abyss ss






アッシュが待ち合わせ場所である林というにはいささか木が少ない場所へ辿り着いた時、既にルークはそのうちの一本の根元にいた。

ただしいつもはこちらの姿を目にするたびに手を振るなり飛びついてきたりする体は横たわっており、ゆっくりと上下する肩は眠っているもののそれであった。
このまま帰ってやろうかと一瞬思ったが、ルークと会う時は一応用件があることが前提である。それを告げないで帰る事は意地が許さなかった。
ならば無理やり起こすまでだと、アッシュはその場に膝をついてルークの肩に手をかける。


「おい。レプリカ」
「……うー……、あと……少、し……」


遠慮なしに揺さぶれば、ルークは半分以上は眠りに支配されているような声でうめいた。
肩にかけた手から逃げるように体を反転されればおもしろくなく、揺さぶって起きないのなら拳だとアッシュは腕を上げる。
たが、それがルークの頭に落ちることは無かった。
口を半開きにさせ、顔を弛緩させながら眠るその姿は自分と同じものだとは思えないほど無防備で、穏やかだった。
思えば宿をともにすることなどほとんどなく、ルークの寝顔など今までもあまり見たことがない。いつもは何かとうるさいものが自分を置いて眠るのも考えようによっては新鮮であり、アッシュはルークに少しだけの時間を与えることにした。

日差しを避けようと己も木陰に移動し、木に背中を預ける。
とりあえず武器の様子でも確認するかと下ろしていた剣の柄を掴むために体を捻れば、上半身が向いた方向とは逆の腿に何かがぶつかった。
目を向ければ、ルークの腕が左足にしがみ付くように絡んでいるところだった。


「……おい」


狸だったのかと声を低めて呼んでみるが返事はなかった。
しかしその間ももぞもぞとルークの腕は動き、アッシュの左足に擦り寄ってきている。足をずらしても的確にアッシュの足を捕らえ、にやにやと笑っている顔は寝ぼけているとは言い難かった。どうやら眠っているものと判断させた材料は全て演技だったようである。
それがわかればアッシュはだらしなく緩んでいる頬を思い切り抓ってやった。


「―――いっ」


予想していなかったのか、ルークは肩をびくりと跳ねさせ、頬も強張らせた。
しかしそれでも眠っているという姿勢は崩さないようで、痛みを感じていないわけではないだろうに目は閉じたままで粘りを見せる。
そっちがその気ならばとアッシュは手の力は抜かないまま皮膚を伸ばして降参を待つが、何をそんなに執着するのか腕が離れることはなかった。
緩んでいた頬は今や硬く引き攣っており、その奥の歯は食いしばられている。ルークだって演技がばれていることをわかっているだろうに、一体何がしたいのだろうと頭が痛くなった。

そして何度か声をかけても反応は無く、半ば脅すような言葉を落としてもルークが狸を貫けば、そのうちアッシュも馬鹿らしくなって何もかもを諦めてルークから手を離してしまう。
すかさず足に絡んでいた手が「勝った」とでもいうようにぎゅっとそれを抱きしめてくるが、もはやアッシュには溜め息をつくほどの気力もなかった。
あえて左足は無視することにし、アッシュは中途にしていた武器の確認を続けることにした。





■■■





しばらくの後。ふと気付けばルークの体からは力が抜けており、アッシュの足にかかっていた手も弛緩していた。
二度はないと寝息の深さや表情をよく確認し、演技ではなく本当に寝ていることがわかると今度こそアッシュから盛大な息が漏れる。

どう見てもルークは邪魔で、鬱陶しい。

時折胸に抱き込むようにルークの腕が足を引いたりなど、ついひよこ頭に肘を落としてやろうかと思ってしまうのだが、しかしやはり顔を見てしまうと行動に移せなくなってしまう。


(馬鹿面め……)


腿の横にぴたりとくっ付き、だらしなく緩んでいる顔は被験者としては見ていられないものだった。頬を軽く抓ってもむずがるだけで離れようとせず、緩んではいるが腕だって相変わらず足に絡んだままだ。
片足でも不自由なことには変わらないというのに、そんなルークをどけずに置いている自分にアッシュは自嘲した。

変わったものだと思う。

自分のレプリカなどアッシュにとっては負の感情の対象でしかなく、この世に存在しているだけでも耐え難い苦痛だったというのにいつの間にかこうだ。
いくらじゃれつかれようとも鬱陶しいものでしかなく、同じ存在に好意をもつなどといったルークの正気を疑ったほどだった。そのルークもはじめは自分と同じように思っていたはずだが、何を経てかこういう関係になってしまっている。

正直なところ、アッシュはルークに対するわだかまりが全てなくなったかといえばそうでもない。痛みしかなかった過去はそう簡単に忘れることは出来ず、今でもふとした時にルークの存在に圧迫されるような何かを感じてしまう。
だがそれでもルークが他を見ていれば腹が立ち、今のように擦りつく姿を鬱陶しいと思いつつも決して悪い気分にはならない。
ルークがいなくなれば色々な軋みからは解放されるのかもしれないが、この姿がなくなることは考えられないほどルークに浸透されている自分を、アッシュはもう知ってしまっていた。

グローブを外した手で前髪をかき上げるように後ろへ撫で付けてやると、気持ちいいのか微かに口角が上がり、一瞬だが腕の締め付けが増す。自覚するのも恥ずかしいことだが、その仕草が愛しいと思う。
続けて撫でてやれば段々と笑みが深くなっていくようで、自分の手で表情を変えるルークを見ているとずっとそうしていたいとさえ思えてくる。
おそらく初めてではないかというぐらいにやさしく、子供を甘やかすようにゆっくりと動かす手はルークの意識がないからこそのもので、だからこそアッシュも変な意地などにとらわれず素直なままに手を伸ばした。


「らしくないな」


小さく呟く声は自嘲気味だったが、緩い弧を描く唇はやさしいものでしかなかった。
ルークを慈しんで生じるむず痒さは閉口ものだが、それは同時に安らぎも与えてくれた。
長い間味わうことの無かったその感情を、そうさせた存在から与えられるというのは随分皮肉な話だが、一度受け入れれば後はなし崩しだった。

眼下で露になっている耳殻を指でなぞり、かかる髪を払ってごく小さくその耳に小さく口付ける。
そのまま顔を滑らせ、肩口にかるく額を乗せて陽の匂いを感じると、きつくこの体を抱きしめたくなってアッシュは嘲った。そうすればいくらなんでもルークは起きてしまうだろう。それを惜しく思うばかりか、この焦れさえも楽しんでいる自分はルークを馬鹿に出来ないほど愚かなのかもしれない。

しばらく赤い髪を梳いた後、最後にとルークの顎を掴んで上を向かせ、己の髪が相手にかからないように気を張りながら顔を重ねる。

寝息を乱さないように何度も触れ合わせた唇はとてもあたたかかった。





■■■





突然頭に走った衝撃にルークは睡眠の余韻も何もなく飛び上がった。
星がちらつく視界にアッシュが見え、この衝撃の原因は間違いなく彼だと断定する。
痛む頭を抑えてアッシュを睨んだが、「声をかけても起きなかったお前が悪い」と言われてしまえば怒気も萎えてしまった。


「……ったって、声かけても起きなかったのなら揺さぶるとか他に手段があるだろうに」
「揺さぶっても抓っても起きなかったのはどこのどいつだ」
「え、本当に!?」


よく寝ていた自覚はあるが、そこまで寝汚かったのだろうかと思わずヨダレの痕跡を確認してしまう。心配した感触もなくほっとするルークだったが、しかしいくらなんでも殴るはないだろうと口を尖らせる。


「つーかお前最近殴りすぎ。このままだと俺の頭陥没する日も近いぞ。いいのかよそうなっても」
「心配しなくてもそれ以上その頭は悪くなりようがねえよ」
「………。ああそうだよなー元はお前だもんなー」
「お前なんかと一緒にするな劣化野郎」


言葉じゃかなわず草をむしって投げつけたが、すぐに小石を投げ返され、慌てて木の陰に隠れる。
それでもアッシュから離れることは本意ではないので、口を尖らせながらもアッシュの隣に座り直す。邪険にされなければそれだけでルークの気分も回復に向かった。
そよそよと通り抜ける風を感じながら、ふとルークは当初の目的を思い出し、剣をいじっているアッシュの袖を引く。


「そういえばさアッシュ、あれからずっと枕になっててくれた……とか? で、で、ちょっとは髪梳いたり、撫でたりとか……アリだったりする?」


今回は意識のない自分をアッシュはどう扱うのだろうと、ふとした疑問を知るために狸寝入りという真似をしていたのだ。しかし木陰とアッシュの体温があまりにも気持ちよくて、ついつい眠ってしまうという失態を犯してしまった。アッシュが頬を離してからの記憶はほとんどないと言ってもよく、その間に何があったのかはさっぱりわからない。

自分が眠っている間、アッシュは何をしていたのだろう。
変わらず放置か、それとも少しは可愛がってくれたのか。


「あるわけねえだろ鬱陶しい。自惚れんな屑」


予想しすぎていた返事は、予想していてもなかなかの衝撃だった。
だよなー、アッシュだもんなー、と盛大に肩を落とし、陰を背負う。 アッシュはきっといつだってアッシュのままで、自分に意識があろうがなかろうが態度が変わることはないのだろう。
大事そうに扱われている彼の愛刀を羨ましく眺めていると無機物にも嫉妬しそうで、ルークは溜め息をついた。あんな風に脇目も振らず繊細に接してもらえたら、それはどんな喜びになるだろう。

しかしそんな気持ちを知ってか知らずか、アッシュは一度こちらに目を向けた後、いつもと変わらない声音でルークを拗ねさせるのだ。




「そんな色恋に溺れているような愚かな真似、誰がするか馬鹿馬鹿しい」
















ssファイル通し番号100記念。「珍しくアシュ→ルクな感じで」とのリクエストでした。

完璧片思いと、ウチの設定での二人でアッシュがルークを想ってる話とどちらにするべきか迷ったのですが、スーパー独断で後者にさせていただきました。屈折したアシュ→ルクですが、リクしてくださった方に捧げます。リクエストありがとうございました!

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