まじ快 ss






「黒羽。てめぇこの本の染みはなんだ」


なんの変哲もない休日の昼だった。
誘われたわけでもないのに家にいた自分に向かって、不機嫌も露な新一が告げた言葉に快斗は家に帰りたくなった。


「なんのことですか? 私にはさっぱり――――――ごめんなさい」


とりあえずとぼけてみようと新一に笑いかけてみたのだが、冗談が全く通じなさそうな新一のオーラ負けてしまった。
ハードカバーの、いかにも高そうな本の、あるページの所にハッキリと大きな黄色い染みが出来ている。
一見それは何の染みかは分からないが、当事者である快斗にはハッキリと分かっていた。


「てめぇは何回もの食いながら見んなって言えば分かるんだ、あ?」
「……も、申し訳ない」


どうやら新一にも何なのか分かっているらしい。まぁ分かっていなかったらこんな風に詰めてこないわな、と快斗は冷や汗をかきながら新一の眼光から目をそらす。
白いページに相応しくないそれは、快斗が焼き菓子を食べながらその本を読んだときの名残りである。
新一がいないとき快斗はたまに彼の本を借りて読むのだが、決まって腹ばいになって読んでいた。それが駄目だった。
欠片が本の上に落ち、そのまま気づかないでページを送ったため油が紙に吸収されてしまい、見事に消えない染みとなったのである。
前にも同じようなことをして新一にお説教をいただいたのだったが、若い食欲に負けてやった結果がこれだ。
たとえ小さな染みであっても本好きの新一にとっては許し難い、それこそ罪なのだ。
そうっと新一の表情を伺えば、彼は眉間にくっきりとしわを寄せ、ふぅ、と長い溜め息を吐いている。
これはやばい。


「あー工藤、その、悪かったって」
「謝って済めば怪盗やってても気が楽だな」
「……そうデスね」


容赦ない新一の言葉に、快斗は焦った。
弁償なら簡単だ。もう一冊同じ本を買って渡せばいいだけなのだから。
ただ、その本がもう国内にはなく、外国でも入手困難になっているものだとそうはいかなくなる。
新一の父の優作を頼り、どうにかして手に入れた大事なものだったのに。
それを知っている分、なおさら快斗は申し訳なくなって平謝る覚悟をする。


「あーあ、俺の大事な本。なんでこんなに不思議な模様付いてるんだろうな、なぁ黒羽」
「………」
「月下の奇術師のKIDならなおしてくれるかな。黒羽、ちょっと連絡取ってみてくれよ」
「……ムリ、だそうです」
「となると、このまま虫に食われるか、黴が生えるのを指銜えてみてなきゃ駄目ってこと――」
「工藤!」


そしてとうとう新一が悲痛に語る言葉に耐えられなくなり、快斗は最終手段に出た。


「……るから……」
「あ?」
「だから何でもするから! 肩揉みでも、背中流しでももう何でも! だから許せ!」


自分でも間抜けなことだと思ったが、もう快斗にはこの方法以外新一の怒りを解くことは思いつかなかった。
もしこれで駄目だったらひとまずは逃げよう、と情けない気持ちで新一を目だけで見上げたのだが。
彼は笑っていた。


「へぇ、なんでも?」
「……ああ、掃除洗濯家事炊事。肩揉みでもマッサージでも下僕作業でも何でもするから!」
「なら―――」
「ただし! エロいことの要求は却下する!」
「ちっ」


あやしい笑みを浮かべた新一に快斗は慌ててとてもとても大事なことを付け加えると、悔しそうに舌打ちをした。考えてたのかよ、と、快斗は新一に薄ら寒いものを感じたが何も言わないでおくことにした。余計なことを言ってこれ以上新一の機嫌を損ねるのは得策ではない。


「んー……そうだな、それ以外となると……」


推理する時と同じように顎に手をやって考え込む新一の姿は、何を言われるのかわかったもんじゃない、だけど受けない訳にはいかない身としては恐怖以外の何ものでもなかった。とりあえずあっち方面へ向くことのの回避は出来たようだが、心臓が悪いことには変わりない。むしろだからこそ別方面でとんでもないことを言われそうだ。
そして告知の時が来た。


「黒羽」
「……はい、なんでしょうか」
「色々考えたんだけどな、これといって思いつくものがない」
「えっ? それって……」


もしかして、「反省しているようだし、以後気をつけるように」っていう展開か?
そう快斗は目を輝かせたのだが、生憎新一はそこまで寛容ではなかった。


「だからな、黒羽。とりあえずお前がさっき言ってたこと全部やれ」


にこりと音が付くぐらいの笑みと共に落とされた言葉に、快斗の体は固まった。
先ほど自分が発言していた内容ということは、掃除に洗濯に家事に炊事。そして肩揉み等のマッサージに、果ては「下僕作業」というなんともやることがあいまいな発言までしてしまったものだ。それらの中の一つというのならまだ諦めも付くが、しかしこの名探偵さまは全部とのたまった。


「ぜ、全部って……本気か工藤?」
「かなり」
「俺、家事とか全く出来ないんだけど。特に炊事とか」
「そんなことは俺には関係ない。手先が器用だって言うぐらいなら、そんなもんどうとでもなるだろ。本見ても作れないほど、そのIQ400とかいう頭は飾りもんなのか」


そんなもんにIQは関係ねぇだろ! とも言えず、快斗は笑顔の下で泣いた。こちらに完璧に非があるので、文句は許されない。


「あ、そういやあの本、さっき父さんから初版送ったってメール入ってたから、弁償とか気にすんなよ」
「……え」
「俺、あれの初版本が欲しかったんだよ。だけど見つからなくて、しょうがないってこれになってたんだよな。でもよかった、見つかって」
「! じゃあ」
「おーっと、だからといって何でもする発言は撤回だってのはナシだぜ。だって俺が怒っているのは「ものを食いながら本を読んだ」ことについてだしな」
「………」
「じゃ、早速仕事に取り掛かってもらおうか」


反論は許されない圧力をもって新一は笑った。
逃げるのは簡単だったが、それをすると後が怖い。


「そんなに唸るなよ。ちゃんと出来たら褒美にキスの一つでもしてやるから」
「いるか馬鹿!」


何を言ってるんだと、羞恥を反動に快斗は立ち上がり、掃除用具が詰まっている物置へと急ぐ。このままでは新一のペースにずりずりと引きずり込まれて何をされるかわかったものじゃない。逃げるという手段を欠いた今の自分では対新一は非常に不利だった。
遠くから聞こえる馬鹿だの鬼だのいう単語を聞きながら、今日は退屈しない一日になりそうだと新一が頬を緩ませていたことも知らないで快斗は派手な音を立てる。
穏やかな休日は始まったばかりだった。
















すごい古いの発掘。
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