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機嫌よく食事の準備をするガイに、背後から笑みをたたえたジェイドが近づく。


「聞きましたか、ガイ」
「何をだ?」


気のせいか普段以上に気分の良さそうなジェイドを訝しみながら、ガイは食材を刻む手から目を離さずに聞き返した。


「アッシュ、舌が痺れたそうですよ」


タン、という音を最後に包丁を動かす手が止まった。
ゆっくりと背後を振り返ったガイには先ほどの鼻歌交じりの雰囲気はどこにもなく、無表情に笑顔のジェイドを見つめる。


「……確かあの薬を塗った個所は―――」
「主に服の下ですね。ろっ骨全域と思ってくだされば」
「ろっ骨……胸、脇腹、か」
「首まではまあ戯れでも済まされますが、服の下はねえ。まさか外でなんて、彼も結構抑えが利かないようで」


さすが若い、と見せかけではなく愉しそうに笑うジェイドに、ガイは包丁を持った姿のままで黙りこんだ。
そしてしばらくのあと、再び包丁を動かしながら、どこか笑顔でガイは呟いた。


「さかる獣には水をかけてやらないとな」





■■■





その日の待ち合わせ場所に現れたルークの「伝言があるんだ」を聞いたアッシュは、とにかく嫌な予感に襲われた。


「なんかガイとジェイドがアッシュ連れて来いってさ。たまには一緒に食事しようってことらしいけど」
「断る」
「え? おいこらアッシュ!」


案の定どう見ても罠だと思える催しに、アッシュは速攻でルークに背を向けた。
しかしルークはなぜアッシュがそういう行動に出るのかの見当が付かないのか、慌てて背を向けたアッシュの腕をつかんでくる。


「何で嫌がるんだよ。料理作るのはガイだぞ?」
「なおさら行けるか!」
「何怒ってるんだよ、もしかして照れてるのか?」
「ぶっ飛ばすぞ屑」


誘いをかけたのがあの二人である以上、行けばそこに安寧はない。食事会がただの食事会で終わらないことを経験が告げていた。
きっとまたルーク絡みのことでネチネチやられるに違いなく、普段あまりルークにいい態度で接していない自覚のあるアッシュには呼び出される心当たりはいくらでもあった。下手すれば料理に何かを盛られてしまう。わかっててそんな危険な場所へ行けるはずがない。


「……まあガイも、逃げるなら特に無理して連れてこなくてもいいとは言ったんだけどさあ」
「―――あ?」


ぽつりとルークがこぼした言葉に、さっさとこの場を離れようとしていたアッシュは不機嫌に振り返った。
逃げる。それは聞き捨てならない言葉だった。
たとえそれが相手の煽りだとわかっていても、「逃げるのか」と言われれば自尊心に障る。
衝動で食事会への参加を告げてしまいそうになったアッシュだが、わずかな理性がそれをとどめた。このままガイとジェイドの挑発に乗って参加してしまえば、今以上の屈辱を味わうのは目に見えている。
ただ、だからといって背を向ければプライドが傷つくのは必至で、更に以後彼らと会うときの心労のリスクは一気に十倍ほどに跳ね上がってしまうだろうことを思えばどちらがいい選択なのかはわからなくなっていた。
できればどちらも選びたくないとアッシュは唸ったが、決断は意外と早くつくことになる。


「ジェイドも、もしアッシュが嫌がっても、それは俺と一緒の時間を邪魔されるのが嫌だから仕方がないって言ってたし。……本当にそうなら俺もまあ無理にとは」


少しはにかみながら顔をうつむけたルークの言葉は、これ以上ない決定打だった。
もちろんルークとの時間を邪魔されることが嫌で食事会を拒否しているわけではないアッシュはこのままルークを誤解させておくことだけはどうしても我慢ならなかった。このまま不参加を決めてしまえばルークはとんでもなくつけ上ってしまうだろう。それでいてガイたちに「逃亡者」の烙印を押されるとなれば、嫌でも答えは定まった。


「……それは今からなのか」


今日は厄日だと、アッシュが何をかもを諦めた瞬間だった。





■■■





いっそ殺してくれ。
敵地に足を踏み入れた時からアッシュはそう思い続けていた。
食事会というからにはナタリアたち女性陣も含めてだろうと思っていたのだが、たまには男水入らずというわけのわからない理由でガイとジェイド、そして自分とルークの四人というとても居心地の悪い状況に置かれている。
ただでさえそうなのに、簡易テーブルに着かされれば、隣はガイ、正面はジェイドときていた。
ルークは自分の隣に座りたそうだったが、「たまにしかアッシュと交流深められないんだから、今日くらい変わってくれ」というガイの言葉にまんまと騙され、にこにこ笑いながらはす向かいに腰かけている。

そして料理だ。
ガイが作る時点で予想はしていたが、目の前に広がる料理にはアッシュの苦手な食材が並べられていた。炒め物に入っているニンジンはともかく、タコの足丸ごと一本の刺身はどう見ても嫌がらせだろう。
もっとスマートなやり方があるだろうに、あえてわかりやす過ぎる方法をとっているのは、直球で「気に食わない」感を出すために違いない。
アッシュが箸をつけられずに脱力していると、隣から不思議そうに声がかけられる。


「どうしたアッシュ、食わないのか」
「……貴様」
「ほら、タコ食えよ、タコ」


なんなら食わせてやろうか、とほくそ笑むガイにこめかみが疼いた。このテーブルをぶちまけて帰ってやろうかと思ったが、もちろんそんなことはできるはずがなく、アッシュは嫌々ながらに一番小さいタコの切り身をつまむ。
視線がこちらに集中していることにうんざりしながらも口に含むと、ないようである独特の味と食感に思い切り顔が引きつった。
そんな様子をガイとジェイドは含んだ笑いで見ていたが、ルークはさすがに何かおかしいと気づいたらしい。


「アッシュ? お前もしかしてタコ苦手なんじゃ……」
「もしかしてじゃねえよ屑」
「え、だってガイがアッシュの好物はタコだって確か……」


すかさずガイを睨むと、彼はわざとらしく肩をすくめた。


「悪い、なんだか記憶違いだったみたいだな。―――でもせっかくの料理だし、食ってくれるか? アッシュ」
「食えるかこんな丸々一本!」


何が「悪い」だとつい吠えてしまうと、厄介なことにジェイドが乗っかってきた。


「しかし絶対無理な範囲でもないでしょう? 最近の若者は気遣いっていうものを知らないんでしょうかねえ」
「こんなあからさまな嫌がらせに何が気遣いだ!」
「やれやれ……アッシュ、あなた状況を分かってますか? これは言うならば嫁の実家で食事をごちそうになっているのと同じようなものなのですよ。好ましくない食べ物が出されても笑顔で食すのが礼儀でしょうに。そんな態度で撥ねつければ、さてどうなることやら」


嫁。実家。嫌な例えに、アッシュの顔が引きつる。否定したいが、あながち外れていないような気がするだけに気分が悪い。
更に暗にルークと仲良くしていきたいのならどんな仕打ちにも耐えろと言われ、アッシュの機嫌は最悪になる。そんなものは知らないと反発するのは簡単だが、その後のことを思えばここは耐えるしかなかった。
食え、さあ食えと隣と前から見えない圧力がかけられ、本当に一本丸ごと食わせる気なのかとらしくもなく焦ったときだった。


「ちょ、なんでみんなアッシュいじめてんだよ。せっかく呼んだんだからわざわざ嫌いなもの食わさなくったって……」


てっきりガイなどにうまく言いくるめられていると思っていたルークが、めずらしく正確に状況を読んでいた。
普段ならルークに庇われようものなら即座に撥ねつけているところだが、ガイとジェイドを諭すような姿に、こちらもめずらしく少しだけ感動する。
しかしアッシュがそれを感じたのも一瞬だった。
ルークの隣にいたジェイドがその耳に何事かを囁くと、それまでの態度が一変する。


「あー……、そうだな、うん。アッシュ、やっぱり好き嫌いはよくないぞ」


憐れむばかりか、期待をもってこちらを見つめてくる目に、何を囁かれたのかは容易に想像がついた。
おそらくタコの減る量と愛情が比例しているとでも言われたのだろう。ジェイド曰く嫁のことを思えば実家に嫌われるわけにはいかないので、たとえ嫌いな食べ物でも口に入れるだろうと。よけいに食えるかと思ったが、気づけば四面楚歌だった。唯一の味方に思えたルークなど、おそらくこの場で一番アッシュがタコを口に入れることを待っている。

しかしここへ来た時からある程度のことは覚悟していた。
この嫌がらせは予想の範囲内であり、危惧していた中ではまだまだ可愛い方である。これ以上ごねれば可愛くない方が出てきそうで、アッシュは渋々だがタコを消費することにした。嫌いな食べ物といえども、所詮はただの食材だ。毒があるわけでもなし、いざとなれば鼻をつまんだり、水で流しこめばいい。
だがそんな苦労も知らずに嬉しそうにするルークが視界に入ればさすがに我慢ならず、アッシュは言葉もなく回線をつないでやった。


(拷問か……)


そしてなんとかすべてを胃に収める頃には、アッシュの根性は限界に達しようとしていた。
前向きに食べていたがやはりダメージは大きく、普段の戦闘などよりはるかに疲労がのしかかっている。もう帰りたい、心底そう思ったが、試合終了を告げる鐘はまだ鳴らないようだった。


「ああ、そういえばデザートを忘れていました。ルーク、すいませんがアニスたちの元へ取りに行ってくださいませんか」
「は? アニスたちの元って……街まで?」
「ええ。デザートだけは彼女に作ってもらうように頼んだのですが、ついうっかり受け取ることを失念してしまって」
「……いいけど……でもその間、アッシュをいじめるのとかなしだからな」
「人聞き悪いですね。いじめるなんてそんなつもりはまったくありませんよ」
「そうだぞルーク。なんてったってお前の大事な大事なアッシュ、なんだからな」


ジェイドとガイの笑顔の裏を察したのか、ルークはアッシュに同情めいた眼差しを向けた。しかしそれでいて結構あっさりと席を立ってしまったので、アッシュにしてみれば裏切られた感が拭えない。
そしてルークが抜け、最悪だと思っていた状況がこれでさらに悪くなってしまった。ガイと、ジェイドと、自分。嫁という緩和剤のいない相手の実家は居心地の悪いものでしかなく、おまけに自分は歓迎されていないときている。ルークの姿が見えなくなってからは明らかに周囲の温度は下がっていた。


「さて、ルークも行ったことだし本題に入るか」
(来たか……)


何もただ自分に嫌いな食材を食わせるためだけに招いた食事会でないことぐらい、呼ばれた時からわかっていた。
渇く口内を潤すために水の入ったグラスを手に取りながら、さあくるならこいと、胡乱気にガイを見やる。


「お前、ルークをヤるつもりなのか?」


思わぬ発言に、アッシュは含んでいた水を吹き出しそうになった。
てっきりルークに冷たく当たりすぎることへの叱責だろうと思っていたのだが、まさかそっち方面での事とは。


「そんな暇なんかないだろうと思って今まで特に制限もなく自由にルークを送り出していたが、まさか外で及ぼうとするとはな。考えなしというか状況を見ろというか」
「……何を根拠に」
「―――舌、痺れたんだってな」


心当たりはいくつもあれど、実際に見られていたわけでもないのでしらを切り倒そうと思っていたアッシュだが、その一言に一瞬頭が真っ白になった。
先日の「虫よけ」のことを言っているのだろう。アッシュにとってその時の記憶は思い出すだけで目の前のジェイドを殴りたい心境になるものだが、まさかそのことをルークが彼らに話しているとは思わなかった。無知とは恐ろしい。
やばい、とアッシュの表情が微かに凍りつく。麻痺したことがバレているということは、つまりアッシュがルークにしたこともバレているということである。


「ジェイド、あの薬ってどこに塗ったんだっけ?」
「胸とあばらですよ」
「そんなとこを舐めて、お前は何をしようとしていたんだろうな」


わかりきっていることを訊かれるのはとても胸がむかつくものだった。


「……うるせえな、そんなの当人同士の問題で、保護者が口を出すようなことじゃないだろうが」
「一人前に正論ぶるな子供が。衝動だけで外で及ぼうとしてる奴が何を言う」
「はっ、なら屋内なら構わないのか」
「本気でそう思ってるのならお前は真正の馬鹿だな」
「言ってろ。大体、お前だっていつまでもそうやってあいつの保護者でいられると思ってんのか」
「少なくとも、お前がよからぬことを企む内はあいつが嫌だと言っても保護者でいてやるさ。お前は、お前だけは我慢ならない」


あからさまなガイの態度に、アッシュはとことん自分が疎まれていることを自覚して愕然とした。しかしそれで感じるのは寂しさよりも「この先どうしよう」という思いのほうが強い。
ここまで言うのだからガイは何が何でも阻止してくるだろう。ジェイドの方は気分次第だろうが、このやり取りを興味深そうに眺めていることからしておそらくかなりの確率で彼はガイの方につくことは予想がついた。


(なんなんだこいつらは!)


大体、嫌ならば交際そのものを反対すればいいものを、中途半端なところでは許容するからややこしくなるのである。おそらくそれはルークへの弱みがそうさせているのだろうが、キスなどが許容できるのならもう最後まで致してもそう差はないだろうとアッシュは思う。大体女ならまだしも、ルークは男だ。
しかしその辺はガイはガイで思うところがあるらしく、いくら睨んでも譲歩することはなかった。胸倉を掴もうかと思ったが、「ルークがガイの許しをもらって逢瀬している」現状であることを思えば何もすることができない。下手をすればそれこそ外出禁止にでもなるだろう。そうすれば一応許されているらしい行為すらかなわなくなってしまう。
アッシュだって若い。やりたい。だがこの状況を打破するにはガイに自分が認められるしか道はない。しかしどう楽観視しても彼がこちらに好意を向けることは一生ないのではないだろうか。


「え、嘘。まさかアッシュしょげてるのか!?」


明るくない雰囲気を払拭したのは、ケーキを抱えてきたルークだった。


「うわっ、本当にへこんでる。あーもう、いじめんなって言ったのに。ほら、ガイは俺の席に移れよ」
「はいはい」
「……アッシュ? 何されたか知らないけど大丈夫か?」
「レプリカ……」


ガイと変わって隣に座り、気遣わしげに顔を覗いてくるルークに、アッシュは気の抜けるような思いになった。よしよしと言わんばかりに頭をなでてくるルークは普段なら鬱陶しいものでしかないが、この時ばかりは心に染みた。敵意をあらわにされた後では好意が眩しい。
もういっそガイなどの忠告は聞かず、やってしまおうかという思いが頭をよぎった。リスクは高いだろうが、案外一回やってみればガイも諦めがつくのかもしれない。


「―――言っておくが、強行突破したら俺は復讐を再開させるぞ」


まるで読んだかのようなガイの言葉に先手を打たれ、アッシュは忌々しげに舌打ちをした。
不穏な言葉にルークはぎょっとしたようだったが、すぐに俺が守ってやると言わんばかりにアッシュの頭をぎゅっと抱きしめてきたのでアッシュは勿論、ガイも凍った。


「だーかーら、アッシュいじめんなって。ガキじゃあるまいし、仲良くしろよもう」


引きつっていたガイの表情が、ルークの言葉によってさらに引きつられる。


「……仲良く? 俺とアッシュが?」
「そうだよ」


なにもおかしいことじゃないとルークが胸を張ると、三人は真面目な顔で即答した。


「無理だな」
「無理ですね」
「無理に決まってるだろう!」


揃った答えに納得がいかないようなルークだったが、不満なのはこちらの方だとアッシュは泣きたくなった。
そういう思いが行動に現れたのか、無意識のうちに手がルークの腰に回り、相手の肩に頭を乗せる形を取っていた。ぬくもりに飢えていたのかもしれない。
ルークもそんなアッシュの様子に初めは驚いたようだったが、少し落ちつか無げにしつつも嬉しそうに抱き返してきた。
しまったと思ったのはガイがテーブルを叩いたからであり、その顔を見たアッシュは思わず身の危険を感じたが、緊張と脱力続きですぐに何もかもがどうでもよくなっていった。鋭い視線を感じながらも、ルークにまわした腕は解かれない。

ただキス以上に進むことがどうしてこうも難しいのか。
どうやら恋愛は当人同士がよければいいものではないらしいと、アッシュは今それを強く実感させられていた。
傍にいるのにできない。これからもそんな我慢を強いられるのだろうかと思うと、それだけで地面に伏したくなるアッシュだった。

婿舅問題はまだまだ長引きそうである。
















リク最終「婿舅問題・虫よけの続編的な雰囲気でアッシュvsガイ(援軍ジェイド)」と
「ジェイドとガイがルークを使ってアッシュをからかう話(婿と舅と眼鏡と子供のような話)」でした。

お二方からのリクがあり、いいのかなと思いつつもまとめて婿舅+虫よけの続編ということにさせていただきました。ちなみにこの婿と舅、関係は改善しません。アッシュ苦悶の日々です。
そんなこんなですが、リクしてくださったお二方に捧げます。リクエストありがとうございました!

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