。嫌は嫌だが、アッシュがされることを思えば耐えられそうである。 アッシュは自分が守るのだと、妙な使命感に燃えながらジェイドに名乗り出ようとしたのだが、それよりも前にアッシュが言い放った。 「レプリカには手を出すな」 「――ではあなたが受けると?」 「そうしないと気が治まらないのなら好きにしろ。ただしそいつにしたら本気でお前を消してやる」 「アッシュ……!」 まさかの言葉に、ルークは胸を締め付けられながらアッシュの名を呼んだ。 彼も自分と同じことを思ってそんな言葉をくれたのだろうかと思うと、感動で言葉が出ない。 だが喜んでいる場合ではない。 アッシュが嫌だと思ってくれるように、自分もまた同じ気持ちなのだ。アッシュの言葉は嬉しいが、素直に聞き入れるわけにはいかない。 「駄目だってアッシュ! 俺が、俺がするから!」 「屑は黙ってろ。お前じゃ洒落にならねえんだよ」 「知るかよそんなの! アッシュがするのは絶対嫌だからな俺! ……それに俺一回ジェイドにやられ済みだから、もう一回ぐらいしたって大したことないだろうし」 「――その一回がむかつくってんだろ屑! お前はアホか!」 わあわあと木に括り付けられたままで不毛な言い争いを繰り広げていると、しばらくそれを眺めていたジェイドがパンパンと手を叩いて注意を引きつけてきた。 「はいはい、あなた方の互いを思いやる美しい心はわかりました。こうまで見せつけられては私も考えを変えざるを得ません」 「……庇い合いに心入れ替えてやめるってか?」 明らかに怪しい言葉にガイが思い切り怪訝そうな顔で突っ込めば、ジェイドは「ええ」と微笑みを返した。 途端にルークは笑顔になり、晴れやかな顔でアッシュとジェイドとを交互に見やる。ジェイドにどう響いたのかはわからないが、やらなくてもいいというのならばこれほどありがたいことはない。 アッシュとガイの表情は相変わらず渋いものだったが、それを気に留めることもなくルークはこの展開を大いに喜んだ。 よく考えればそんな必要もないのだが勢いで感謝の言葉を口にしようとしたところで、ジェイドが言葉を続ける。 「片方だけというのは不公平ですからね。俺だ俺だと彼らも言っているようですし、ここは両方ということで」 にこやかに落とされた言葉を受け入れるのに数秒を要した。 ガイが顔をしかめ、アッシュが奥歯を噛むのを視界の端に入れながらルークは叫ぶ。 「な、なんだよ両方って! 自分さっき"やめる"って言っただろ!」 「ええ。どちらか一方というのを"やめる"という意味でしたが」 「なんという鬼っぷり……! 喜んだ俺って……」 「ジェイド、それってルークの分までアッシュが引き受けるっていうのはナシか?」 「ってガイも何言ってんだよ!」 アッシュも何か言えと視線を向けると、目に見えるようなオーラを出す彼にひっと息を呑む。 陽炎のようにゆらりとしたような、それでいて重圧感たっぷりの原因は言わずもがなであり、ルークは気まずい思いでごめんと謝った。 「お前が黙っておけば最小限の被害で済んだものを……」 「っ、でも最小限て、アッシュがジェイドとキスするのは俺にとって全然最小限じゃないし!」 「うるせえんだよ、そんなの知るか屑! そもそもお前がつまみ食いなんかしなきゃこんなことにはなってねえんだよ。ああクソ、考えれば腹が立ってきた。お前なんか餌やるどころかあのまま放置して去ってりゃよかったんだ」 「そ、それは覚悟の上だって……」 「誰がそんなことを言った」 「ぐ……」 気のせいか、先ほどまで良好だったアッシュとの関係も段々とひび割れていく。 正直まさかつまみ食い程度でここまで発展するとは思わなかったが、あの時耐えていればこうなっていないと思えば色々ともどかしい気持ちになる。空腹など、もうとっくにどこかへ行ってしまった。 ちらりと見上げればジェイドがにこりと悪魔の微笑みを浮かべており、ルークはごくりと唾を呑む。 「さあどちらからいきましょうか」 以後、この日のことは赤毛たちの前では禁句になった。 ガイなら、ガイならなんとかしてくれる…! はず。 保護者さんたちへの嬉しいコメントをいただいて出来た続編だったりします。嬉しかったんです(お手軽)。 |