今日はアッシュと会う約束をしていた日だったのだが、こちら側に急を要する用事が入ってしまった。 ルークはない時間を無理矢理作ってひとりで待ち合わせ場所に向かい、急な用事が入ったことと詫びを書き記した紙を木の枝にくくりつける。 木の幹になるべく映えるように選んだ水色の色紙を頭上で結びながら、ルークは少し情けない気持ちになっていた。 これがアッシュなら、余計な手間もなく回線を繋げばそれで済む。だがレプリカにはそれが可能なのかどうかもわからず、一応強くアッシュに念じてはみたが当然ながら応答はない。アッシュが意地悪く返事をしないというよりは回線が繋がっていないことの方が可能性としては高かった。 (アッシュ、ちゃんと気付くかな……) 目立つ色にしてみたが、絶対に気付くかと言えば自信はなかった。 気付くにしてもすぐに気付いてくれればいいが、長々と待ちぼうけをくらった後ではルークの心も痛む。 ここは枝ではなく、石かなにかを重石にして地面に置くべきだろうか。 しかし最悪アッシュが紙に気付かないとしても、時間に遅れる自分を待ち続けるタイプにはみえなかった。何よりアッシュには便利通信がある。何か思えばすぐに回線を繋げてくるだろう。 いいなアッシュは便利で、とぼやきながら、しかしなるべくなら頭痛は勘弁してほしいので時間がないながらも一等目立つ方法を考える。 そしてなんとか満足のいくように結ばれた手紙を前に、ぱんぱん、とルークは両の手を合わせた。 「どうかアッシュがこれに気付きますように」 ■■■ 用事を終えると、アッシュとの待ち合わせからはかなりの時間が経過していた。ルークが手紙をくくり付けていたときは真上にあった太陽は、今はもう山の端にその姿を隠そうとしている。 アッシュは手紙に気付いてくれたのだろうか。そう思うと気が気ではなく、ルークはあの木のもとへと訪れていた。 遠くから長い影を伸ばす木の根元を見やり、アッシュの姿がないことにひとまず安堵する。一番最悪のパターンの、手紙に気付かずにずっと待ちぼうけという目には合わせていないようだった。頭痛もしなかったことを考えると、アッシュはちゃんとあの紙に気付いたのだろう。 枝に目を向けると、それは変わらない姿で同じ場所にくくり付けられていた。 「なんだよアッシュの奴。見たなら持ち帰れ―――あ」 放置されてる紙に唇が尖る思いだったが、結び目を解いたルークは一瞬にして不満を忘れさせられた。 細長く折りたたまれていた中には、ルークが書き記した以外の文字が付け足されている。 「今日、急用が入って駄目になった。せっかく時間作ってくれたのにごめん。」というルークの文字の下に書きなぐられた字。 ”わざわざ時間なんて作ってねえよ馬鹿” 「あいつ……」 紙の上でもアッシュは変わらないようで思わず溜息が漏れる。 しかしこれを書いているときのアッシュを想像すれば、どうしようもなく頬が緩んでしまう。文章が本心でもそうでないにしても、あのアッシュがこうして返事をくれることが嬉しかった。 目尻を下げながら手紙を折りたたみ、ポケットに仕舞おうとしたところでルークはあることに思い当たる。 そういえばアッシュの筆跡が入ったものなんて今回初めて持ったのではないだろうか。 深く考えなかったが、アッシュの文字なんてそうそう見れるものではない。何かあればすぐに便利回線、が常だ。これからもそれは変わることはないだろうと思うとこの小さな紙がものすごく貴重な物に感じられ、ルークの手が微かに震える。しばらくじっと眺めた後、辺りをキョロキョロ見回して丁重にポケットにしまい込んだ。 歩いて街に戻るときもポケットの存在感は凄まじく、重みなどないに等しいはずなのに歩き方は金塊を入れたようにぎこちなくなった。 それから幾日か経った後。 「何を見ているんですか」 「あっ、うわっ! ちょ!」 仲間の輪から離れたところでこっそりと眺めていたものを取り上げられ、慌てて手を伸ばしたが遅かった。 見られてはたまらないと必死になってジェイドにまとわりつくのだが、相手の身長は高く、腕を上に掲げられてしまえば手が届かない。 「ジェイド! ちょ、頼むって!」 「こそこそ紙面眺めてニヤニヤするあなたが悪いんですよ。見られたくないものは人のいないところで見なさい」 「そんな勝手な! あっ、やめろって! 頼む !ジェイド! やめっ、やめっ、うあああああ!」 ルークの制止も聞かず、35歳のいじめっ子は赤い頭を押さえつけたまま、高く掲げたもう一つの手で紙を広げた。眼鏡越しの眼球が文章に沿って動くたびに、ルークの目の前が極彩色の点滅になる。 誰にも見られたくないものを、よりによって一番見られてはいけない人物に見られてしまった。あの酷薄そうな唇から言葉を紡がれた後、果たして自分は生きているのだろうか。 「………」 「あ、あの、ジェイド……」 とりあえず何か言っておかねばと声をかけるが、言葉は返らない。 とっくに読み終わっているだろうに未だに紙面に目を落としている姿は恐ろしいものでしかなく、ルークは喚いて逃げ出したい気持ちになった。 そしてジェイドはルークではなく、離れたところにいたガイの名を呼ぶ。 「ん、どうした二人揃って」 「ガイ。あなたこの子との付き合いを考え直したほうがいいですよ」 「なんだってまた急な……。ルークが何かしたのか?」 「これを見てください」 「? 何だ」 「うわああああ、ガイ! 見るなーっ!」 これ以上恥を広められたくないと暴れるが軽く押さえ付けられ、ガイはジェイドから渡された紙を受け取ってしまった。 怪訝そうな顔をしていたガイだったが目を通して状況がわかったのだろう、場の空気が微かに冷える。 「誰かさんがそれを見ながらニヤニヤニヤニヤ、ニヤニヤニヤニヤしてたもので」 「ルーク、お前……」 そこでガイが悲しそうな顔をしてこちらを見たので、ジェイドに口をふさがれながらもルークは言い訳をした。 「ち、違う! ニヤニヤなんてしてねえ! 大体その紙だって、アッシュのむかつく文があるだけだろ! どこにそんなニヤける要素が!」 「……お前、その言葉は自分を追いつめるだけだぞ」 「うるさい! だからジェイドの見間違いだって言ってるだろ! なんでアッシュの字なんかでニヤけなきゃいけないんだよ!」 事実なのだが、そして今さらでもあるのだが、彼らの前で認めるのは恥ずかしすぎた。今回はさすがに女々しすぎる自覚がある。そんなことをしてもこの二人には全てお見通しなのだろうが、わかっていても否定せずにはいられなかった。 「ならこの紙も、さほど大切な物ではないということですね」 「う、うん」 「少しは大切とか?」 「ぜ、全然っ」 「そうですか」 嫌な予感しかしないジェイドの言葉にも素直になることができず、罠だとわかっていたが頷いてしまった。 はらはらするルークの前で、手紙がガイからジェイドへと渡される。 「では」 そう言ってジェイドはルークに見せ付けるように真っ二つに引き裂いた。 「あああああああ!」 まさかの出来事に思わず絶叫が出た。 アッシュの筆跡が入った紙が、アッシュとのやり取りが記されている紙が、目の前で破られていく。 なんてことをするんだと急いでジェイドの腕を掴んだが、紙は元の八分の一ぐらいにまで刻まれてしまった。 「ジェイド!」 「どうでもいいものだったんでしょう?」 「確かにそう言ったけど! でもだからってこんな……」 地面に散らばる紙片を眺めると、自分の思いが八つ裂きにされたようでひどく悲しかった。 風で飛ばされてはかなわないと急いでしゃがみ込み、ひとつも逃さないように注意深く回収する。 しかしルークが拾いあげた紙片には、文字がなかった。たまたま余白の部分だったのだろうかと次の紙片を手にしてみるが、やはりそこにも、その次のものにも文字はなかった。 どういうことだと顔を上げると、したり顔でジェイドは先ほど破いた筈の紙をひらひらと揺らしていた。 「え? え?」 「素直にならなかった罰ですよ」 罰もなにも、どちらかというとジェイドの取った行動ほうが本来叱られるに値すると思ったが、ルークはそれを飲み込んで大事な紙を受け取る。 手元に戻ってきた紙に安堵の思いが溢れたが、同時に気まずくもなった。 たかが紙に必死になり、言い訳ができないほど慌てふためいたことを思い出せば、誰とも目を合わせられない。 「ほら、大事なものが返ってきたんでしょう? さっきまでのにやけ面はどうしたんですか」 「うわああああ!」 もう勘弁してくれと両耳をふさぐ。 だがジェイドがにやにやとこちらを見る表情は変わらず、あうあうとルークは情けない顔になる。こうなることがわかっていたから一人でひっそりと見ていたはずなのに、こんなことならもっと注意を張るべきだった。 ガイを見ても苦笑して首を振り、助けはないと知らされる。 しばらくは生き地獄だろうこの後数日を憂うルークに、さらに追い打ちがかかった。 「おや、アッシュではありませんか」 「えっ!」 まさかと思ってジェイドが見つめる先に顔を向けると、確かにアッシュがこちらに向かってきていた。 アッシュの登場は無条件に嬉しかったが、今は状況が最悪だった。 ルークがあたふたしているうちにアッシュはこちらに到着し、半泣きのような顔で挙動不審になっているレプリカを引いた表情で見る。 「……そこの馬鹿は何をやっているんだ」 「ちょっとありましてね。それよりアッシュ、聞いてくださいよ」 ジェイドの笑みに何かを感じたのだろう、アッシュは一歩引いていらんと断ったが、それはさらりと流された。 直感で危機を察したルークはジェイドの口をふさぎにかかったが、素早さは彼の方が上だった。 「あなたが書き記した置手紙、誰かさんは嬉しくて仕方がなかったようですよ」 「じ、ジェイド!!」 「数日経った今でもちらちらと見てはだらしなく顔を歪ませ、そりゃもうどピンクのハートを撒き散らしていました。どうですか、ここまで想われていて。感想をお聞かせ願いたいものですね」 あっさり暴露され、ルークは今回で一番の動揺を見せた。 ジェイド以上に秘密にしたい人物である、アッシュ本人に知られてしまった。アッシュと会う機会は多くないので知られることもないだろうと安心していたがこれである。ジェイドの言葉は誇張だが、その片鱗がなくはなかったので否定が遅れた。 アッシュははじめ首をひねっていたが、ルークの手にしているものに感づいたのか、途端に目元が一気に赤く染まった。 その瞬間を見てしまったルークの顔にも盛大に赤が散る。 「あ、あのなアッシュ……」 とにかく何か言い訳を、としどろもどろになってアッシュに口を開くのだが、その前に相手の叫びが被さった。 「な……にしてんだ屑! そんなのさっさと捨てろ! アホかお前は!」 「か、勘違いするなよ! いくら俺だってそんなこと!」 「じゃあさっさと捨てろ! 貸せ!」 「馬鹿! それができたら最初からしてる!」 「なっ、馬鹿はお前だ! いいからよこせ!」 「だからできないっつってるだろ!」 「開き直ってんじゃねえよこの大馬鹿!」 羞恥で混乱し、もはや何を言っているのかもわからなかった。 ただ、とんでもない羞恥の中でも紙を捨てるという言葉だけは出ることがなく、それだけは頑なに拒んだ。他人から見たら価値のないものでも、ルークにとっては貴重で大事な一枚なのだ。呆れられても、怒られても譲れない。 「どうしても嫌だっていうならお前ごと燃やすぞ屑!」 「するならしろよ! でもこれが燃えたら俺はお前を絶対許さないからな!」 「―――っこのクソ馬鹿アホ屑! 何なんだお前は!!」 「俺だって知るか!」 互いの表情に照れていくという永遠の相乗効果に陥った二人に周囲は見えず、夕暮れに赤く染まる空の下で埒のあかない言い合いが続く。 彼らの頭上でカラスが馬鹿らしそうに鳴き、残された二人は平和を感じずにはいられなかった。 ガイ&ジェイド「ば」 カラス「カー」 ガイ&ジェイド「ば」 カラス「カー」 |