「ああああ、忘れもんしたあっ!!」 いつものように二人で街から少しだけ離れた場所での逢瀬時。 それまで笑っていたルークが予兆もなく固まったかと思えば、そんな言葉を叫び出した。 「ごめんアッシュ。俺、街に忘れ物したみたいだ……。ちょっと取ってくる」 「おいこら待て屑」 すぐにでも駆け出そうとするルークを、すかさずアッシュは呼び止めた。 ルークが何を忘れたのかは知らないが、おそらくそれはアッシュを困らせるだろう物に違いない。少なくとも自分たちの旅に関する重要なものではないはずだ。 現に何を忘れたのかを問うてもルークは答えず、引き止めるこちらの言葉に曖昧に笑ってかわそうとしている。もう一度「屑」と少々強めに声をかけるが、ルークは聞かなかった。 上手くいった手作りの料理にしろ、街で見つけた何かにせよ、いろいろ面倒くさいことになりそうだということは勘が告げていた。そういう品は嬉しく思わないでもないのだが、問題はそれを受け取った後の自分の反応だ。素直に礼など言えるはずもない。だが相手は感想を求める。それがアッシュは困るのだ。 らしくない行動を取ってしまわないためにも、ここでルークを戻らせたくはない。それでも戻るというのならば、後でうるさく言われそうだが、ルークが引き返すのならその後自分も帰るというのも一つの手かもしれない。 しかし今日は厄介なものがいた。 「ご主人様っ、ボクも行くですの!」 立ち上がったルークに即座に反応し、それが当然だというように主人に近づく青い生き物。 ルークのペットのようなそれは主人に大変懐いており、彼がどんな暴言を吐こうとも乱暴な扱いをしようとも好意を曲げることはない。傍を離れるのも嫌らしく、今回のようにルークとの逢瀬にも何回か連れてくることがあった。 その独特の口調と行動はおそらく「可愛い」という部類に入るのだろうが、アッシュはどうしてか鬱陶しいと感じることがほとんどだった。動物は好きな方だが、喋るのが原因か目の前でちょこちょこと動いていると理由もなく遠くへ放り投げたくなった。 しかし単独で街に戻らせればまたガイやジェイドに何を言われるかわからない。 モンスターにやられる可能性も考えると、一応彼らの仲間らしいその生き物を危険な目にあわせるのもどうかと思い、ルークがミュウを連れてきたときにはため息一つでそれを受け入れていた。 「ボクはご主人様と一緒なんですの〜」 アッシュとしては最早ルークがいなくなった後にとんずらをすることは確定になっていたので、ミュウに残られては困る。ルークへ近づくミュウを「行け行け」と思いながら見ていたのだが、しかし彼の主は首を振った。 「駄目だ。お前はそこにいてアッシュを見張ってろ」 それは予想していなかった言葉だった。 「いいかミュウ。アッシュが帰る素振りを見せたらなんとしてでも引き止めろ。何だったら気絶させてもいい」 「貴様……」 あまりな言い分にアッシュの眉間の皺が濃くなったが、それに構わずに一人と一匹は会話をつづけていく。 「みゅ〜……ボクもご主人様のお役に立てますの?」 「ああ、かなり役に立つ」 「ならボクはアッシュさんとここにいるですの〜!」 役立つ、という言葉にミュウは反応し、寂しそうだった表情をきらきらの笑顔に変えた。 「っしゃ! じゃあアッシュ、俺行ってくるから。ぜってー帰るなよな!」 ミュウの反応に満足したのか、テンションの高い笑顔でルークはアッシュを指差してそのまま街へと引き返して行った。止めねば、と思いはしたのだが、それすら面倒に思え、アッシュはその背を見送った。 そして残ったのは静寂と、愉快な生き物である。 「見張り……」 だるそうに呟いて、アッシュはミュウを見た。「はいですの!」と片手を上げて笑う姿にまともな見張りができるとは思えない。 ルークが何を思ってこんな非力な生き物を見張りにつけたのかはわからないが、楽にこの場を去ることができるのならばどうでもよかった。なめられたものだと思いながら立ち去ろうとしたところで、アッシュの動きが止まった。 (そういやこいつ、変な能力持ってたな) ダンジョンを進むに当たり、ルークたちはこのチーグルの子供を器用に使って火を吹かせたり、岩を頭突きで壊していた。巨大な岩がこのチーグルの頭突き一つで粉砕されていたことを思い出し、アッシュはミュウを見やる。 ルークは気絶させてもいいから引き止めろと言っていた。ということはこのまま自分が去ろうとすればおそらくその頭突きが飛んでくるのだろう。冗談ではない、とアッシュは舌打ちをする。そんな頭突きを食らえば下手をすると気絶だけでは済まない。なによりそんな目に会うこと自体が許せなかった。 「アッシュさんとお留守番ですの〜」 何が楽しいのか相変わらずにこにこと笑うミュウに、アッシュは天を仰いで全てを諦めた。 (それにしても……) うんざりしつつもルークを待つことにしたアッシュだが、しかしどうにも居心地が悪かった。 特に話すこともないのでアッシュはずっと無言でいたのだが、それでも視界には頻繁に青色が飛び込んでくる。右目の端に映ったかと思えば左端に映ったり、そしておそらく耳だと思われる部分をゆらゆらと揺らし歩くのだから気になって仕方がない。 目を閉じたら閉じたで相手がこちらを見ているのがはっきりと感じられ、とうとう我慢できなくなったアッシュはその大きな耳をうさぎにするように掴み上げた。 「この屑チーグル! うろちょろすんな鬱陶し―――」 不機嫌さがにじむ低い声と顔だったが、それは途中で固まった。 耳を乱暴に掴まれていい気はしないだろうに、持ち上げたミュウの顔が弾けんばかりの笑顔になってアッシュを引かせたからだ。 「……何を笑っているんだお前は」 「アッシュさんが遊んでくれるからですの〜!」 「………遊ぶ? これがか?」 まさか耳を掴んで宙づりにされる行為を遊びだというのだろうかと、手はそのままに左右に振ってみるとミュウは鳴き声を上げてはしゃぎ出した。その顔に嫌がる様子や、苦痛は一切見られない。 この生き物はおかしいとアッシュは思わずミュウから手を放してしまったが、今の行為が気に入ったのか、ミュウは今まで以上にアッシュの周りをうろつき出した。 ミュウに「普通」は通じないと理解したアッシュは今度こそ無視を決め込んだのだが、やはりそれも相手には通じない。 「アッシュさん、アッシュさん」 「………」 「アッシュさん、アッシュさん」 「………」 「アッシュさん、アッシュさん」 「―――ああくそっ、何だ!」 いつまでも名前を呼び続けるミュウに我慢は続かなかった。 いっそリングを取ってやろうかと憎々しく思いながらも仕方なくアッシュは返事をする。 しかしアッシュは返事をしたことをひどく悔やんだ。 「アッシュさんは、ご主人様のことが好きなんですの?」 「!」 一体こいつは何を言い出すのだと、突拍子のないことにむせながらミュウを見やると、あのにこにこ笑顔とぶつかった。 「ご主人様はアッシュさんが大好きですの〜。ボク知ってるんですの。ご主人様、アッシュさんと会った後はいつも嬉しそうに笑って、いつも以上にボクと遊んでくれるのですの〜」 「………」 「ご主人様の笑顔を見ているとボクも嬉しいんですの! だからボクはご主人様を幸せにしてくれるアッシュさんも大好きですの〜」 「―――ああもうわかったから黙れお前!」 恥ずかしくて聞いていられるかと、やや焦りながらミュウの口を塞いだが気恥ずかしさは治まらない。 よくあいつはこんな生き物を連れて歩いていられるなと疲れを感じていると、アッシュの手から逃れたミュウの視線を感じて顔を上げる。 「ご主人様はアッシュさんが好きですの。……でも、アッシュさんはどうなんですの? アッシュさんの好き、なかったら悲しいですの……」 そこで悲しそうに、本当に悲しそうにしょげるミュウを見て、アッシュは勘弁してくれと真剣に思った。 ルークがこちらをどう思っているかなど、姿を見れば一発でわかる。犬のような耳も尻尾もついていないのに、こちらがつらく当たれば耳が垂れ、ほんの少し構えばぶんぶんと音がつくように尾を振る。その姿を見れば相手の気持ちなど四六時中ルークと一緒にいるチーグルでなくとも分かるというものだ。 だが、こちらがルークをどう思っているかと問われて、素直にその心情を吐露できるはずがない。葛藤をたくさんまぶしてのルークへの想いはもう仕方がないと諦めているが、直球でそれを告げたことは誰にもない。当のルークにもだ。 理由は意地やプライドなどいろいろあるが、まず感じるのは羞恥だ。心の中で呟くことさえ出来ないそれを、どうして言葉に出せようか。 「知るか」 結局出せたのはそんな言葉だった。そもそも問われたからと言って答える義務などどこにもない。まだ否定の言葉を出さないだけましだろうとさえ思う。 しかしミュウはみゅ〜とか細く泣いたかと思うと、「それじゃよくわからないですの」と言ってアッシュの足の上に乗り上げてきた。 「アッシュさんはご主人様が嫌いですの?」 (そうきたか……) アッシュは盛大に顔をしかめた。 好きを肯定しなければ「じゃあ嫌い」という単純な発想が小憎らしい。 「嫌い……ですの?」 「………」 「アッシュさん〜」 「……今はそんな面倒くせえ感情持ってねえよ」 どうしてこんな動物相手に翻弄されているのだろうと奥歯を噛みつつも、アッシュはとりあえずの否定をした。 すると不安げだったミュウの表情が一気に晴れ、アッシュにさらなる難関を持ちかける。 「じゃあ好きですの?」 やはり出された質問に、アッシュは片手で目を覆った。どうしてこの生き物の選択肢には好きか嫌いかの二択しかないのだろう。 「アッシュさん、アッシュさんはご主人様が好きですの?」 黙っていれば首をかしげてルークを好きなのかと延々と聞いてくる姿はとても鬱陶しくてとても恥ずかしい。本当にどこか遠くへ放り投げてやろうかと思ったが、そんなことをしても無意味だとわかっていた。アッシュが答えねばこの問いは止まないのだろう。 言いたくないのなら嫌いと言えばいいだけだ。それはわかっている。わかっているのだが、それもできない自分に腹が立った。 (ああくそっ、主人が主人ならペットもペットだ!) 自棄交じりで足の上でちょこちょこと動く体をがしりと掴み、自棄交じりでへの字の口を開いた。 ■■■ 「悪いアッシュ、待たせ―――うわっ!」 ようやく戻ってきたルークが見たものは、場を離れる前から何も変わっていないアッシュの姿と、変わりすぎているミュウの姿だった。 「……なんでこいつ木に吊るされてんだ?」 「うるせえ」 「え、それって俺が? ミュウが?」 「どっちもだこの屑共が!」 その返答と眉間のしわで、アッシュの機嫌がかなり悪い方にあることにルークは気付かされた。 自分が離れている間に何かあったのだろうか。それともやはり見張りをつけてまで場に拘束したことがまずかったのだろうか。 とりあえず、木の枝にぶら下げられているミュウを解放してやることにする。口を布で覆われるという状態にさせられるほどうるさくしたのだろうかと、ルークはミュウを複雑な思いで見た。 「お帰りなさいですのご主人様!」 「あ、ああ……」 とりあえず無事なのだろうかといろいろな角度から見やるが、当のミュウは縛られて吊るされているという行為がわからないのか「アッシュさんに遊んでもらったですの」と嬉しそうに笑っている。本当にこいつは色々と大丈夫なのだろうかと改めて思った。 縄の代わりに使われていたツルを解いてやると、すかさずルークの周りを跳ねるように動き回る。ミュウのこんな様子はいつものことなのだが、置いて行ったのが悪かったのかやたらとはしゃいでいるように思えた。 通常でも鬱陶しいのに、その倍ほどの動きをされれば当然倍鬱陶しい。もしアッシュの前でもそうだったのならば、木に吊るした彼の気持ちがよくわかる。 「お前何そんなはしゃいでんだよ」 「アッシュさんとお話しできて嬉しいんですの〜!」 「話? どんな」 ここまでミュウを興奮させる話とは一体何なのか。しかも相手はアッシュだ。彼らが談笑しているところなど想像できない。 興味を隠さないで問えば、ミュウは一度アッシュの方を見た後でルークに笑顔を向けた。 「秘密ですの!」 「はあ? 何だよそれ、ブタザルのくせに生意気だぞ! 言えよ」 「駄目ですの! アッシュさんと約束したのですの!」 「約束ぅ!?」 ミュウとアッシュが、と不機嫌の塊と化しているもう一人を見やったが顔は上げてくれなかった。 約束するほどの会話をしたのだろうかと思えば、これ以上気になる話もない。体を揺さぶるようにしてミュウを問い詰めたのだが、いつもは従順な生き物はどうしてか頑として口を割らなかった。 「何だよもう―――なあアッシュ!」 「知るか。黙れ」 残りのアッシュに縋っても一蹴され、ルークはミュウを締め上げたまま唇をとがらせる。 しかしルークがどれほど拗ねようともアッシュは無視をし、ミュウすらも「約束ですの!」の一点張りだ。ニコニコととんでもなく嬉しそうに笑う顔がまた腹が立ち、どちらに請うてもルークが彼らの交わした会話を知ることはなかった。 せっかく持ってきた物のことも忘れ、拗ねた顔で一人と一匹に問い続ける。 そんなルークにいい加減切れたアッシュが怒鳴りつけ、それをきっかけに口論に発展しようとも、ルークの手の中のミュウだけはずっと変わらない笑顔で二人を見上げていた。 でも多分やっぱり直球の言葉は言わなさげ。 あとルークの忘れものもご想像にお任せします。 |